第98話 海亀
船長をすると言い出したハイドは船底に落ちていたオールを手にすると、勢いよく島に向かった小舟を漕ぎ始めた。
一瞬だけ、少し頼もしいと考えたタシェルだったが、船をこぐだけで他には一切目もくれないハイドの様子に違和感を覚える。
「あの……漕いでくれるのはありがたいんですが、他に何かないんですか?その、遭難しないようにするための秘密兵器とか、漁師としての勘とか……。」
「は?そんなもんあるわけねぇだろ。こんなちっちぇ船が嵐の波に耐えれるはずなかよ。今できるのは、バリバリ急いで島に向かう事だけたい。そげんなことより、お前は精霊に指示ば出しーよ。この船もっと安定させれんと?」
ハイドの答えを聞いたタシェルは改めて小舟を見返してみる。確かに、こんな船で耐えられる筈が無いと言うのは、同感だ。
大人しく、ハイドの指示通りに動くことにしたタシェルは、シルフィに呼びかけを試みる。
「シルフィ!ちょっと戻ってきて!」
「はいはい!戻ってる、戻ってるよぉ!どうしたのどうしたの?休憩の時間?そうなの?」
タシェル達の上空で船への風を弱めていたシルフィは、呼び掛けの声を聞きつけると、すぐさまタシェルの鼻先に舞い戻ってきた。
「ごめんね、まだ休憩は出来ないんだ。ちょっとお願いしたいことがあって。この船の周辺だけ波を弱めたりできる?できれば、風も弱めながら波も弱めてほしいんだけど。」
「?波と風を弱めるの?えー、面倒くさいなぁ。それより、それより!この船をぶっ飛ばした方が楽しくない?ねぇ、楽しくない?」
「そ、それはちょっと怖いかな。あはは。やっぱり、波だけで良いよ。波を抑えてくれる?」
「了解合点承知!波を抑えるよ!」
元気よく答えたシルフィが渦に呑まれていくように海中へと消えていったのを見届ける。そうしてハイドの方を振り返ると、怪訝な表情の彼と目が合った。
「おめぇ、何一人で喋ってんだ?大丈夫か?」
「一人で喋ってないです!ちゃんとシルフィが居ました!」
「ハイドさんにはシルフィの声が聞こえないんですか?私は姿は見えないんですけど、声は聞こえますよ。」
ハイドの物言いに少しだけ憤りを感じたタシェルをフォローするかのように、ミノーラが口をはさむ。
すると、今度はミノーラに対して怪訝な表情を向けたハイドが、再び口を開いた。
「お前らって、変な集まりだな。ウルハ族と精霊術師だけでも充分珍しい組み合わせやけど、言葉を話さない男と、逆に言葉を話す犬も一緒なんだろ?お!?波が一気に減ったばい!これならバリはやで島に行けるっちゃね?」
ミノーラの質問に答えるわけでもないハイドの言葉に、一言文句を言ってやろうと構えていたタシェルだったが、猛烈な勢いで船を漕ぎ始めた彼に話しかける気にはなれなかった。
仕方なくミノーラと目を合わせた彼女は、肩をすくめて見せる。どうやら、ミノーラも欲しい答えが得られずにモヤモヤしているようだったが、同じく声を掛ける気はないようだ。
仕方なく、二人で並んで座り、海の様子を見ていることにした。
「それにしても広いですねぇ、それに、底が見えないです。海ってどれくらい深いんでしょうか?」
「さぁ、私も知らないなぁ。」
「俺も知らねぇな。」
「……。」
まさかハイドが返事をするとは思っていなかった二人は、少しの間目を合わせた後、笑いをこらえた。その様子に気が付いたのか、ハイドが船をこぐ手を休めながら声を掛けてくる。
「どうした。」
「いや、何でもないですよ。それより、ハイドさんは海に詳しいんですよね?それなのに、海の深さを知らないんですか?」
取り繕うように質問を繰り出したミノーラに対して、内心感謝しながら、タシェルはハイドの様子を伺う。
問い返されたハイドはというと、再び船を漕ぎ出しながら、律義に答えている。
「分かってねぇようだから、一応言っておくが、海の恐ろしさを舐めちゃいかんばい。ここにいる俺が言えることじゃないけどな。海の底なんか人が見るような場所じゃないってことたい。」
「ハイドさんは海が怖いんですか?」
思った以上に真剣な様子のハイドに対し、ミノーラも真面目な口調で問いかけている。
「あぁ、怖い。俺は一度海で死にかけたからな。運よく助けられたけん、こうして生きてるけど。本気で死ぬと思ったばい。」
「漁の最中とかだったんですか?」
タシェルは何気なく尋ねてみた。
良く考えなくとも、運よく助けられたとすれば、周囲に人がいる状況だった可能性が高い。でなければ、運よく助けられることなど、ありはしないだろう。
そう高を括っていたタシェルは、返って来た答えを聞き、耳を疑うことになる。
「……その時、漁はしてなかった。親父の言いつけを破って、一人で島に行こうとしよったけん、誰もおらんかったはず。」
「じゃあ、誰が助けてくれたんですか?」
タシェルが抱いた疑問を口にする前に、ミノーラが口を開いた。
それを待っていたかのように一瞬息を呑んだハイドは、船を漕ぐ手を休め、こちらを振り返ったかと思うと、神妙な面持ちでこう続けた。
「……砂浜で目が覚めた時、俺の傍に一匹の大きなウミガメがおった。そいつが助けてくれたのかどうかは分からんけん、なんとも言えんけどな。そん時、俺は思ったんよ。親父が信じてる神と、本当に存在している神は、別者なんやないかとなぁ。」
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