第12話 『頑張って』
「……母さん?」
ローブ内の『
懐から声を伝える『
『うん、私だよ。ごめんねケルン、全部終わったらちゃんと話すから。色々と、全部。だから今は
申し訳なさそうな、心配するような母の声。
状況が読めないケルンの返事を待たず、ミゥは話しかける相手を変えた。
息子にかける優しい母の声ではなく、研究者としての真面目な声音に変え、リセリルカへ向けて言葉を紡ぐ。
『――リセリルカ様、いらっしゃいますよね?』
「ええ、居るわ」
ケルンは、手元にある『拾音器』と『伝音器』をリセリルカの声のする方に近づけ、ミゥとリセリルカが障害なく通話できるように計らった。
ケルンが近づく気配を感じたリセリルカは「ありがと」と一言、その気遣いに感謝を述べ、音声の媒介器に向け存在を示す。
毅然としたリセリルカの声を聞いて、『
『良かったです。居なかったら私がケルンの元へ飛んでいってました』
「……心配する必要はないわよ、ミゥ・ツィリンダー。弱者云々でなくケルンは此処で死なせるには惜しいもの、必ず守るわ」
盲者である自身の息子を認めるリセリルカの言に、ミゥがふわりと笑いながら、当然だとばかりに返す。
『当たり前です、私の息子はすごいんですから。分かっていただけましたか?』
「ふふ、最初は貴女が息子贔屓してると思っていたけれど。聞いてた以上だったわ」
母と少女の会話に、ケルンは疑問を覚える。
リセリルカの態度から、自分の両親と面識があったのは知っていたが、恭しくケルンと同齢であるリセリルカに敬語を使う母の声を聞いて、何かがおかしいと感じるのだ。
もしかすると、リセリルカは『世界』において高い地位に居るのかもしれない。
研究者であるミゥ以上の、それも自分と同齢にして。
ケルンの心情を置いてけぼりにするかの如く、ミゥが言葉を続ける。
『――それでは報告を。こちらは『空間魔法の禁書』を解読できましたので、『転移
「ええ、テイン・ツィリンダーから聞いてると思うけど、持ち出すと上級の『
聞こえてくる会話は、ケルンにとってほとんど分からないものだった。
辛うじて分かるのは、母であるミゥの今回の出張は、『空間魔法の禁書』を解読するためのものだということ。
一番分からないのは、そこに絡んでくるリセリルカとの関係性。
何故、盗賊を討伐しに来たリセリルカに、ミゥが禁書とやらの読了の報告を入れなければならないのか。
『さあ? こと魔法使いに対してなら負けるとは思えないですけど、剣士相手はちょっときついかもしれませんね。今私、無手ですし』
「……冗談よ、恐ろしいわ。やめて頂戴な、犯罪者になられると困るのよ。貴女を敵に回すと厄介どころの騒ぎでないわ。お姉様方の相手をしている方がいくらかマシ」
ミゥの返答に、リセリルカが乾いて固まりつつある血の涙を手の甲でぬぐいながら苦笑する。
『拾音器』の向こうからも、同様にミゥの苦笑する気配。
――禁書を持ち出すとミゥは犯罪者となり、リセリルカと敵対関係になってしまうらしい。
リセリルカは犯罪を取り締まるような役職だということ。紛れも無い上位者だ。
彼女は、雷魔法という――少なくともケルンの記憶には無い魔法を使っていた。
だがそのの手についていた血から、剣で盗賊を殺したと予想される。
彼女は魔法使いか、はたまた剣士か。ケルンは、リセリルカの立場をいまいちを計れずにいた。
主都フォルロッジの『騎士』ということはないだろう。ミゥの職業である『研究者』は、『騎士』よりも上位に当たる職業であるからだ。
『研究者』を取り締まれる立場でもなければ、強さでも敵うまい。
ケルンは、状況が分からないなりに話について行こうと必死で頭を回転させていた。
『さすがに手合い違いですよ、
ミゥが紡いだ次の言葉に、ケルンは見えない白磁の双眸を見開いた。
――『王族』!?
『世界』に疎いケルンでさえも、『王族』のことは知っている。
王族とは現在の、森林地域主都フォルロッジが王の家系の事。
森林地域に住まうヒトは、
――『
リセリルカが纏う、紫電が大きく弾ける。
弾けた電気の枝葉が伸びるが如く。
今までのリセリルカの振る舞いと言葉がケルンの脳内で再生され、全てが繋がってゆく。
――そうか、そうかそうかッ!!
『弱者を守る』という、リセリルカのいっそ傲慢ともとれる物言い。
ケルンと同齢らしからぬ言葉遣い。聞くものを震わすような、力の、自身のある声音。単身盗賊の根城に乗り込む気骨、それを可能にする技術。極めつけに雷魔法。
――今、当たり前のように傍にいるこのヒト。いや、御方は。
かの『雷帝』の娘、『王族』の一人なんだ。
ケルンの驚愕を他所に。
リセリルカとミゥは
「……手合い違いなのは王族と貴女、どっち? 貴方達夫妻は、魔法貴族やらに目を付けられてない事自体異常なのよ。今使ってるこの魔法具だって革新的じゃない? 諜報に情報把握、汎用的で使い道はいくらでも思いつく。戦争でも起こす気?」
『お戯れを……お互いの為にも、あまり深く追求しない方がいいと思います。こちらにも色々と事情があるんですよ。今回は、リセリルカ様の『盗賊団の殲滅』と私達の『空間魔法の禁書』という利害が一致しただけですから』
ケルンは、父であるテインが創る魔法具が戦術的価値があるというのを理解しながら、戦争という単語に引っ掛かりを感じた。
優しい父と母が戦争を起こすなど、あり得ないと。
だからこそ、強く否定しなかった母の言葉に驚愕する。
続くミゥの『利害の一致』という言葉から、母とリセリルカが互いに協力していることが分かる。
――でも、どんな協力をしているというのだろう?
ケルンには想像もつかなかった。
「分かってるわ。『空間魔法』を欲しがった理由も、ケルンを見ていくらか予想が付いたから。
『……信じていますから、ケルンを。親が子供にできるのは、それだけでしょう?』
――俺を信じている? 我が子を谷に突き落とす?
優しくて、いつも気遣ってくれるケルンの母とは対照的に。
研究者として振る舞う彼女は、とても冷たい声をしている。ふわふわと聞くものを安心させる、ケルンと接するときの声でない。
どっちが本当のミゥ・ツィリンダーなのかわからない、もしケルンに接している時の声が心にもない演技だったら。
本当は息子のことを、邪魔だと思っていたら。
ケルンは自身の母が、知らないヒトになってしまったかのような感覚を感じた。
「
『ありがとうございます。それでは、そろそろ。ゲリュドの
「わかったわ」
リセリルカがケルンの肩をポンと叩いて、会話の終わりを伝える。
驚いたようにびくりと体を震わせたケルンは、不安げに声を出した。
「か、母さん?」
『……ケルン? よく聞いて。賢いケルンはもう分かってると思うけど、今あなたの隣居るのは、すごいヒト。何歳も年上の私でさえ、彼女に勝てるかは分からない……でもね、そのヒトは、ケルンと同い年の女の子なんだよ?』
その声は。
今まで聞いたことが無いくらい震えていて。
ケルンが不安に思っていたのと同じように、母も不安に思っていたんだと、切に伝わってきた。
――熱を感じる。
リセリルカに発破をかけられたときに起きた、胸の奥の小さな種火。
ちっぽけな自分を奮い立たせるための、勇気という名の熱を。
『見えなくてもいいの、彼女から多くを感じて。『王族』とか『特別』とか関係ない、彼女が強いのは、きっと彼女自身の流した汗と、涙と、血の量が他人よりすごく多いから』
主都フォルロッジに居るはずのミゥ。
震えていて、それだけど強い思いを感じさせる声に、ケルンは彼女の抱擁を感じた。
いつだったか、初めて外に連れ出された日。
訳も分からないまま、誰とも知らない声に気味悪がられて。
どうしようもなく怖くて、泣いていたとき。
ぎゅうと、恐怖をほぐすように抱きしめてくれたこと。
ケルンは、思い出していた。
『『世界』ってね? ケルンが思ってるよりも、
ミゥの言葉が、リセリルカのそれと重なった。
――『覚悟を決めろ』
見えないことに恐れをなして、何もしてこなかった日々。それでいいのかと自問しても、返ってくるのは仕方がないという言い訳ばかり。
きっと母はケルン以外の誰よりも、それを見て心を痛めてきたんだ。
世界中で誰よりも、彼女はケルンのことを思っているのだから。
――情けなかった。
何がちっぽけな幸せだ、魔法具店の手伝いなんて誰でもできることをして、それこそちっぽけでくだらない悦に浸ってた以前の自身をぶん殴ってやりたい。
自分の子供が、小さいまま腐っていくのを見守る両親の気持ち。
そんなことも分からない程、自分はなんにも、視えていなかったのだ。
――必ず、報いて見せないと。
ケルンは胸の内に灯る火が、大きく燃え盛るのを感じる。
『リセリルカ様と触れ合うことが、そのキッカケになればいいなって、私は思うんだあ……これは母さんのワガママだね。でも、
『頑張れ』はきっと、母さんなりの最大限の
色んな頑張れがいっぱい、詰まっている。
――負けるな、腐るな、悖るな、前を向け、前へ進め。
足りないなら、努力だ。それでも足りないなら、身を削れ。できると、決して疑うな。
お前のはるか先に行っている
お前は立ち止まっていていいのか。良くないなら、立ち上がれ。蹲っている暇があるのか。一人で歩けないなら、頼れ。無様でもなんでも、進め、歩け!!
ケルンならできるよ、
――そう、言ってるんだ。
涙が零れそうだった。
でも決して、流さない。
この胸の炎は、消させない。
拳を握り締めて、歯を食いしばって、堪える。
大事なのは、今、この瞬間。
母さんは、リセリルカから多くを感じろを言った。
学ぶのだ、彼女から。
盗むのだ、魔法を、剣を、考え方を。
もう一瞬だって、無駄にしてやるものか。
「母さん、ありがとう。大丈夫、俺は
『――うん、
最後に聞こえた母さんの声は、ふわりと舞うような、いつもの笑い声だった。
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