第177話 夜光

 イルミナがレイピアを構えながら飛び掛かったのを見て、オルタも動く。


 飛び立とうとするトアリンク族の男はイルミナのレイピアを素早く避けながら、後退した。


 斬撃を躱されたイルミナが一旦距離を取ろうと足を止めた時、オルタが入れ替わるように追撃を行なう。


 さらに後退せざるを得なくなったトアリンク族の男は、忌々しげにこちらを睨みながら、翼を大きく羽ばたかせた。


 巻き起こった風で、一瞬視界が狭くなる。


 思わず立ち止まったオルタの隙を付いたトアリンク族の男は、大きく後ろへと飛び退く。


 薄闇の中に消えた姿を追いかけるため、オルタは松明を掲げながら後を追った。


 既に飛び立ってしまったかと考えたオルタだったが、予想に反して、トアリンク族の男は未だに姿を消さずに立ち尽くしている。


 そんな男が何かを翼で持っていることに気が付くと、オルタは思わず足を止めた。


「……それは!?」


 薄暗い中で鮮明に見えるわけでは無いが、オルタにはそれが小さな瓶のような物に見えた。


 トアリンク族の男は、その小瓶をゆっくりと自身の左胸に当てる。


 その行動が何を意味するのか、オルタには理解できなかった。


 ただ一つ、彼にも分かったことがある。


 トアリンク族の男が着ていた衣服に、真っ赤なラインが浮き出て来たのだ。


 まるで、小瓶を当てた左胸から全身に広がったそのラインは、まるで血液のようにも見えてしまう。


 嫌な記憶を思い出したオルタだったが、すぐに違和感に気が付き、その正体を理解した。


「……色が違う?」


 あの時見たものは、赤ではなく蛍光色だったはずだ。思い出しながら、思わず呟くと、トアリンク族の男が反応を示す。


「ほう? これを見た事あるのか?」


 ぼそりと呟いたオルタの言葉を拾ったトアリンク族の男は、そのままゆっくりと翼を広げ、宙に浮かび上がった。


「なっ!?」


 大きな翼を羽ばたかせることなく、直線的に上昇する様子を見て、オルタは驚愕する。


 しかし、次の瞬間には納得した。


 あの時と同じだと。


 天井に立っていたり、異様に重たい女だったり。


 だとすると、かなりの強敵になりうるのではないだろうか。


 オルタがそんなことを考えた時、背後から野太い吠え声が聞こえてきた。


 咄嗟に振り返ったオルタは、レイガスの着ている服にも同じような赤いラインが浮き上がっているのを目にする。


「面倒くせぇ……。おい!鳥頭!てめぇ、俺が行くまであいつを殺すなよ? ぶっ殺すのは俺だからなぁ?」


「なぜ私がそんなことを約束せねばならない? どうしてもいたぶりたいのであれば、さっさとそいつらを片付けて追いかけてきたらどうだ?」


 上空に浮かび上がったトアリンク族の男に対して舌打ちをしたレイガスは、凍り付いている左腕を顔の前に突き出す。


 突き出された彼の左腕を覆いつくしていた氷が、見る見るうちに蒸気を上げ始め、解けだしていった。


 そんな様子をみたイルミナが、レイガスを睨みつけながら呟く。


「リキッドですか……」


 思わず抱いた疑問を言葉に出しそうになったオルタは、上空をトアリンク族の男が飛び去って行ったことに気が付き、気を取り直す。


 今はそれどころではない。


「オルタさん。あなたはすぐにあの男を追いかけてください。こいつは私が相手をします」


 イルミナはそう言うと、持っていた松明を思い切り地面に突きさし、レイガスに対してレイピアを構えた。


「でもっ」


 氷を使うあんたがレイガスに勝てるのか?


 今しがた見た、氷が解けて行く様子を思い返したオルタがそう言おうとしたその時、彼は周囲の温度が一段階下がったのを感じた。


 白い呼気が視界に入り、気のせいでは無い事を理解する。


 突然の事に動揺しているオルタに向けて、イルミナはこちらに目を向けながら言った。


「やらなきゃいけないこと、あるんでしょう? さぁ、はやく!」


 優しく微笑みかけて来る彼女の言葉を聞いたオルタは、そのまま何も言わずに走り出した。


 かなり遠く、上空に見える赤い光を見上げながら、全力疾走する。


 その時、再び平原に光の柱が打ち上げられた。


 街よりも南の位置で打ち上げられたその光を見て、オルタは進行方向を修正する。


 そしてそれは、上空の光も同じだった。


「くそっ! 速い!」


 夜空を見上げ、前方を見据え、足元に注意する。


 暗闇の平原を松明一本で全力疾走するのは流石のオルタでも一筋縄ではいかなかった。


 くるぶし程度まで伸びている雑草が、彼の脚に絡みつき足を鈍らせる。


 飛び交う羽虫は彼の顔に向かって飛び掛かり、視界を曇らせる。


 何度か足元に転がっている石ころを踏みつけたオルタは、そのたびに転げそうになりながらも踏ん張り、走り続けた。


 気が付けば、赤い光が二つの松明の上空に到着しており、ゆっくりと旋回を始めている。


 ヤバい。


 端的にそう感じたオルタは、走りながら肺一杯に空気を吸い込み、全力で叫んだ。


「カリオス! 気を付けろぉぉぉぉぉ!」


 まるでオルタのその叫びを合図にしたかのように、赤い光が急降下し、二つの光へと接近した。


 光が一つ、吹き飛ばされる。


 その様子を見たオルタは、怒りに震える全身を抑えながら、さらに走る速度を加速させる。


 守れなかったかもしれない。既に遅いのかもしれない。


 そんな考えを頭の中からふるい落とすように、全身で走り続ける。


 少し先の方で誰かが対峙している。


 恐らく、タシェルと先程のトアリンク族の男だろう。


 詳細な状況が分からないだけに、焦りが湧きだす。


 そんなオルタの眼前から、一つの光が消えた。


 事実を言えば、突如として盛り上がった土壁が妨げとなって、松明が見えなくなっただけなのだが、この時のオルタには何が何だか分からなかった。


 突然、全身が硬くなったかと思うと、オルタはその場で前のめりに倒れ込む。


 荒くなった呼吸と浅くなった思考の中で、彼が認識できたのは自身の腕だけ。


 目の前に見えるゴツゴツとした太い腕に、今までにはなかった鱗のような物が目に映る。


 しかし、この時の彼にとって、そんなことはどうでもよかった。


 消えてしまった光。


 二つとも消えてしまったことが何を意味するのか。考えたくもない嫌な考えが、彼の頭を支配する。


「……やめ……ろ……」


 自身の口から洩れたその言葉を理解することなく、彼の意識は深い闇に閉ざされていったのだった。

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