第2項10話 動き出す木都ウィール
夜半の森林迷宮深層を、
頭と尻尾以外を覆う重厚な
都市近くの森林ともなれば、多くの冒険者が毎日出入りするだけあり踏み慣らされた道も存在するが、森深くに入るにつれてそれは消えてゆく。
森林迷宮深層ともなれば、道と呼べる道はもはや存在しない。
平地を走るのとは訳が違う。悪路を時に迂回し、低木の密集している枝の間をくぐり、速さを落とさず一定のペースで。
三刻ほどでようやく1.5
(っふう。兎にも角にも、ウィールへと急がなくてはッ!! あんなに焦るティリャン殿は初めて見た、銀等級が恐れるほどの魔族……だが不眠不休で走っても、木都までは五日はかかる。名のある冒険者が
息を整える間も、相棒の
だが急ぎ感情に任せて走ったことろで、疲労が溜まり動けなくなるのが関の山。
何より、森林迷宮にはヒト種を害する
「……つけられているようであるな」
ドライは軽く鼻を鳴らし全身鎧の背中に固定されている、石製で巨大な六角柱型の棍棒を軽々と抜き放つ。
同時に、空いている片方の手で雑嚢から火打石を取り出した。
「
ドライは火打石を
――メキィッッッッ!!!! と、斧で幹を叩く高い音とは気色の異なる音が響き渡る。叩くというよりは、圧し潰すような。
果たして、決して鋭利ではない六角の棍棒が巨木の半ばまでを抉っていた。
「むんッ!!!!」
ドライは気合と共に、埋まった棍棒を全身の力で巨木から引っこ抜く。
同時に、体をその場から3
自重に耐えきれなくなった巨木が、メキメキと音を立てて倒れ始め――ドシィィィィン!!!! と、先ほどまで
(……気配は消えたようである。松明を作っておこう、足場が不安であるし。虫の魔物は寄るが、それ以外は寄ってこない)
ドライは腰帯から
器用に木の皮だけを剥ぎ取り、手早く折って纏めた木の枝がバラバラにならないよう上に巻く。できた太い棒の頭の部分に、雑嚢から引っ張り出した布をかぶせ。水分を多く含んだ細い木の葉を丸めて紡いで、布が落っこちないよう留め金がわりとする。
その後火打石と集めた枝で火を起こし、短刀を熱した。
「樹液が出ているといいのだが……む、重畳である」
熱した短刀を固まった樹液にあてがい、溶かして松明の点火部分に塗りたくる。
起こした火に、布の部分を翳すと――ゴウッ!! と点火した。
ドライは焚火を踏みつけて消火し、念押しと土を上からかける。種火が完全に消えたのを確認すると、松明をもってまた走り出した。
***
星の光が注がれない暗緑の中に、ぼうっと灯る松明の炎。
激しく上下する光源の横には、息を切らす
彼の後ろから聞こえるのは、夥しい程の羽音にキチキチと悍ましい鳴き声。
暗闇に光るその甲虫の目は、魔物らしく赤に染まっていた。
『
ドライは巧みに背後からの針による刺突を躱し、鎧で受け流しながら黒曜石の短刀で反撃を試みる。
だが凶針蜂の体表は固く、よく滑るため刃が通らない。
半刻はそうしていただろうか――木の根を飛び越え、大きい体を枝の間に滑り込ませ。辿り着いた先、視界が開けた。
偶然にも木々が密集しない、暗緑の遮光幕にできた小さな穴。
途切れた天蓋の隙間からは、星明りと共に朝焼けの白光も差し込んでいた。
「グァァ……ようやく、であるな!!」
ドライは逃走を止め、急反転。苛立ちを唸り声に乗せて呟く。
急停止し、迫りくる
「……この蜂どもら、散々追い回してくれよったな。ここなら何に阻まれることなく振り回せる――のであるッッ!!!!」
飛び散る緑の体液を避けつつ、振り下ろして下段にある六角棍棒を斜めに振り上げ。逆袈裟に薙いだ棍棒の直線状に並んだ数匹が、一緒くたに潰れる。
「グァァォォォォッッ!!!!!!」
蜥蜴獣人は
*
蜂どもらを追っ払ってから。二刻眠り、走る。三刻眠り、また走る。
繰り返し無心で、走る、走る、ひた走る。
途中、携帯食料が底をつきるが、木の実や不味い魔物の肉を喰らい、また走る。
飲料が底を尽き、喉が干からびる様だ。
だが、足は止めない。止められない。
走って、走って。足と大地、四肢と大気が混ざって溶けて、どこまでが小生であるのか曖昧になってくるが、まだ走る。
伝えなければ、ティリャン殿は、きっとまだ戦っている。
きっとまだ、生きている。
一体、何度山吹色の日の光を見ただろうか。
久しぶりに、ヒト種の言葉――森林言語を小生の耳が捉えた。
「うーん、今日は切り上げよっか?」
「おいおい、剥ぎ取った『
「でも、もう日の入りだよ? 夜は魔物も狂暴化して、強いの出るし……」
足を止める。
見れば、首に掛かっている
気づかぬ内に、木都ウィールの傍まで来ていたようだ。
声を掛けようと、腹に力を込めようとするが――どうにも膝に力が入らず、地面に崩れ落ちてしまう。
限界だ。視界が揺らぎ、血の色に染まる。
――まだ、伝えれていない。
「……グっ、はぁッ……済まぬっ、少しいいだろうかッ!!」
「おわっ!?」「きゃッ……!!」
這い蹲る小生の姿に驚いたのだろう、駆けだし軽装のヒト二人が驚いたような声を上げる。視界が赤いせいで、大まかな物しか分からないが。
肺が新たな空気を受け付けないのか、息が吸えない。
些末なことである、吸えないなら、残りを全て吐き出して喋るのみ。
「……『最果ての峡谷』で……凶悪な魔族が出た……まだ、小生の仲間がそこに残っている、のだ」
「頼……むっ!!!!
必死にそこまで紡ぎ終えると、視界がぐりんと暗転した。
「おいアンタ!! しっかりしろ!!」「私、同じ依頼受けてる冒険者探して呼んでくる!!」
最後に聞こえたのは、二人の声だけ。
届いてくれただろうか、それだけを思いながら小生は、意識を手放した。
***
木都ウィールが、いつもとは気色の異なる喧騒に包まれていた。
銅等級冒険者ドライ・ウエバーリールが持ち帰った、『最果ての峡谷』に現れた凶悪な魔族の情報は、未だ鉄等級冒険者ティリャン・マシュローウが帰還していないという付帯状況を加えて木都ウィール中に知れ渡ったのである。
木等級から銅等級以下まで、皆
早急に対処せねば――そう考えた
送られた書簡の蝋封を切り、内容を認めた第三王女エルヴィーラ・ケーニッヒ。
玉座のひじ掛けにしな垂れかかり、一度長い睫毛を伏せる。
「魔族、ねぇ……いいわぁ、とぉっても、面白そぉう」
魔族という、退屈を紛らわす極上の情報を耳に入れた、金糸雀色の王女は心底楽しそうに呟く。
目を薄らと開け――ころころ、ころころと。
金糸雀色の鈴を鳴らすように、彼女は笑った。
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