第2項13話 忘れ人の宴Ⅲ

 ――グァァ……!! と、呻くような屍人リビングデットの声が『森林迷宮』浅部に木霊している。

 赤黒い肌に、ぼろぼろの布切れを着たヒトもどき・・・・・。知性を感じさせない跛行はこうで辺りを警邏する者、立ち止まり一点を見つめ続ける者。

 ヒト種がそうであるように、彼らにも個性というものがあるようだ。

 おぞましく響くその声に時折体をビクつかせながら、二人の冒険者は姿勢を低くしたまま早足で進んでいた。

 

「……クララ、止まって」


 先頭を歩く銃士ガンナーのアルフレッドは、片手で修道女の法衣を纏うクララを制してから、長銃ライフルのマウントレールから外した照準器スコープを覗き込む。

 彼は照準器上部にある倍率操作の為のツマミを微調整しながら、いい塩梅の視界になるまで覗き続けて。

 敵の数と分布範囲を確認し終えたアルフレッドは、ちっと軽く舌打ちして、覗いていた照準器を後ろのクララに手渡した。


「数匹いますね、どうすれば……迂回しようにも、これ以上南に行くとどうやら丘陵が広がってます。飲料も無いですし、不味いですね……」


 照準器を覗き終えると、クララはおもむろに法衣の下をもぞもぞと漁り、ベルグ近郊の森林迷宮内の大雑把な地図を取り出す。

 彼女の目に映る地形には、アップダウンの激しい起伏や丘が続いていた。


「ちょ、クララ……!!」


 何に憚ることなく盛大に裾をまくり上げ、見えそうな彼女の下着にアルフレッドは慌てて目線を逸らす。

 体ごと視線を切った銃士の動きに合わせて、腰帯に通した雑嚢内に入れた空弾倉がガチャガチャと音を立てた。

 その瞬間、ぽんとアルフレッドの頭に打開策が浮かんでくる。


「……あ、折角空の弾倉マガジンがあるんだ。明後日の方向へ投げて気を引けないかな?」


「うぅん、なるほど……物音で気が逸れている間に、抜けてしまおうということですか」


 長杖ロッドを軽く握り締め、妙案だとクララが頷く。

 照準器を彼女から返してもらったアルフレッドは、再度散らばる屍人リビングデットを観察。

 赤黒い肌と奇怪な動きさえなければ――形だけはヒトのそれらを油断なく見つめ、彼は弾倉のない長銃の引き金トリガーを弄びながら考える。


「待って。ヤツら、鼻が利くと思う?」


 耳が利くのは、先ほど一行パーティの前衛二人が上げた叫び声に屍人リビングデットが反応したことから、証明済みだ。

 群れに囲まれた彼らの最期は酷いもので、引き倒され、圧し潰されるようにして露出している部分を余すところなく噛まれて。

 堪らず悲鳴を上げた二人の声に反応した、別隊らしき屍人たちがさらに群がり、かの"海域"で発生するという渦潮の中心に飲まれたような有様であった。


「どうでしょう……屍人リビングデットは魔族とは言っても、元ヒト種ですから、とりわけ耳鼻の利く獣人だった訳でもない限りは、大丈夫だと思いますけど……」


 ――「原則として、屍人は生前以上の力は持たないはずです」とクララは注釈を加えた。

 生前というのは魔族堕ちする前、すなわちヒト種であった頃を指す。

 例えば剣を扱う冒険者が屍人に堕ちれば、魔族となった後も剣を扱うことができるのだ。ただし、大体は生前以下の力しか出せない。


「……でも、一種の例外もあるみたいですけど。生前に強い力を持っていた者が、屍人リビングデットに噛まれるとかじゃなくって、真っ当な死後に・・・死霊ハ・デスによって魔族堕ち――新たな魔族の始祖となると、生前よりも強大な力を持つのだとか」


「ええと、俗にいう新種の不死魔族アンデットになるってことか。さすが修道女シスターだ、クララの方が断然詳しいね」


 敬虔な修道女は、自身の宗派の教会で学んだ知識を思い出すように、そっと桜色の唇に手を当てながら言う。

 碌な教育というものを受けたことが無いアルフレッドは、それを聞いて感心するようにかぶりを振った。


「もう、まだクーは見習い修道女ジアシスターですよぉ……? これまでの話で分かっているかとは思いますが、屍人リビングデットの知性がどうなっているかは個体差があるらしいです。だから――」


「あんまり舐めて掛かっちゃ不味いってことだね……どうする?」


 褒められ慣れていない見習い修道女は、少し顔を赤らめて口を尖らせる。

 クララは一度ぶんと頭を振って火照った頬を冷まし、思考を切り替えて屍人へと話を戻して。

 彼女の声に続き、アルフレッドが二の句を継いだ。


弾倉マガジンを投げて気を引くのは、良い考えだと思いますから――屍人が明後日の方を向いている内にやり・・ましょう!!」


 クララがぶんと、軽く長杖ロッドを振るう。

 白樺製の柄の先に、石製で素朴な意匠が施されているそれは、当たり所によってはヒト一人の命を奪えるだろう。


「……クララさ、前衛の方が向いてるんじゃない?」


 屍人がどの程度の索敵能力を有しているのか不明瞭な現状では、彼女の考えが最善策のように思える。

 ほわほわとした印象とは打って変わって、物騒な考え方をするクララにアルフレッドは苦笑した。


「え、ええっ……!? クーはやっぱり後衛ですよぉ」


 ――「光魔法は支援の魔法で、前衛にしてもどんくさいですしね」とはにかみながら長杖をクルクルと弄ぶクララ。

 屍人リビングデットに挑んだとして、噛まれたらお終いのこの状況で、その思考に至ることがまず前衛の証だと考えるアルフレッドはしかし、藪の蛇を突くことはしなかった。


***


 二人の冒険者が見つめる先、屍人リビングデット達は神の啓示を受けたかの如く天を仰いでいた。


『腕の良い冒険者を襲え、同胞を増やせ。ヒト種どもを震え上がらせろ――』


 彼らは本来、群れを成さない。

 屍人とは、死して灰にならなかったヒト種が堕ちて偶発的に生まれるものだ。彼らが動くのは、ひとえに死霊に植え付けられた生者への憎悪故。

 集団性や団結力といった、ヒト種らしい思考は制限されている。


 それはしかし、屍人リビングデットを率いることの出来る上位種がいる場合を除いての話だ。


『従え、下僕どもよ。このデヴォル・アンダーリッチーが、屍人貴様らの街を創り上げてやる』


 脳に響く自分たちを従える上位種の声を聞いて、屍人は動く。

 統制の取れない烏合の衆から、律された集団の動きへと。


 ――ガサガサ、と。

 五匹の屍人で成された小集団の居る場所に、獲物が出したらしき物音が響く。


「……グァ?」


 足を引きずりながらも、屍人の全員が音源へと向かってゆく。

 密集した木々に阻まれ、二匹がその場に取り残された――瞬間。


「――グォァッ!?」「――ガァッ……!!」


 二つの影が、木々の隙間を縫って飛び出す。

 それぞれの獲物は、銃床ストックを上向けた長銃ライフルと先頭が頑丈な石製の長杖ロッド

 ブンッッ!! と円弧を描いて全力振りフルスイングされたそれらが、グシャリと破砕音を響かせながら、それぞれ顎下と頭頂部を強かに打ち付ける。


「クララ、追い打ちだ」「はい、息の根を止めましょう」


 頭部に損傷ダメージを受け、地面に転がったそれらの急所を冒険者二人は容赦なく殴打、殴打、殴打。

 飛んだ返り血を浴びないように、一定の距離を置きながら、振り下ろし、殴打し、殴殺する。


 響いた打撃音により、投げた弾倉の方向へ向かった残りの三匹が、唸り声を上げて引き返してくる。

 彼らの視界に入る前に、二人の冒険者はまた木々の隙間に隠れ伏した。


 その場に残されたのは、動かなくなった屍人二匹。

 戻ってきた残り三匹は、彼らに対しての仲間意識など持ち合わせていない――当然、脳内に響いていた『指示』の遂行に戻る。

 

 ――ガサッ!! 再度放り投げられた空弾倉の音に、三匹がピクリと反応し、その音源の方向を向く。

 捜索の視線が切れた一瞬、再度クララとアルフレッドは飛び出した。


『――追うな。冒険者だ、仲間を呼べ!!』


 屍人の脳内で、声が響き『指示』が上書きされる。

 内二匹が、実行する間もなく修道女と銃士の獲物に強く打ち付けられ、地に伏せるが――


「ガアアアアアァァァァァァ――――――」


 残った一匹の悍ましい絶叫が、森林迷宮浅部に轟いた。

 

「なッ……!!」「ひっ……!?」


 転げた二匹の頭を打ち付けたところで、クララとアルフレッドは異様な砲声に目を剥く。

 その結果は果たして、地鳴りの如く響き来る大量の怨嗟の声が証明していた。


「くっそッ!! 逃げるよ、クララ!!」


「それならこちらですッ!!」


 手早く残った一匹を、銃床の端で打ち付けたアルフレッドはクララの手を取ってその場を離れる。

 ベルグとはあべこべの方向へ先導しようとする彼を止め、先ほど地図を確認していたクララが先頭を張った。

 木等級かけだしの冒険者二人は、危険な冒険に挑んでいる――


***


 足音響く地面から伝わってくる、背後に迫っている屍人リビングデットの群れの気配。

 見習い修道女ジアシスターの、クララ・アルクプレスと銃士ガンナーのアルフレッドは、ベルグ東門を目指してひたすらに走っていた。


「はあっ……はあっ……!! クララ、見えたよ!!」


「ふぅっ……はっ……後ろっ、どれくらいっ、付いて来ているでしょうか!?」


 ベルグの東門が見える位置にまで来て、助かったという安堵の気持ちからか。

 敢えて見るまいとしていた悍ましい屍人の数を、ちらと後ろを向いて確認してしまうクララ。

 ――小刻みにビクビクと、ちぐはぐな動き。

 東門前の開けた場所へ向け、木々の隙間から溢れるようにぞろぞろと屍人リビングデットはやってくる。

 その細く色白な喉から、ひゅっとか細い悲鳴が漏れた。


「ひぃっ……見なきゃよかったですっ!! あの数は、門兵さんが三人程度じゃどうにもならないですよ……!!」


 クララの視線の先には、鉄の全身鎧に覆われた門の傍に立つ兵士二人に、物見として外壁上に立つ一人。

 外壁の上に立つ兵は、退屈そうに伸びをしていた。


「はっ、はぁっ!! っ……ちょっと待って、クララ。門が、開き出してる!?」


 不味い、と開くベルグ東門を見ながら両者とも状況を理解した。

 背後には、噛んだものを堕とす屍人の群れ。

 行く先には、何ら関係のない住民の住まう都市が広がっている。


 ――もし、クララとアルフレッドが引っ張ってきた屍人の群れが、ベルグになだれ込んだら。


 二人は同時に、顔をさあっと青ざめさせた。

 脳裏に浮かぶのは、屍人の体液に侵され大混乱に陥る都市ベルグ内の光景だ。



 ――浮かんだその最悪の情景をつんざくかの如く、二人の子供が開き出した東門から、砲弾の如き勢いで飛び出してくる。

 それぞれ、黒髪と赤髪。

 盲目の少年と元盗賊の少女は、現状を打開するべく構えを取った。

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