第63話 部室のピカチュ〇

「毛利先輩」

 相変わらず、湿気と剣士の匂いと暑さが籠る更衣室で、伊達がぼそりと呟いた。


 床が冷たくて心地よいらしい。パンツ一枚の姿で寝転がったまま、伊達はロッカーの隅の方をぼんやり見ている。「邪魔だ」、「伊達、端っこに行け」。石田とルキアに邪険にされながらも、伊達は動く素振りを見せない。そんな伊達を一瞥し、毛利先輩は両手団扇で「なんだ」と返事をする。


「毛利先輩、見ないっすよね、あそこ」

 伊達は相変わらず右の頬を床につけた姿勢のまま、そんなことを言う。


「何を見ないって?」

 尋ねたのは、石田だ。目をぱちくりさせ、伊達と毛利先輩を交互に見ている。


「あそこ」

 伊達は寝そべったまま、腕を伸ばす。


「「「え?」」」

 俺と石田、そしてルキアは伊達が指さした場所を見る。


 壁に寄り掛かるように設置されたスチール製のロッカーだ。脱いだ制服や学生鞄なんかは、部活中、そのロッカーの中に入れる。


 伊達が指さしているのは、そのロッカーと窓の丁度隙間。10センチほどの隙間だ。黒く影になっていて、窓際だというのに、そこだけ陽も光も差し込まない。


「ねぇ、毛利先輩」

 伊達が指さしたまま、瞳だけ毛利先輩に向ける。その視線移動につられるように、俺たちは毛利先輩を見た。


 毛利先輩は。

 いつの間にか俺たちからも、そして、伊達が指さす方向からも背を向けていた。


「毛利先輩、わかってて視ないんでしょ」

 伊達がにやりと笑う。毛利先輩は背を向けたまま、バタバタと激しく両手で団扇を使っているが、無言だ。


「毛利先輩、あれ……」

「言うな、伊達っ!」

 毛利先輩が背を向けたまま鋭く叱責するが、伊達は構わない。


「見えてるんでしょ?」

「見えてないっ」


「今日は、いるのに」

「黙ってろ、お前はっ!」


 二人の言葉の応酬に、なんとなく。

 石田と俺とルキアは。


 なんとなく、三人一塊になり、伊達が指した方を見る。


 更衣室は相変わらず熱いはずなのに。

 なんだか。

 涼しく思えるのはどうしてだろう。


「な、なにが!?」


 急に石田が素っ頓狂な声を上げるから、俺とルキアが「ひぃ!」と悲鳴を上げてしまった。くそっ。ルキアと同じ反応をした自分が腹ただしい。


「なにが見えるの! 何がいるんだよっ」

 石田が伊達と毛利先輩を交互に見る。伊達がまた、人の悪い笑みを浮かべた。口を開こうとした矢先。毛利先輩が大声で圧した。


「ピカチュ〇だっ!」

 ばさり、と団扇を床に放って立ち上がり、毛利先輩は綺麗な回れ右で俺たちに向いあった。


「そこにいなさるのは、ピカチュ〇さまだっ!」

 混乱しているのか、毛利先輩が何を言っているのか俺たちにはさっぱり理解できない。ただ、伊達だけがニヤニヤ笑っている。


「早く帰るぞ、お前たちっ」

 毛利先輩は言うなり、猛烈に着替えを始めた。


「なにが!? ねぇ、なにがいるんだよっ」

 ルキアが伊達に尋ねる。伊達はむくりと体を起こし、髪をかきまわした。


「いつもいるわけじゃないし、ただいるだけだから」

「「「なにが!?」」」

 俺たちは必死になって伊達に尋ねるのに、伊達はけろりとした顔で肩をすくめた。


「ピカチュ〇だろ」

 伊達は、「早く着替えようぜ」と言った後、俺達の顔をまんべんなく見回した。


「新種のポケモ〇と更衣室でふたりっきりになりたくないだろ?」

 俺たちは争うように制服を身につけた。


◇◇◇◇


 後から考えたら、伊達と毛利先輩に担がれたのかな、と思わなくもない。

 暑くてダラダラ着替えをしていた俺たちを急かし、早く帰宅したかったのかもしれない。


 だが。

 伊達はともかく。

 いまだに毛利先輩がロッカーの隅を見ようとしない。

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