第61話 洗濯機

「クラブハウスの側に洗濯機あるじゃないですか、二層式の」


 ルキアの声に、「あちー」、「だりー」、「死ぬー」しか言っていなかった全員が顔を向けた。


 蒸し返す更衣室には、裸の男ばっかりが五人。全員がパンツ一枚だ。


 8月になり、バイトから戻ってきた毛利先輩は両手団扇で胡坐をかき、石田は腰に手を当ててペットボトルをラッパ飲みしている。俺は自宅から持参したアイスノンを首に巻き、伊達はでかい体のくせにうつ伏せで床に寝転がっている。


 もう、地獄絵図だ。


「洗濯機? おいこら、ルキア、窓を開けるな」

 更衣室のクレッセント錠に指をかけようとしたルキアに、毛利先輩が声を飛ばす。


「この状態を外から視られたら通報される。部活停止になったら莉子りこに殺されるぞ」


 ぶっきらぼうなその声に、ではなく、『莉子』という言葉にルキアはすくみ上る。気持ちはわかる。夏休みに入って、本当にあの先輩が鬼に見える。


「暑いなら、さっさと着替えて外に出ろ」

「扇風機買ってくださいよ。更衣室用の」


 石田が口を尖らせて毛利先輩に言うが、「莉子に言え」と言われて黙った。


「で? 洗濯機がどうした」

 毛利先輩は両方の手でパタパタ団扇を煽ぎつづけながら尋ねる。


「使えないんですか? ぼく、この汗でべったべたな道着を家に持ち帰るの、嫌なんですよね」

 ルキアは自分の足元に放り出している道着と袴を一瞥した。


 確かに。

 汗をふくんでずぶずぶの上に、重いし臭い。スポーツバックに放りこんで電車に乗っているが、異臭騒ぎにならないか、実は俺も毎日不安だ。


「あの洗濯機が使えるなら、学校で洗って乾して、って出来るじゃないですか」


「それいいな、ルキア」

 今までうつ伏せに転がったまま微動だにしなかった伊達が、顔を上げていきなり発言した。


「部室に干しとけば、次の日には乾くだろ。で。その乾きを早くするために、部室に扇風機買ってください、って武田先輩に言えばどうだ!?」

 伊達の提案に、石田が目を輝かせる。「いいな、それ!」。きらきらした目で毛利先輩を見た。


 だた。


「……うーん」

 返ってきたのは歯切れの悪い声だ。毛利先輩が珍しく険しい顔をしている。


「壊れてるんですか? 洗濯機」

 俺が尋ねると、首を横に振り、毛利先輩は左手の団扇を床に置く。ぼりぼりと首の後ろを掻きながら、「いや、これは俺の道場の先輩から聞いたんだけど」と前置きした。


「その道場の先輩、俺より5つ上でさ。クロコウの卒業生なんだよ。その時は、部員もものっすごく居てさ。関東大会とかの上位組だったらしくて。当時はマネージャーとかもいたらしい」


「マネージャー!?」

 石田が血相を変えたが、「男だよ」と毛利先輩が笑う。途端に平静を取り戻した石田は、再びスポーツ飲料をがぶ飲みした。


「あの洗濯機、いろんな部の共有だから。マネジが道着の洗濯してたらしいんだな」


「ああ、そうなんですね」

 ルキアが、制汗シートで首元を拭いながら返事するが、もう部室の臭いに制汗シートの匂いがまじって汚臭になっている。


「そしたらだな、起こったんだよ」


「なにが、っすか?」

 伊達が寝そべったまま尋ねる。毛利先輩は顔をしかめた。


「感染。いんきんの」


 途端に、更衣室内に沈黙が訪れる。

 毛利先輩は俺たちを見まわし、重々しくのたまった。


「パンデミックだ」


「いや、カタカナにしたらかっこいいだろ、ってドヤ顔されても」

 俺は顔をしかめる。


「ま。それ以降、自分たちで持ち帰って洗おう、ってなったみたいだけど」

 毛利先輩はにこやかに俺たちに尋ねた。


「洗濯機、使うか? 皆で仲良く洗うか?」


 俺たちは全員、首を横に振った。

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