第223話 反逆(追憶)

 大切な人々、仲間、そして宝物。


 そんな言葉を頭の中で反芻しながら、アイオーンは目を覚ました。


 彼はこのところ、あの日のことを何度も夢に見ていた。


 目の前で氷漬けになってゆくエリーゼが、完全に動かなくなったところで、地面に落下していく。


 苦悶に満ちた彼女の表情と、掠れて弱々しい声が、頭にこびりついて離れない。


 その様子をただ見ていた彼は、得体の知れない感情に苛まれながらも、変わらない日々を過ごしている。


 それは、そんなある日のことだった。


 いつも通り食事を持ってきた人間は、ぶっきらぼうに肉の塊を放り投げる。


 普段通りなら、そのまま扉を閉めてどこかへと立ち去るのだが、その日は扉を押さえたまま何かを待っていた。


 その様子を訝しみながら眺めたアイオーンは、颯爽と扉から現れた人間の姿を見て、思わず口を噤んだ。


「やぁやぁ、元気かな? ちなみに、あたしは元気だよぉ? 見ない間にずいぶんと大きくなったみたいだねぇ。久しぶりに会ったんだし、少し話でもしようじゃないか!」


 言葉を並べながら部屋へと入って来たサーナが、屈託のない笑みを浮かべたまま、アイオーンの近くへと歩み寄ってくる。


 そんなサーナから顔を背けた彼は、深く息を吐きながら無視を決め込んだ。


 少なくとも、今の彼にとってサーナの存在は好ましいものでは無い。


 当時こそ、あまり状況を飲み込めていなかったが、今から思い返せば、このような状況になったのは彼女が原因と言っても過言では無いだろう。


 それは彼女も分かっているはずなのだが、どうもそういう訳でもないらしい。


 ニコニコと笑みを浮かべているサーナを見て、アイオーンはそのような感想を抱いた。


 部屋に沈黙が漂う。


 その沈黙を嫌がったのか、彼の世話役である人間はどこかに立ち去ってしまった。


 乾いた音と共に扉が閉まり、完全な二人きりの空間が完成する。


 それを確かめたサーナは、一つ息を吐くと、再び言葉を並べ始めた。


「いやぁ、君と話をする場を設けるのに、ものすごく苦労したんだよ? これでも、あたしはこの国で顔が効くからねぇ。もっとすんなりいくと思ってたんだけど。そろそろここも潮時かなぁ。いやいや、そんな与太話をするためにここに来たわけじゃないんだよねぇ。アイオーン、君は何をしているんだい? いや、何がしたいんだい?」


「……」


 サーナの言葉を聞いたアイオーンは、思わず返答しそうになったものの、何とか言葉を飲み込んだ。


 そうして、心の中で告げる。


『何をしたいのかって? それは僕が聞きたいよ。なんでサーナは、グランにあんなことをしたんだい?』


 思いつつ、告げない。


 ただ、思いの丈を視線に乗せてぶつけるように、彼はサーナを睨み返した。


「どうしたのかな? しばらく会わないうちに喋れなくなったわけじゃないよね? まぁ、いいや。どっちみち、あたしは君の意見を聞きに来たわけじゃないからねぇ。あたしはね、君が何をしたいのか、実は知ってるんだよねぇ。知ってるんだけど、敢えて聞かせてもらいたいんだ。……君は何がしたいんだい? なぜ、何もしないんだい? 教えてくれないかなぁ」


「何もしてない訳じゃない!」


 煽るような表情と口調で畳みかけて来るサーナの言葉に、思わず言葉を返してしまう。


 返してしまって初めて、彼は抱く。


『何をしてたんだ?』


 目の前でニヤニヤと笑みを浮かべているサーナを見ながら、彼は思う。


 毎日毎日、くたびれるほどの訓練を受け、美味しい訳でもないご飯を食べ、硬い床の上で眠りにつく。


 そうして、目が覚めるまで夢を見た後、再び訓練を受ける。


 それが続くだけの日々。


 とは言え、何もしていないわけでは無い。


 きつい訓練のお陰で、精霊の力を自在に操ることが出来るようになった。


 初めのうちは長い距離を飛ぶことで、すぐに疲れ果てていたのが、今では楽しむことが出来るようになった。


 気が付けば、都市を氷漬けにすることが、容易くなっていた。


 ここまでの成果を上げて、何もしていないと言われる謂れはない。


 そこまで考えた彼は、ふと思う。


 なぜ?


 なぜ、そんなことをしなければならない?


 気づくべき大事な事が、あと少しで見つかりそうになった時。


 珍しく黙りこんでいたサーナが、口を開いた。


 まるで、アイオーンの思考が、どこかに行き着くことを待っていたような、そんなタイミングで、サーナは言う。


「それじゃあ、あたしは今から旅に出るから。君と会うのは、これで最後になると思うんだよねぇ。だから、最後に一つ教えてあげるよ。グランに会ってごらん。君が言えば、会わせてくれるんじゃないかな? と言うことで、あたしはこれで失礼するよ。また会うことがあれば、その時は、愚痴でもなんでも聞いてあげようじゃないか。それじゃあね」


 そんな言葉を残して、サーナは颯爽と扉から出て行ってしまった。


 立ち去る彼女の後姿を見送りながら、アイオーンは、呆ける。


 グランに会える。


 そう考えた時、彼の中で鮮明な映像が流れた。


 あの日、あの時の光景。


 エリーゼが残した表情と言葉。


 それらを思いだした彼は、先ほど抱いた疑問の答えを唐突に理解する。


 なぜ、今まで理解できていなかったのか。自分でもなぜかわからなかった彼は、無性に体を動かしたくなった。


 未だ半開きの扉に、思い切り体を打ち付けると、勢いのまま廊下へと飛び出す。


 先ほど出て行ったはずのサーナの姿はすでになく、数人の人間が驚きながら彼のことを凝視している。


 嗅ぎ慣れていないニオイのことは無視することにした彼は、そのまま廊下を突き進んだ。


 駆ける途中、大勢の人間を弾き飛ばしてしまうが、構いはしない。


 最も嗅ぎ慣れているニオイを探し、猛烈なスピードで駆けた彼は、廊下を進んだ先の広場に目的の人間を見つけ、駆け寄った。


 彼の視線を一身に受けている世話役の人間は、全く微動だにせず、ただ彼のことを睨み返してきた。


 その様子に不気味ささえ抱いた彼は、とにかく聞くことに撤することにした。


「グランはどこ? 僕はグランに会いたいんだ。会わせてよ!」


「それはムリだ。出来ない」


 短く、淡々と答えるその声を聞き、アイオーンは少しばかり憤りを覚える。


「どうして? サーナは会えるって言ってたよ!?」


「サーナ? なぜあの女が?」


 珍しく疑問を口にした世話役を見て、アイオーンは混乱する。


 まるで、アイオーンの口からサーナの名前が出てくること自体に、疑問を持っているように見えたのだ。


 世話役の様子に違和感を覚えたアイオーンは、次の瞬間、嫌いなニオイが近づいて来ていることに気が付き、ゆっくりと首をそちらへと向けた。


「ハーザック……」


「何をしている! アイオーン。部屋へ戻れ!」


 いつも通りのしかめっ面で現れたその人間は、その屈強な身体で大勢の人間を押し退けながら、アイオーンの元へと歩いてくる。


 その時になって初めて、アイオーンは自身が大勢の人間によって囲まれていることに気が付いた。


 様々な武器を手に、彼のことを取り囲んでいる人間達は、その顔に恐怖を滲ませている。


 そんな人間達を宥めるように両手を開いたハーザックは、鋭い目つきでアイオーンを睨みつける。


「アイオーン! 私の言う事が聞けないのか! 早く戻れと言っている!」


 腹の底に響き渡るような怒声を聞き、一瞬、気持ちが揺らぎそうになったアイオーンだったが、すぐに気を持ち直し、逆にハーザックを睨み返した。


「いやだ」


「貴様! 反抗する気か! どんな目にあっても良いと言うのか!」


「そんなことはどうだっていい! グランに会わせろ!」


 そう言いながら、彼はハーザックの目の前に、右足を叩きつけた。


 綺麗に舗装された床が、一撃で抉れる。


 その様子を見たハーザックは、しかし、ひるむわけでもなく、淡々と告げた。


「貴様、この状況が分かっているのか。反抗するのであれば、この場に貴様の仲間はいない! よく考えて行動しろ!」


「お前達なんかどうだっていい! 僕の仲間はグランだけだ! 早くグランに会わせろ!」


 言いながら、アイオーンはエリーゼの最期を思いだした。


 彼女にとっての仲間を、民の命を、奪ってしまった事。


 今更になって後悔をし始めていた彼は、心のどこかで思う。


 仕方が無かったのだと。


 全てはグランを守るため。


 反抗すれば、彼が危険にさらされてしまうかもしれない。


 グランが連れ去られてしまった日に言われたことを、いつの日にか忘れてしまっていた。


 それを思いだした今、グランを連れて、どこかへと逃げればいい。


 今なら、それくらいの事、容易い。


 そんな甘くて温い考えしか浮かばないのは、ひとえに、彼が未熟なうえに傲慢であるが故だろう。


 それを突き付けるように、ハーザックが告げた。


「奴は国家反逆罪の疑いで処刑されている! 死んだのだ! 貴様にはもう、一人たりとも仲間はいない!」


 その言葉を聞いたアイオーンは、一刻の間、記憶が飛んだのだった。

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