第74話 恐怖

「さて、話の続きを始めよう。」


 先程までとは打って変わり、重たい口調で話し始めたマーカスが、ドクターファーナスに視線を向け、軽く頷いた。


 ドクターファーナスはそれに応えるように、ため息を一つ吐くと、持っていた手提げカバンから小瓶を一つ取り出した。それを見たカリオスは、驚きのあまり立ち上がる。


「落ち着きたまえ、カリオス。それはハームの自室を調べていた時に出てきたものだ。クロムがあの時持ち逃げした小瓶と同じものでは無い。中身までは保証はできないのが苦しいところだが。」


「で、先生。それは結局何だったのですか?」


 ドクターファーナスに向けて、ハリスが声を掛ける。当然ながらこの場にいる者は全員、同じ疑問を抱いているだろう。その疑問に応えるように、ドクターファーナスは説明を始めた。


「まず、私はこのような薬を初めて見たわ。断言できる。今まで見てきた毒の中で最も厄介な代物よ。そして、行方不明になって地下牢で囚われていた13人は、恐らく、この毒を作り出すために実験台にされたんだと思うの。」


「やはりか……。」


 正直なところ、カリオスは今の話に着いていけている自信が無かった。医療のことにはあまり詳しくないのは事実だが、それ以上に、その13人の症状などを詳しく知らないのだ。ただ、意識が無いということくらいしか知らない。


 その旨をメモに書き記し、マーカスに見せる。


「あぁ、そうか。13人の症状は、意識が無いと言う事だけだ。目立った外傷も、生命活動の異常も、何一つ見当たらない。自我や意識と呼ばれるものだけがスッポリと抜け落ちている。まるで植物のようだよ。」


「……残酷だわ。」


 自身の手の中にある小瓶に切ない視線を注ぎながら、ドクターファーナスが呟く。きっと彼女には思うところがあるのだろう。何しろ、昨日は休む間もなく治療を行なっていたのだ。正直お手上げだったのだろう。


 見たところ身体に異常は何もないのも関わらず、意識を戻さない患者。医者として何もできないのが一番悔しいかもしれない。


「先生。薬の製造はできないのですか?逃げた男が持っていたということは作るのも可能ではないのですか?」


 そう尋ねるハリスの声には、どこかあきらめが入っているように聞こえた。どこか、確認をしているようにも聞こえる。そんな彼の言葉に応えたのはマーカスだった。


「ハリス会長。私はあの男が薬を作っていたとは思えないのですよ。ハーム元副会長に聴取を行なったところ、クロムがその毒を蔓延させ、ハームが薬を開発したと宣伝し、協会の儲けを上げようとしていたようです。ただ、その話を持ち掛けたのはクロムのようで。」


「だとするなら、薬は必ず作っているのではないか?」


「いえ、あの男には目的があるのですよ。去り際の様子を見る限り、ただ、悪だくみで金儲けをすることが目的とは到底思えない。常人には到底理解し得ない企みがあるのだと思っています。それに、タシェルが言っていた通り、前金は既に受け取っていた可能性が高い。ここで私の推測を話す前に、その毒について、詳細を聞いても良いでしょうか?ドクター。」


「……どういう方法を使ったのかは分からないわ、ただ、命を直接削り取るみたいなの。精霊たちに聞いたのよ、そしたらみんな、この毒を死だと言うの。概念とか考え方ではなく、この毒自体のことを。多分、生命エネルギーに直接関わる何かが引き起こされているのよ。」


「生命エネルギーを直接削り取る……死……。だとするならば、クロムの狙いはっ!」


 ドクターファーナスの説明を聞き、何やら思考を巡らせていたハリスが、鬼のような形相で立ち上がると、マーカスに向かい歩み寄った。


「なぜ奴を逃がした!今すぐに捕まえねば大惨事が起きてしまう!追跡は出来ているのだろうな!?」


 ものすごい剣幕で捲くし立てるハリスに対し、異常に落ち着いた様子のマーカス。彼はされるがままに肩をゆすられていたが、しばらくしてようやく口を開いた。


「取り逃がしてしまったことに関しては、非常に申し訳ない。そして、説明ありがとうございます。ドクター。ドクターの説明とハリス会長の反応で、残念なことに私の推測がある程度正しいと言うことが分かりました。やはり、蔓延させるための感染源は精霊で間違いないのでしょうか?」


「おそらく、そうでしょう。」


『なぜ精霊が感染源になるんだ?』


 カリオスは単純な疑問をメモに書き記し、マーカスとハリスに見せた。すると、ハリスが腕組みをしながら答えてくれる。


「精霊と精霊術師の契約について、先ほど説明をしたと思うが、契約をする際に生命の部分的結合を行うのだ。つまり、人と精霊の生命エネルギーが一部分だけ繋がる。一度でも精霊と接触した人間は、その部分結合が起きやすくなっているのだ。契約は精霊の意思に依存し、精霊は生命エネルギーの減少により、外部からのエネルギー補給を開始する。つまり、人から命を奪うことになる。そうなった場合、どうなるか分からない。最悪の場合、大量の人間の命が尽きてしまうかもしれない。」


『……なるほど。つまり、毒の影響で弱った精霊と接触してしまうと、13人と同じような状態になるか、命を落としてしまうってことか。だとしたら、確かに大量の人間に被害が及ぶな。』


 特に、この街には精霊術師も多いし、生活の中に精霊が深く関わっている。ドクターファーナスに治療を受けただけの人間も、ほぼ全員危険なわけだ。


「……どうしてこんな物を考えつくのかしら。嫌だわ。本当に嫌。」


 今にも泣きだしてしまいそうなほどにしょんぼりとしているドクターファーナスがぼそりと呟き、沈黙が部屋に広がった。誰も言葉を発する気にならない。


 ただ普通に生活していただけの大勢の人間が、巨大な悪意によって命を脅かされていた。それも、人知れぬうちに計画は進んでいたのだろう。この場にいる全員が、既に命を落としていてもおかしくは無かったのだ。


 これを恐怖と言わずに、何と呼べばいいのだろう。


 確かに、ミノーラ達には早すぎる話だったと、カリオスは考える。ハリスはここまでの話だと予測していたのだろうか。


 ふとハリスに視線をやったカリオスは、頭を抱えこみ、深いため息を吐いている様子を見て、思う。どうやら予想以上だったようだ。

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