第245話 仮説
アイオーンの言葉に急かされるように、カリオスは駆け出した。
タシェルとミノーラ、そしてクリス達兄妹は既に、アイオーンの背中に乗っている。
恐らく、オルタが持ち上げて乗せたのだろう、未だにアイオーンの足元にいる彼が、カリオスに向けて叫んだ。
「急げカリオス!」
『分かってる!』
言われるまでも無く、全力で走り出していたカリオスが、右肩に微かな痛みを感じた時、地面が少し盛り上がり始めた。
足元に亀裂が入り始めていることを、視界の端で確認した彼は、咄嗟に前方に向けて飛び込む。
左足のつま先を、何かが掠めた事に胆を冷やしながらも、地面を転がる。
しかし、悠長に寝転がっている余裕はない。
転がっている勢いで無理矢理に体勢を立て直そうとしたカリオスは、突然、身体が宙に浮いたことを気が付いた。
「二人とも遅いよ! もう飛ぶからね!」
翼を羽ばたかせ始めているアイオーンが、そう叫んでいる。
とは言え、置いて行くわけでは無いらしく、下からの猛烈な風を受けたカリオスの体は、アイオーンと同じように、空へと上昇を始めた。
同じように宙に浮いているオルタの姿を確認したカリオスが、安堵の溜め息を吐こうとした時、彼は思いも拠らないものを目にしてしまう。
身動きを取れない状態の兵士たちが、先ほどのギルバートと同じように、次々と串刺しにされ始めている。
兵士達は四肢を凍らされている状態なので、意識を保っている者が殆どだった。
それは、できれば直接的に命を奪うのは避けたいと言うミノーラやアイオーンの提案だったのだが、逆効果だったのかもしれない。
眼下から響き渡る絶叫と嗚咽を耳にし、カリオスが思わず目を背けようとした時、彼は視界の端で動く影を目にする。
未だに身動きを取れる者がいるのかと目を向けた瞬間、彼は自身の思い違いを知り、目を見開いた。
その特徴的な黒い長髪は、見間違える訳もない。
つい先ほど息絶えたはずのギルバートが、立ち上がり、こちらを見上げているのだ。
しかし、その容貌は既に人間の物とは思えない状態になっている。
まるで、昆虫のような細い足が背中から生えており、人としての脚は地面を踏みしめてはいない。
目に至っては、元々の切れ長の目など跡形もなく、トンボのような巨大な目へと変化していた。
かと思えば、両腕はウルハ族のように筋骨隆々で、追いすがるように空へと手を伸ばしている。
『何が起こってるんだ?』
見るからに不自然で、異様な存在。
そうして、その異様な生物は、少しずつ数を増やしてゆく。
ギルバートと同じように地面に横たわっていた筈の兵士たちが、次々と変貌をはじめたのだ。
しかし、完全に同じ生物は一つも存在しない。
似たような特徴を持っている者は少なからずいるが、それだけだ。
全身に鳥肌が立っていることを感じたカリオスは、ようやくアイオーンの背中へと降り立つことが出来たことで、腰を抜かしてしまう。
今見た光景が、何を意味しているのか。
いま現在カリオスが知っている知識で立てられる仮説が、一つだけあった。
そして、その仮説が正しいのであれば、この事態を引き起こしたのは言うまでも無い。
『……ミノーラ、いや、俺とミノーラか? クロムはこれを知っていた? だから、ミスルトゥに行ったってことか? けど、失敗すると踏んで逃げたのか』
「カリオス、今の見たか? あれは一体何が起こってるんだ?」
同じ光景を見たのだろう、オルタが顔面を蒼白にして、問いかけてくる。
そんな彼になんと答えて良いのか迷いながら、カリオスは全員の顔を見た。
皆、かなり不安そうな表情をしている。
クラリスに関しては先程まで泣いていたのだろう、未だに乾ききっていない瞳が、誰かに助けを求めて輝いているように見えて仕方がない。
『俺が出来ることなんて何もないぞ……それに、俺が全部知ってるわけないだろう?』
問いかけて来たオルタに、そう答えたいと感じたカリオスだったが、その衝動を必死に抑えた。
今から出来ることは、確かに何もないのかもしれない。
しかし、この状況を引き起こしてしまったのは、自分たちのせいかもしれないのだ。
何もできないと言いながら、こんな状況を作り出してしまっていることに皮肉を感じながら、カリオスはメモを取り出した。
そうして、いつもの通りそれをオルタに手渡す。
一瞬不安そうな目でこちらを見たオルタは、ゆっくりとそれを読み始めたのだった。
「『とりあえず、エーシュタルに行くぞ。ミノーラ達が集めたそれがあれば、ノルディス長官が上手く対処してくれるかもしれない。この混乱で、戦争どころじゃなくなってるかもしれない。まずはエーシュタルで状況を確認しよう。その後については、エーシュタルで話を聞いてになると思う……ただ、一つ言えることがあるなら、全ての元凶はミスルトゥにある。そう思う。』……ミスルトゥに? 何があるってんだ?」
メモを読み上げたオルタの疑問に、答えるものは居なかった。
恐らく、疑問を口にしたオルタ自身も、薄々は気付いているのだろう。
しかし、誰も確証を得られていない。
だからこその沈黙。
そんな沈黙を破るように、タシェルが語り出した。
「ねぇ、ドクターファーナスなら、何か知ってたりするんじゃないかな? あと、ハリス会長とマーカスも。エーシュタルに行った後、ボルン・テールに行ってみるのはどう?」
タシェルの提案を聞いたカリオスは、少し考えた後、半分賛成した。
確かに、ドクターファーナスやハリス会長、マーカスなら、この状況の説明をしてくれるかもしれない。
場合によっては、その説明がカリオスの持っている仮設の証明になるかもしれない。
しかし、そもそもボルン・テールは無事なのだろうか。
隣国であるザーランドでさえ、先ほどの状態なのだ。
ミスルトゥからの距離を考えると、比較できないほどの被害が発生していてもおかしくないように思える。
そう考えると、既に安全な場所など無いのかもしれない。
しいて言えば、アイオーンと共にいるカリオス達こそが、最も安全な状況にあると言えるだろう。
『クラリスは、しばらく一緒に行動した方が良さそうだな……』
こんな状態になってしまった今、クラリスをマリルタに置いて行くことなどできるわけが無い。
そんなことを考えた時、ミノーラがそっと寄り添ってきた。
何か思うところでもあるのか、じっと下を向いたまま、身体を摺り寄せて来る。
そんな彼女の背中を撫でた時、アイオーンが問いかけて来た。
「で、行き先は決まった? とりあえず、あの大きな木の方に向かってるけど、それでいいのかな?」
「そっちで大丈夫! しばらく行ったら、平原の真ん中に城塞があると思うから、見えたら教えてくれる?」
アイオーンに聞こえるように大きな声で返事したタシェルは、言った後に確かめるようにこちらを見て、一つ頷いた。
そんな彼女に頷いて返事をしたカリオスは、ゆっくりとミスルトゥを見上げる。
雲だけでなく、空でさえ突き破ってしまったように見えるその姿は、もはや木と言えるのか疑問さえ抱いてしまう。
『もう、訳が分からないな……』
心の中でそう呟いたカリオスは、闇の中で光っているミスルトゥの輝きが、次第に強くなっていることに気づいたのだった。
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