第72話 引継
ミノーラ達と合流したタシェルは、ハリス会長からそのまま着いて来るように言われた。何やら、昨日のことを聴取するため、治安維持局に行くらしい。
「まだ少し時間があるらしいので、お二人に街の案内をしてもらっているんです!」
ケガをしているとは思えないほどに元気溌剌なミノーラがそう告げる。タシェルはというと、ブンブンと振り回されているミノーラの尻尾を見ながら、尾の根元に巻かれている包帯が外れてしまわないか、ハラハラしていた。
「あの人は何をしているんですか!?」
「あれは、運び屋さんよ。いろんな建物を建てたり修理したりするための、重たい材料を運んでいるのよ。だから、力持ちのウルハ族が多いでしょう?」
「そんなにたくさんの物を運ばなくちゃいけないんですか?それに、ものを運ぶなら、風の精霊に頼んだ方が良いと思います!シルフィさんとか!」
大きな荷物を背負い、街中を駆けていくウルハ族の男たちを見ながら、ミノーラとドクターファーナスが会話をしている。それを隣で聞いているタシェルは、思い出したようにドクターファーナスに尋ねた。
「風の精霊と言えば、ドクターファーナスはどうしてシルフィのことを知っていたのですか?」
「実はね、私が初めに契約したのがシルフィなのよぉ。まだ若かったわぁ。丁度あなたと同じくらいの歳だったわね。その時私の先生だった人から、シルフィとの契約を引き継いだのよ。それからズーッと一緒にいたわ。」
楽しそうに話をしているドクターファーナス。偶然なのか、話を聞いていたのかは分からないが、上空からフラフラとシルフィが降りてきた。そうして、当然のようにドクターファーナスの右肩付近で漂い始める。
ふと、タシェルと目が合ったシルフィが、ひらひらと手を振り、ニッコリと笑いかけてくる。その様子は、いつも通りのシルフィだ。そんなシルフィに対して、タシェルは手を振り返した。
「そうだったんですね。知りませんでした。私はシルフィと契約をしている訳では無いですが、話が出来るので、名前だけは教えてもらっていました。今は誰か別の方に契約の引継ぎはしたんですか?」
「ええ、もちろん。結構前にハリスに引き継いだわよ。だけど……いいえ、ここからはハリスから伝えてもらいましょう。」
何かを言いかけたドクターファーナスは、言葉を濁した後、ハリスへと視線を送った。一気に注目を浴びたハリスは、少し考え込んだ後、言葉を選びながら話し始めた。
「確かに、私は先生からシルフィの契約を引き継いだ。だが今は、タシェル、お前に契約の引継ぎがされているはずだ。と言っても契約は殆ど精霊側の意思で行われるため、お前は何も知らなかったとは思うが……。シルフィの姿が見えるだろう?それが契約している証だ。現に、今の私には、シルフィの姿を認知することが出来ない。モヤモヤとした何かが見えるだけだ。」
「えっ?」
思ってもみなかった返事を聞いたタシェルは、思わず足を止めて立ち尽くしてしまう。確かに、シルフィ以外の精霊をしっかりと認知したことは無かったが、そのことにあまり疑問を持った事は無かった。シルフィと仲がいいからという浅い認識があったのだ。
だが、契約しているのだとすれば、いくつか腑に落ちない点がある。一つは、シルフィがいつもタシェルの傍にいるわけでは無いこと。もう一つは、精霊協会でハームと対峙していた時、呼び掛けてもシルフィは現れなかったこと。
もし契約しているのであれば、この二つはおかしいのではないだろうか。そのような疑問を、ハリスに対してぶつけてみる。
「ですが、私はいつもシルフィと一緒にいるわけでは無いですし、呼び掛けてもこなかったことがもあります。」
「それは、お前が未熟だからだ。精霊術師と精霊の契約というのは、あくまでも生命の部分的結合を行なう物であって、常に共に行動することを誓約するわけでは無い。だからこそ、契約している精霊でも、他人の命令を聞くこともある。この説明をしたのは初めてではないはずなのだが……。呼びかけに応じなかったのは、それ相応の距離が開いていたのだろう。もしや、それは今日の朝では無いか?だとするならば、私がシルフィを出先に連れて行っていた。それで呼びかけに応じるのに時間が掛かったのだろう。」
「……すみません。」
鋭い視線と口調が、彼女の心を抉ってゆく。正直、前半の説明については、意味が分からなかった。生命の部分的結合とは何なのだろう。恐らく、それも既に説明を受けているはずの知識なのだ。改めて聞いた方が良い。それは、頭ではわかっているタシェルだったが、思うように勇気が出なかった。
と、そんな彼女の手を、ドクターファーナスがそっと握る。小さくてか弱い手から、タシェルの手に仄かな温もりが渡ってくる。しかし、タシェルの手のような弾力はあまり感じられなかった。
「こうして手を繋ぐと、暖かいでしょう?そして、色んな物を感じるわよね。柔らかくてハリのある感触だったり、汗っかきで湿った感触だったり、私みたいに硬くて無骨だったり。そうやって、相手の印象を作り上げているのよ。精霊も同じように、私たちと触れ合ったり、話したりする中で、私たちの命……生命エネルギーを印象として覚えるの。だけど、精霊が鮮明に覚えることが出来るのは一人だけだから、その時、一番仲良くしたいと思える相手のことを覚えるのよ。それが契約。だからといって、完全に私たちのことを忘れるわけでは無いから。安心してちょうだい。」
優しく手をさすりながら説明をするドクターファーナスに、タシェルは心が洗われたような気分になった。
とても感覚的な内容で、恐らく正確な内容では無いのかもしれない。現に、ハリス会長は少しばかりもどかしそうな顔をしている。しかし、今のタシェルには、彼女の説明がしっくりと来た。
「ありがとうございます。ハリス会長、ドクターファーナス。私、全然勉強不足だと改めて実感しました。」
そう告げて二人に対し頭を下げる。下げた頭を上げ、ふとハリス会長の顔を見ると、あからさまに驚いている。
「……お前の口からそんな言葉が出て来るとは。何かあったのか?」
「そうですね。まあ、色々とありまして。」
「そんなに今のタシェルさんは変でしたか?私はそうは思えなかったんですが。」
驚くハリスと苦笑するタシェル、そして困惑しているミノーラ。三者三葉の様子を静かに見守りながら、ドクターファーナスは微笑みを浮かべていた。
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