職業、におい嗅ぎ士

黒井 創人

第1話「ニオイを嗅ぐだけの簡単なお仕事です」

 はい? 何をしているのかって? 撮影です、テレビの……怪しい? まあ……自分でも怪しいとは思いますよ。街中で人目もはばからず若い女の子つかまえて、頭のニオイ嗅いでるなんてのは。あ、カメラ止まってる?

 私は臭気判定士って特殊技術者で……いやシュークリームじゃなく、臭気。ニオイ。そうニオイの判定するの、これでも環境省の国家資格者です。

 え?さぞ鋭い嗅覚を持っているって? まあ名刺を渡すと次には百パーセントそう聞かれますけど、普通ですよ。においで困っている現場の実際の所を困っている人たちと同じように感じ取ることが重要なので、敏感すぎるのも鈍感すぎるのも都合が悪いんです。

 いや……女性の頭嗅ぐのが仕事じゃなくて。ニオイの測定が正式な仕事です……測定ってのはね、「環境庁告示第63号」って悪臭の新しい測り方が決められましてね、そう環境省になる前。そこでニオイの苦情は臭気判定士が測れって決められたの、細かいことは省略。

 特に嗅覚が敏感である必要はないと言うのはですね、判定士の仕事は「現場においてその悪臭がどのような被害を発生させているのか」を感じ取るところから始めるのですよ。だから敏感過ぎると悪臭を実際より過大に感じてしまいますし。もちろん鈍感な鼻では困ります。普通の嗅覚であることが一番都合良いわけです。

 『普通の嗅覚』って何だって? それは試薬を嗅いで試験します。臭気判定士になるための適正試験。5種類の薄ーいニオイの試薬を嗅いで、全部わかったら正常な嗅覚。はい、それだけ。あとは合格率30%くらいの国家試験に受かれば誰でも臭気判定士になれます。

 まあ……臭気判定士になったからって、誰でも合法的に女の子のニオイ嗅げるわけじゃありませんけど。男性用ボディケアのメーカーにいる臭気判定士なんか、年中男の脇の下嗅ぐんですよ……マジで。

 いやだから、ヒトのニオイ嗅ぐのは本業じゃありません。基本的な臭気判定士の仕事ってのは、ニオイ苦情が出た現場でにおいを採ってきて、実験室でそのニオイを薄めて嗅いで、どれだけ濃いかどれだけ強いかを測るのがほとんどです。激しく地味な仕事です。

 ああ……はい、香り付き柔軟剤ね。あれの評価なんかも雑誌やメーカーに頼まれてやりますよ。え? あなた生活系のライターさん? 取材はいいけど、いま撮影中だから後でメールでもいただけたら。あ、はい名刺……そうです『においの探偵』さっきみたいな説明するのいちいち面倒だから、そう書いてたら何となくわかるじゃないですか。


 ええ、探偵だからいろいろな所に行っていろいろなニオイを嗅いで調べて……はい。普通じゃ入れない場所も行きましたよ。国会議事堂の地下とか、タレントさんの自宅兼仕事場だとか。

 だいたいの場合名前は伏せられていて「渋谷区なんとか物件」とか言われますけど、入ったらすぐわかっちゃう。一番凄いところ? 赤坂の迎賓館とか、某通信会社の会長さんのお屋敷とか……家の中に入ったらハワイでした。家の中にね、ハワイのホテルにあるガーデンみたいなものが……椰子の木あってプールもあって。やっぱり名前伏せられてたけど検索したらすぐ出た。

 ああ、詳しいトラブル内容は守秘義務があって話せません、何しろ私がそこへ行くってことは『厄介なニオイトラブル発生中』ってことなんで。知れるとマンションの場合なんか査定額にまで影響が出ることもありますから。


 調査の件数? 年に50件から、多ければ80件とか。何でも調べますよ、戸建て住宅からマンションからホテルから、ビル丸ごととかホテル丸ごととか。何しろ臭気判定士の資格を持っている人は日本に三千から四千人いますけど、何でもかんでも嗅いで調べる特殊技術者は100人どころか50人もいません。だから日本中から呼ばれます。

 まあ……臭気判定士はそれだけで食っていける仕事じゃありませんからね。測定や分析会社の技術者や、公害防止担当者が持つ資格のひとつに過ぎませんけどね。

 収入ねえ……年収はちょっと……でもひとつの現場を調べるのは一回2時間くらい。それで原因がわからなかったらこんな障害要素があって調べられないってことがわかる。

 2時間から3時間の調査で費用は最低8万円、上は青天井。何しろホテルなんか一室の臭気を調べるために呼ばれて、結局建物全体の問題だってわかっちゃうこともあるから。那覇のホテルなんかまる1週間かかって40万とかだったかな?

 現場だけの時給換算にしたらとんでもない高収入に見えるけど、1現場にかかる時間は実質50時間ってところです。報告書を書いて管理会社なんかと打合わせて、まあその辺はほとんどメールで済みますけど。

 でもこの仕事、好きじゃないとやっていられませんよ。一年中ほとんど悪臭ばっかり嗅ぐのですからね。まあ……そんなで、ニオイと人間の嗅覚とニオイの現場のことをお話することはできますから明日にでも連絡ください。撮影ずっと止めちゃってるもので。


 つづく

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