久内さんとカヤノンの、本質
「こんにちは」
「お邪魔してます」
結局、間に合わなかった。キッチンのテーブルを挟み、父親の前でかしこまるカヤノンと久内さん。母さんがブランチとしてスパゲティを茹でてくれている。僕はトーストにバターを塗る。
「叶太」
「・・・はい」
「何しに来たんだ」
来るな、という意味ではない。純粋に何の用件で帰省したか訊いているのだ。
「・・・課題の資料集めだよ」
「資料って、本か」
「・・・本、じゃない。人に会う」
「誰と」
「個人情報だから言えない」
そのまま会話が途切れた。久内さんも外交的なカヤノンすらも借りて来た猫のようにしている。
「お父さん、叶太も大学の勉強、忙しいみたいよ」
「文学部なんぞ、趣味の世界だ」
父親の言葉に反応したのはカヤノンではなく、久内さんだった。
「・・・矢部さん、文学は趣味じゃないです。わたしにとっては」
「ふうん。では、何なんですか」
言葉は丁寧だが底冷えするような棘がある。久内さんは負けずに続ける。
「わたしの、人生の一部です」
「大げさなことをおっしゃいますね」
「父さん、失礼だろ」
そう言う僕を久内さんは軽く遮って父親に語り続ける。
「いいえ、大げさじゃありません。わたしは、小説に救われてここまで生きて来ました。小説は人の生き方そのものを描くことができます」
「空想でしょう、物語は」
「ストーリーや設定は確かに空想かもしれません。ですけど、その中に生きる登場人物たちは決して虚構なんかじゃありません。心も思考も、痛みも感じながら行動し、物語を進めていきます。書いているわたしも同じ痛みを感じながら真剣に書き進めます」
「あなたは小説を書かれるんですか」
「はい」
父親は数秒間考えをまとめてから再開した。
「私も仕事上の文章を書きます」
「はい」
「多くはエンジニアとしての研究レポートや開発メモです。業務日誌のようなものも、社内での稟議書も書きます」
「分かります」
「私は社会人としての責任を持ってこれらの文章を書く。いわば哲学というか、仕事に向かう私自身の姿勢がその中に自然と現れると思う。また、プロジェクトを通すためのレポートや稟議書には私の熱い想いもこもり、それが経営陣を動かして社会に貢献する製品として市場に売り出される」
「わたしも同じ思いで書いてます」
「同じではない」
「・・・」
久内さんの口数が次第に少なくなる。
「叶太。私は叶太が高1の時にもこれと似たような話をしたつもりだったが、どうだ」
「・・・テロの議論を回避して図書館司書をさげずむ話もね」
「社会人としての一般的な忠言だ。久内さん」
「はい」
「あなたが何らかの形で社会に貢献し、その上で趣味としての小説を書くならそれもいい。だが、今のあなたは自分では何も生み出していない、ただの子供だ」
「父さん!」
「何だ叶太。私が間違ったことを言っているか」
偏ってはいるが、父親は何がしか自分なりの信念で語っている。悔しいが、隙が見当たらない。
「矢部さん」
「何ですか、萱野さん」
カヤノンが似合わない静かな口調で父親と話す。
「矢部さんにとって今のお仕事は理想のものですか」
「・・・理想ではない。が、その中でより現実的に対処しながら理想を目指すよう努力はしている」
「それは矢部さんが生きている内に実現できそうですか」
「・・・分からない。あるいは無理かもしれない」
「わたしは久内さんの小説が好きです」
カヤノンの言葉に久内さんが伏せていた目を上げる。え? という表情でカヤノンを見る。それは僕も同じだった。
「久内さんの小説は、ツッコみどころはいっぱいあります。けれどもなんとか一気に理想を実現させたい、っていう強い思いに溢れています。”反転” というのが彼女のキーワードなんだとわたしは感じます」
「反転・・・」
「もちろん、社会人として様々な努力や、きれいごとでないご苦労をされている矢部さんのような方々に、わたしたちは立派な口を利ける立場ではないです。でも、久内さんの、18年という人生の中で彼女が向き合ってきたことも同じように尊いものだと思うんです。彼女は小説で社会に対し何かを成し遂げたいともがいています。だからわたしは久内さんの小説も、叶太くんの小説も大好きです」
父親がぎろっ、とカヤノンを睨む。
「叶太も小説を書いてるんですか」
「・・・はい」
「そうか」
父親はそう言うと席を立った。
「すみませんが私は少し休ませてもらいます。お2人ともどうぞごゆっくり」
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