第13話『12月15日(2)』

「先輩!」

 声をかけられた場所は自分のクラスの前の廊下だった。

 時間は昼休み、トイレから教室に戻ろうとしたその時、背後から少女の声がした。

「あ、コンビニの――」

 振り向いた僕は満面とまではいかなくとも、五割程度の笑みは浮かべていたと思う。

 渡りに舟とはこのことだ。こちらから会いに行こうと思っていたのだから。

 彼女は僕の知ってるものとは違う、満面の笑みを浮かべていた。

「昨日はごめんなさい」

 僕に駆け寄るなり、昨日のことを謝ってくる。

 笑顔での謝罪だったが悪い気はしない。

 そもそも、気になんてしていなかったせいもある。

「いや、気にしなくてもいいよ。えーと、どうしたの?」

 突然のこともあり、何を聞いていいものかと一瞬迷った挙句に出た言葉だった。

 曖昧な言葉だった。反応に困る言葉ともいう。

 昨日、これなかったこと? そもそも、僕を何故呼んだのか? イジメられている?

 もっと具体的に聞けばよかったと後悔したが、意外にもすんなり返答は返ってきた。

「とりあえず屋上に行きませんか?」


 僕の通う鳴神高等学校の屋上は生徒達に開放されている。

 屋上のドアを開けると気圧の違いからか、突風が僕達のいる通路に流れ込む。自分の体温が下がっていくのがわかった。

 彼女は風で眼鏡がずれるのか、眼鏡を手で押さえている。

 事故防止のため三百六十度、二メートルを越える金網が張り巡らされてはいるが周りに高い建物がないおかげで景色はそう悪くはない。

 真上を向けば視界に空しか入らず、純度百パーセントの青空が堪能できた。

 僕はあまり利用したことはないが、春先などは昼休みの人気スポットとして賑わっているに違いない。

 だが、こんな季節に好んで冷風を浴びに来る物好きは稀だ。

 予想通り、屋上は生徒が誰一人おらず閑散としていた。

 適当な比較的風があたらなそうな場所を探し、地面に座り込む。

 コンクリート打ちっぱなしの地面が僕のお尻から熱を容赦なく奪っていく。

 打開策として、体育座りの状態でお尻だけ上げるという暴挙にでて見る。

 お尻を上げた状態で前方に体重をかけるため足首が硬い人間には出来ない芸当だが、足首だけは柔らかいと定評がある僕だったのでなんとかお尻が冷えのだけからは逃れることが出来た。

「アイス食べます?」

 一足先に座り込んだ彼女は笑顔でそんなことを言ってくる。

「僕の顔色見てよ」

 プールに長く入りすぎた小学生のように唇が紫色になっているに違いない。

「冗談ですよ、アイスなんてありません」

「よかった」

「その代わりなんですけど――」

 肩にかけてあった鞄から弁当箱を取り出す。

 その代わりという言葉を聞いただけで、ここから先の展開が予想できた。

 お礼にお弁当作ってきたので食べてくださいという、女子特有のアレだ。

 正直にいうと嬉しい。

「お弁当を作ってきました、なので食べますね……」

 彼女はお弁当箱を包んでいた大き目のハンカチを解くと、弁当箱を開け黙々と食べ始めた。

 何故僕を屋上に誘ったんだろう……。

「あ、すみません……なんで忘れてたんだろ……この前のお礼にと思って多めに作ってきたんでした。いかがですか?」

 ハッ、と我に返ったようにパンダのプリントされたお弁当箱を僕の方に差し出し、割り箸を渡してくる。

「え、うん、せっかくだからいただくとするよ」

 渡された割り箸を受け取りながら、傾けられたお弁当箱をよくよく見ると僕の嫌いなピーマンが入っていた。それを避けるように箸を向ける。

 箸がピーマンの肉詰めに触れるようにお弁当箱が追尾してくる。高性能なミサイルのようだった。

「むむ――」

 執拗にピーマンの肉詰めを勧めてくる。

「ピーマンの肉詰めは嫌いですか?」

 どうやらどうしても僕にピーマンの肉詰めを食して欲しいらしい。

「ピーマンの肉詰めには何の恨みもないけど、ピーマンは嫌いだよ」

「ごめんなさい、私ピーマンの肉詰めしか作れなくて」

「それなら仕方がないね……ちなみに他のおかずは?」

 思うところはいくつかあったが口にはしないでおく。

「レンチンです」

「そっかー」

 冷凍食品をいくつか口に入れる。僕がよく知っている無難な味だった。

「ピーマンの何が嫌いなんです?」

「苦い所かな」

「じゃあ、甘いピーマン探しておきますね」

 そんなどうでもいいような会話をしていると、彼女はそれならと言い、鞄から色とりどりの正方形の紙を取り出した。

「私折り紙が得意なんです。この前のお礼に何か折ります」

「へぇー、今時珍しい趣味を持ってるんだね」

 古めかしいというか奥ゆかしいというか。

「確かに地味ですね」

「いやいや、そんな意味で言ったんじゃないよ。それじゃあ、クワガタなんて折れる?」

「え、うー、折ったことはないですが、多分折れます。でも、なんでクワガタなんですか?」

 話しながらも物凄い速さで手が動いている。折り紙素人の僕がみても、これが神業、いや紙業だというのはわかる。

「特に意味はないよ。強いてあげるなら、そうだな……子供の頃よく山に取りに行ってたんだ」

「へぇー、話を広げた方がいいですか?」

「面白くはならないから広げなくていいと思うよ」

「そうですか、あ、出来ました」

 そう言い、僕の前にクワガタを出してくる。

 クワガタの中でも割とメジャーなミヤマクワガタだった。

「ディテール凄いね」

「こだわってみました」

 彼女が頭の部分を触るとクワガタの鋏が開いたり閉じたりする。

 折り紙童貞の僕にはどうやってこのギミックを作ったかさっぱりわからないが、とりあえず見ているだけで割と楽しい。

「じゃあ、僕も何か……一枚いいかな?」

「どうぞ」

 お言葉に甘え、青色の折り紙を一枚頂く。

「何を折るんですか?」

「実は折り紙はしたことがないんだ、でも、鶴は折っているところを見たことがあるから――」

 とは言ったものの、二つ折りにしたところで僕の手は止まってしまう。

 そして数秒考えた後、僕がこれでもない、こうでもない、と的外れな動きで四苦八苦していると、背中から百合の花の匂いが流れてきた。

 そっと、彼女の手が僕の手に重ねられる。

 彼女の手に誘われるようにして、ただの紙に命が吹き込まれていく。

 時折、僕が変に力を入れてしまうせいで、歪になるがすぐに鶴が完成する。

 結局、自分で折ったのは最初の二つ折りと、最後の首の部分だけであった。

「次は一人で折って見てください」

 折り紙が僕の手に渡される。

 さっきの手の動きを思い出しながら、動かしていく。

 いやいや、そうじゃない、そもそも僕にも用事があったんだった。

 手を動かしながら口も動かすことにする。

「昨日、キミが来ないからキミのクラスに行ったんだ。あ、昨日来なかったことを責めてる訳じゃないから勘違いしないでね。そこで、ちょっと気になるものが目に入って……」

「もしかして私の机ですか」

 これだけの会話で察しがつくってことは、自分でもあの机の異常性は自覚しているらしい。

「端的に言うと、キミ、イジメられていないかい?」

「いえ特に、先輩には関係ありません」

 ゆっくりと言いながら、首を振り、目をつむる。

「イジメなんていう言葉でごまかしているけど、暴行を受ければ暴行罪だし、そしてそれで怪我をすれば傷害罪、言葉で脅され、そこに害悪の告知があれば脅迫罪だ。それを見て見ぬ振りをするにはいささか勇気がいるよ」

「普通、無視しない方が勇気がいると思いますけど……」

「本人がそういうなら僕はもう何も『言わない』けど、誰かを頼ることは決して恥ずかしいことじゃないからね」

「先輩、気に掛けていただいて、ありがとうございます」

 言葉も終わり、鶴も折り終わる。

 まるで空気を読んだかのようにチャイムが鳴った。

「その鶴いただけませんか? 記念に」

「どうぞ、拙作ですが」

 何の記念かは聞かないことにしておく。

「ありがとうございます」

 お礼を言う彼女の顔は今日一番の笑顔だった。

 鶴を受け取った彼女は急ぎ足で自分のクラスへ戻り、僕もそろそろ戻らないとといった感じで腰を上げる。

「ん?」

 僕の指は知らない間に、彼女が折ったクワガタに挟まれていた。

 それを指から取り、学生服のポケットに入れる。

 廊下で僕に謝罪している時。

 意表をついた僕の折り紙のリクエスト。

 深刻なイジメの話。

 唯一手作りしたおかずを拒否された時でさえ。

 寒風荒ぶ空の下、彼女は一度も笑顔を崩さなかった。

 なのになんでだろう。

 なんであんなに――悲しそうな目をしているんだろうか。

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