12
シャフトの振動とホログラフィックパネルの光がやけに頭に響いた。
息が苦しい。コックピットは下半分が完全に演算装置で埋まっている。
単純に空気の量はいつもの半分。それだけでこんなに苦しくなるなんて。
〈SONARに反応あり。ただしORDERは無反応。つまり――〉
〈新種ってことか〉
緊張感を伴った通信のざわめき、シャフトの細かな振動、すべてが鬱陶しい。
〈そういうことになるねぇ。だが、敵の規模は少数。SONARの倍率を上げてみても巨大な個体がひとつ、ということもない。普段と同じ要領で戦えるはずだ〉
〈SOLAVISが正常に作動すれば、の話だけどね〉
〈シェアト! 僕たち科学班で造ったものを馬鹿にするのか!〉
〈そういうつもりじゃないさ。ただ、造ったのはメカニックとシリウスもそうだし、何より今日の戦闘はシリウス次第だ〉
〈くっ……〉
名前を呼ばれたような気がしたけれど、会話が頭に入ってこない。
ベルに、頑張る、って言ったはずなのに、頭がまともに動いてくれない。
〈喧嘩はなしなし。まぁシェアトの言うとおりだ。SOLAVISの使用感もまだはっきりとはわかっていないし、何より今日の戦闘はかなりメンバーも入れ替えてるからね。そのところ注意してくれ、シリウス。シリウス?〉
〈シリウス?〉
「え? あっ」
電源を入れたライトのよう。スイッチはベルのひとこと。
「わかってる。わかってるから」
けど、視界まで霞む。SONARとORDERを重ねたた半球も、そこに映る敵影も、パネル上の十人の名前も、湯気をかぶったようにぼやけている。
〈シリウス、集中力が切れている。僕と代われ。いまならまだ間に合う〉
「それはだめ」
眼鏡を拭く。効果なし。両目を瞑って涙をためて、眼球に行きわたらせる。少し目が楽になった。これでよし。
〈意地を張っている場合か〉
「SOLAVISの仕様ならあなたよりわたしのほうがよくわかってる。何か不具合があってもすぐに対処できる。文句は」
溜息だけが返ってきた。
「シリウスよりアステリズムα全機へ。ポジションを伝えます」
目を細めてパネルに目のピントを合わせる。ちゃんと見えた。
大丈夫、戦える。
「二時の方向、イルとベガ。十時の方向、ウェズンとアナ。五時の方向、シャウラとナオス。七時の方向、ルケとシェアト。正面十二時の方向は、ベルとわたし」
いろいろとイレギュラーが重なってしまったが故の出撃。
このタイミングで実戦になるなんて誰も思っていなかった。テストはαで行う予定だったから、SOLAVISだってわたしのオルキヌスにしか積んでいない。βから増員された四人も、経験は豊富だけどいつも通りにできるとは限らない。
不安要素は多い。けれど、それを言い訳にしてはいけない。わたしが全部やるんだって決めたんだから。ベルにも、頑張る、って誓ったんだから。
「以上。質問はない? ――オーケー」
〈アルマよりアステリズムαへ。注水終了。ハッチオープン〉
「全機、GRIFFONのチェックと映像の同期」
SOLAVISのデータも、わたしのオルキヌスで映像化して、全機で共有しなければならない。そのための変換も、一機ごとの微妙な位置関係による修正も、全部足下にある演算装置の仕事。
問題がないことを確認して、パネル上の新たな項目に視線を移す。
「同期確認。SOLAVIS起動」
慣れない言葉を発すると同時に、緊張が走った。手が震えた。
これがだめだったら、頼りになるのはSONARだけだ。
真っ暗な景色が、わたしの心臓を余計に締め付けてくる。
お願い、ちゃんと動いて――。
ホログラフィックパネルにSOLAVISの文字が流れる。
足下の演算装置が勢いよくファンを回しはじめる。
油みたいにどろどろした熱の塊が、足を掴みながら這い登ってくる。
「うわっ……」
予想以上にきついかもしれない。アルマ内の装置が音波を発し、反響してきたものを各部のセンサーが受け止め、その強度や波長を数値化し、方程式に代入してがんがん計算を回している。計算が回れば回るほど、排熱ファンも回る。
冷静に考えればここで排熱しても意味はないのかもしれない。コックピットは冷たい深海に負けないように保温加工ばっちり。ただただこのなかが際限なく暑くなっていくだけ。でも、そうしないと演算装置は回らない。
戦闘の終了が先か、演算装置が熱暴走で強制終了するのが先か、それとも――
〈シリウス、大丈夫?〉
「うん、大丈夫。大丈夫だから、もうちょっと待ってて」
ベルに強がっても涼しくなることはないけれど。
個別通信を一瞬だけ強制終了させて、唾を飲み込んだ。
「ん……」
と、緑色の光に照らされて、コックピットのなかが一気に明るくなった。
映像化に成功したんだろうか。ただ、暗闇に慣れた瞳には眩しすぎた。
明るさに慣れるまで目を瞑り、痛みが取れてからようやく瞼を開いた。
とんでもないものを見てしまった。
「……すごい」
視界の下半分を覆う真っ白な床。遠くなるにつれて均等に緑色を深めていき、唐突に黒く塗りつぶされる。そこがアルマの端だろう。
その黒のなかにも、目を凝らすとうっすら深緑色の影が見えた。
規則正しい人口物ではない。
荒々しく不規則で、それこそ自然と呼ぶにふさわしい影が。
密集する尖った影と、ところどころに湧き上がるもやもやした影。熱水噴出孔だ。そこから湧き出る金属成分を含んだ熱水が、屈折率の違いで音波までも反射しているんだろう。岩陰の麓にはチューブワームの林や甲殻類の群れ。それぞれが意志を持った生物として勝手気ままに動いてとんでもなくおぞましい。
けれど、いまだけは見ていたい。
OLVISでは絶対に見られなかった世界がここにある。OLVISが見せてくれる世界には、オケアノスとアルマの屋根と、ヴァスィリウスしか存在しなかった。まったく生物のいない死の海だった。
死の海だなんて真っ赤な嘘だ。
この海底には生態系が広がっている。
無数の生物たちが熱水から栄養を得て、あるいは小動物を餌にして生きている。
海底は命に溢れていた。それを、SOLAVISは気づかせてくれた。
「みんな、見えてる?」
〈これが、深海〉
〈すげぇ〉
〈こんなものが……〉
〈成功だ……SOLAVISは成功だ!〉
息を呑んだり騒いだり、頭痛に響く。まぁ、この感動に免じて我慢しよう。
〈シリウス、すごいね、これ!〉
「ふふ、でしょ?」
自分で作ったわけでもないのに自慢したくなった。きれいなものとか珍しいものを誰かと共有するのはこういう気持ちなんだ、って改めて気づいた。
イレギュラーな襲来による緊張した空気はどこにもなかった。
「さぁ、切り替えて。楽しむのは奴らを倒してからにしよう」
〈そうだったな〉
「全機散開」
それぞれの配置を確認し、わたしも自分のポジションに着き、そのときを待つ。
顎を、何かがつたっていった。
視界が不自然にゆがんだ。
心臓がどくり、とひとつ大きく脈打った。
何……これ……。
鉄を背負ったように体が重い。
火傷のように皮膚が火照っている。目尻のすぐそばを汗が流れ続けてとまらない。
そういえば、演算装置の排気熱はどこにいったんだろう。
〈シリウス、充填はまだか!〉
シェアトの叫びに視界が揺れた。
そうだ、敵は?
SONARに目線をやる。痙攣する瞼をこらえて視点を合わせる。
会敵まであと一分。
「前方の三機は充填開始!」
口のなかが粘ついている。唾液が出てこない。
引き金にかけた指は石のように静止したまま。
「嘘――」
〈シリウス?〉
ベルからの個別通信がやけに涼しい。
「大丈夫、大丈夫だから……ッ!」
動いた。SOLAVISが機体表面を昇る気泡を捉えた。
〈シリウス……〉
答える余裕がない。下手に喋ったら、口のなかの水分が全部飛んでしまう。それだけはだめ、指示ができなくなる。ごめん、ベル、と心のなかで三度つぶやく。
鼻からゆっくりと息を吸い、前方を見つめる。奴らがやってくるである方向。
SOLAVISはちゃんと新種の姿も捉えられるんだろうか。
不安は拭い去れないけど、深緑の影が現れることを信じる。
残り30、20、10――。
見えた。
「レーザー発射!」
突き抜ける三条の光。レーザーの光もSOLAVISには映るらしい。
直後、映像が乱れる。白と緑が激しく入り混じる。
〈お、おいなんだこれ〉
〈落ち着けシャウラ! レーザーの振動で音波が乱れたんだ!〉
「狙いは保って!」
発射の勢いで揺さぶられた海水。
これじゃあしばらくの間、SOLAVISもSONARも使えない。
「カフ、SONARとORDERアップにして」
〈いまやってるよぉ……よし!〉
膨れ上がる半球。混乱のなか暴れ回る敵の集団がそこにいた。レーザーの直撃で散らばった奴らの体液や肉片が、くっきりと黒波を吐き出している。
「SOLAVISとOLVISの同期はできないの」
〈そこまでの処理は無理だぁ〉
SOLAVISからOLVISに切り替えるべき?
いや、切り替えるタイムロスが痛い。
ORDERに頼るしかない。ぐちゃぐちゃのアメーバみたいな影。乱れ具合から動きを予想する。普段通りならレーザーを避けて右か左に伸びるはずだけど――。
影はこっちに向いて出っ張っている。
奴らの群れは、レーザーにも構わず直進を続けている。
どういうこと?
群れの先頭に攻撃が当たったのなら、少なくとも直進はやめるはず。ORDERに反応があった以上、レーザーがはずれたわけでも効いていないわけでもない。
群れの先頭に損害は出ている。それなのに真っ直ぐこちらに向かって来ている。
つまり、奴らの先頭はまだ生きている。
レーザーが直撃してから何分経った?
SOLAVISが徐々に回復する。緑のもやを背景に、十数体のヴァスィリウス。
〈どうしてあそこにいるのよ!〉
「全機、十二時の方向にバルカン斉射!」
〈何が起こったんだ!〉
「早く! 弾幕!」
光の球が視界を覆い尽くす。同時に緑色が広がった。ORDER、約一キロ先。レーザーの範囲は三キロだから、わたしの予測は合っている。
緑色を突っ切って、頭上を何体かのヴァスィリウスが駆けて行った。
〈抜けてきたのですか……?〉
「ナオス、シェアト、バルカンは維持したままレーザーでそいつら狙って!」
後方にも光の数珠が二列。
〈どうして当たらない!〉
〈なぜだ、いつもの奴らと速度は変わらないはずなのに〉
突破を許した数匹は大きく後方へ抜ける。
「OLVISは電磁波、SOLAVISは超音波。速度が違うから微妙にずれてる」
黒波が海中を進む速度は光速の約八〇パーセント。彼我の距離を往復したとしても、数キロ程度なら一瞬と言っていい。
超音波が海中を進む速度は毎秒一六〇〇メートル。レーザーの射程限界から帰ってくるだけで二秒もかかってしまう。
その二秒が、大きなずれを生む。二秒あれば奴らは七〇メートルは泳ぐ。
「SOLAVISの映像は現実よりも遅い。気持ち前を狙って!」
ナオスとシェアトなら、これくらいでコツを掴めるはず。
〈当たった!〉
〈こっちは何とかする〉
後方に回った敵影がひとつ、またひとつと砕けていく。一歩前進。
けれど問題は、レーザーの充填が切れてから。敵本隊の自由が利くようになってから。後ろのセファイエに点射させたのは間違いだった?
「ベガ、アナ、レーザー充填。全機そのまま後退、お互いの距離を詰めて」
敵がばらけると厄介だ。陣形を小さくして弾幕の密度を上げる。
「カフ、敵の損耗度は」
〈だめだ、射撃のジャミングがひどい。よくて五割だね〉
「まだその程度……」
幸い群れはまだ形を保っている。まっすぐこちらを目指している。
群れのまま少しでも叩ければいいけど。
〈おい、弾幕抜けてきてるぞ〉
「ブレードはまだ待って」
SOLAVISじゃ距離感が掴めない。ブレードは使い物にならない。
〈充填完了〉
〈後ろも片付いたぞ〉
アナとシェアトが同時に叫ぶ。ナイスタイミング。
「レーザー十二時の方向!」
二つの帯と二つの砲弾。弾幕を抜けてきたヴァスィリウス共々群れを叩く。
本隊の動きがとまった。初撃よりも手応えがある。
敵が近づいた分SOLAVISの誤差が小さくなったんだ。
それでも迫る敵。体の一部を失いながらも色を淡くさせるヴァスィリウスの影。
「ブレード許可!」
〈了解!〉
「弾幕は維持。抜けてきた奴はわたしがやる」
ひとつ、ふたつ、点射で仕留める。
ORDERでは黒抜きされた群れがみるみるしぼんでいく。
いける、このままいけば勝てる。
多少SOLAVISで戸惑いはしたけれど、それも乗り越えた。
弾幕を抜けてきた影が三体。あれが最後だ。
ひとつ、ふたつ。
みっつ――え?
指が、指が動かない。もしかしてさっきのがまた?
〈シリウスに近付くなああああああ!〉
飛び上がり、ブレードを振り上げるベルのセファイエ。
光の刃はヴァスィリウスの首を穿ち、胴体を上下に両断する。
それではとまらなかった。
〈はずした……?〉
ベルが急所を逃した。SOLAVISと現実の誤差がこの致命的な場面で生じた。
指は動かない。奴の姿が白い。驚くほど白い。
SOLAVISでも死の色は白だった。
もう、だめだ。
〈ンの野郎おおおおおお!〉
視界の端からセファイエが飛び出し、奴に飛び掛かった。頭部に両のブレードを深々と突き刺さり、その勢いでアルマの屋上を転がっていく。
ヴァスィリウスがいなくなったあとには、緑色が広がっているだけ。
次に襲ってくる奴はいなかった。
……助かったの?
〈シャウラ!〉
〈痛ってて……。俺なら大丈夫だよ〉
この場にそぐわない軽い言いかただった。
〈む、無茶するなよ……〉
どこか涙声にも聞こえる、シェアトがそんな声を出すなんて。
〈ご、ごめん、シリウス! わたし、わたし……〉
ベル、違うの。
ミスしたのはわたしで、わたしのほうこそ謝らなくちゃいけないのに。
……あれ、どうしてだろう、声が出ない。口も、舌も、重い。
それなのに頭のなかは軽くなったような気がした。
あれ、軽い?
全部が軽い。
軽い。
なんだかよくわからない。
〈敵の反応がなくなった。そっちでも確認してくれぇ、シリウス。シリウスぅ?〉
〈シリウス?〉
〈おい、どうしたんだよ、シリウス。大丈夫か?〉
〈ま、待て。名前の表示が……〉
〈え?〉
〈シリウス……? シリウス!〉
ベルの声だけが聞こえる。
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