第97話 境界線

「なるほど・・あるな」


 俺達はアイーシャの案内で、魔族領との境目に来ていた。


 そう強いものでは無いが、肉眼でも見える青々と色づき透き通った魔法の壁が遙かな高空へと聳え立っていた。この魔法の壁が延々と大陸奥部を横断しているのだという。


「大地の魔素脈・・まあ、地脈ってやつだね。それを使った馬鹿みたいに大掛かりな魔法だよ」


 アイーシャが呆れた口調で言った。

 誰も知らない内に、この魔法障壁が顕れたらしい。これを強引に突き破れば、魔族にしろ、人族にしろ、大幅に力を損なった状態になる。だからこそ、たまに迷い出てくる魔族がいても、人族は多大な犠牲を出しながらでも退治する事が出来る。それほど多くの魔族が押し寄せて来れないのも、この魔法の障壁のおかげらしい。


「ただ、何年かに1度、障壁が薄くなる場所がある。地脈が咳き込むっていうか・・少しばかり流れが悪くなる時があるんだよ。人がやってんのか、魔族がやってんのかは知らないよ? 地脈にちょっかいかけてる奴等が居て、そのおかげで、ちょいちょい魔法障壁が弱まるのさ」


「・・魔族がたくさん出てくれば、こちらの世の中はお終いですか?」


 リコがアイーシャの顔を見た。


「どうなんだろうね? まあ、世界が滅亡とかそんな事にはならないよ。ただ、人は家畜のようにされるかもしれないし、案外、落としどころを見付けて共棲するのかもしれない。どっちにしろ、ちょっと毛色の変わった世の中にはなるだろうさ」


 アイーシャがくくっ・・と小さく喉を鳴らすように笑った。


「あんた達は世界を滅ぼしたいのかい? だったら、簡単じゃ無いか」


「ぇ・・?」


 リコが軽く眼を見開いた。


「あんたの先生にお願いすりゃぁ良いんだ。世界を滅ぼして下さいってさ」


「先生に・・」


 リコが真面目な顔で考え込んだ。


「リッちゃ~ん、もうちょっと長生きしてからにしてよぉ~」


 サナエがリコの肩を揉むようにしながら顔を覗き込む。


「・・分かってるわ。私だって、そんな・・すぐに死にたい訳じゃないもの」


「いざという時の保険ね」


 エリカが言った。


「そうね・・あたしら死んで、この世界が無事とか我慢できないし」


 ヨーコが物騒な事を言い始める。


「アイーシャ・・責任取れ」


 俺は、若々しい女の姿をした老婆を睨みながら、持っていた護符を放った。


「はいはい、御免なさいよっ・・と」


 アイーシャが俺が放り投げた護符を受け取った。蛇身の女盟主と戦った時に壊れた護符の1つだ。


「やっぱり反呪持ちが居たか。蛇族に多いんだよねぇ・・・これの作り方は分かったのかい?」


「ああ・・理解できた」


「へぇ・・たいしたもんだ。こいつは、神幻法具って妙ちくりんな呼び方されてる道具でね。これより効果の低い物でも国の宝物庫が空になるくらいの高値で取り引きされるそうだよ?」


「・・そうか」


「あんた、こういう魔導具作りに向いてるのかもしれないね」


「魔導具に?」


「物の・・こういう金属なんかの感覚っての? わたしには良く分からないけど、同じ金属の棒でも硬い場所やら柔らかい場所・・湿度とかでも変化したり・・まあ、そういう感覚の世界があるんだろ?まあ、これは鍛冶屋の受け売りなんだけどさ・・鉄が打ってくれと言ってるところを打てば良いんだぁ~・・とか言ってたよ?」


 誰かの物真似なのだろうか。嗄れた声を張り上げて見せたが、当然、この場の誰もその人物を知らない。


「・・ま、まあ、そういう訳で、あれだ・・真面目に、魔導具作りをやってみたらどうだい?」


「面白そうだけど・・」


「ちと汚れちゃいるけど、教本やら道具なんかは一式揃ってるよ? 収納持ちなんだから邪魔にはならないだろ?」


「そうか・・それなら貰っていこうかな。どうも、ありがとう」


「ははは、少しでも感謝してくれるんなら・・・あっちの嬢ちゃん達に唆されて世界を滅ぼす前に、あたしに教えておくれよ? 年寄りにだって、心の準備ってものがあるんだからね?」


「いや・・世界を滅ぼすとか・・俺にそんなつもりは無いよ。その力も無い」


 蛇身の魔人と戦って感じたが、盟主などに手間取っているくらいでは、到底その上の連中には及ばないだろう。

 この先の領域へは、どう鍛錬すれば辿り着けるのか?

 ひたすら実戦を繰り返すだけでは駄目だろう。日々の鍛錬に何か新しい視点・・新しい創意を加えないと、遅々として強さの伸びが無い。


(知識・・理解か? 武具の使い熟し? いや、しかし・・・)


 俺は腕組みをしたまま考え込んだ。

 そのまま動かなくなった。



「えぇと・・お嬢ちゃん達?」


 アイーシャが4人を手招きした。離れて立っていたヒアン・ルーリーも近付いて来た。


「あたしも・・この世をぶっ壊そうとした人間だからね、あんた達を止めるつもりは無いよ。まあ、今はそういう熱も冷めちまったから隠居やってんだけどさ・・・思う存分、好きなようにやりな。ただ、半端にやると後悔するからね。しっかり考えて・・そこの危ない先生にちゃんと相談するんだよ」


「うん、大丈夫!」


 ヨーコが快活そうな笑みを見せる。


「元の・・あっちの世界が諦められないだけ。ここを滅ぼしたいとは思っていません」


 リコが眼鏡の汚れを拭いながら言った。


「そうかい? まあ、それはそれで残念なような・・」


「アイーシャさんは世界を壊したいんですか?」


 エリカがじっと見透すような眼差しを向ける。


「いやぁ、壊したいって訳じゃないんだけど・・長々と生きてるからねぇ、こう・・ぱぁっと変えちまいたいような・・そんな感じなのさ」


「飽きちゃったんですねぇ」


 ラースの頭によじ登っていたサナエが会話に参加してくる。

 銀毛の魔獣は、自分の世界に入ってしまった主人を見つめたまま大人しく座っていた。

 

「はは・・バッサリ言ってくれるね。その通りなんだけどさ・・やれ魔族だぁ、人族がぁ・・って何年も何年も聴かされてると、ウンザリしてくるんだよ」


「賢者も楽じゃないんですねぇ」


 ラースの前足に抱きつくようにして、サナエが滑り降りてきた。


「賢者とか止めておくれ。あたしは、ただの魔導師さ。古くから生きてるってだけの・・色々と面倒になっちまった年寄りだよ」


「コーリン様・・」


 それまで黙って話を聴いていたヒアン・ルーリーが静かに歩いてアイーシャの正面に立つと地面に両膝を着いた。


「なんだい?」


「私をお側に置いて頂けませんか?」


「ん?・・いきなり、どうしたんだい?」


「私は帰るべき森を失いました。いえ・・別の同族達は快く受け入れると言ってくれております。ただ、私の森はあそこでは無いのです」


「・・まあねぇ」


「子供のような駄々を申しているようで・・申し訳無いのですが、こちらで・・コーリン様の元で、今少し・・・気持ちを落ち着ける時間を頂けないでしょうか?」


「ふむぅ・・」


「これでも家事の一通りは出来ます。家精霊をお使いのようですけれど、細々したところなど、お助けできるところがあると思います」


「うわぁ、エルフの家政婦とか・・贅沢すぎぃ」


 サナエが声をあげる。


「男子だったら泣いて喜ぶかも!」


 ヨーコが腕組みをして唸った。

 横で、リコとエリカが視線を交わして、そっと"先生"の方を見やった。


 何を考えているのか、未だに再起動しない。

 

 アイーシャが小さく鼻を鳴らした。


「まあ・・久しぶりに、他人と暮らしてみるってのも暇つぶしにはなるか」


「・・感謝致します!」


 ヒアン・ルーリーが深々と低頭した。


「あんた達も、しばらく泊まっていきな。偉そうな事は言えないけど、魔法やら何やらの理論・・っぽいのを少し教えてあげた方が良いみたいだ」


 アイーシャがリコやサナエを見ながら苦笑交じりに言った。


「お家です? 行きたぁ~い」


 サナエとエリカがはしゃいで手を握り合う。


「部屋は余ってんだけど、散らかってたからね。ただ、幸い優秀な家政婦さんが来てくれるみたいだ。遠慮はいらないから、のんびりして行きな」


「お任せ下さい」


 ヒアン・ルーリーが笑顔で低頭した。


「・・となると、後は」


 4人の少女達が、説得すべき1名へ視線を注いだ。


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