第142話 無 双
北の平原で轟音が絶えず鳴り響く。
その音は世界のどこまでも響いているのではないかと思わせるほどの激しさだった。
「…………う……」
にも関わらず、ここではかすかな肉声のみが空気を震わせていた。
アルーラ城の地下牢の1つ。
わずかな光さえも入り込まない暗闇で、湿った空気が彼女の肌に纏わり付く。
マリン。
渡辺に買ってもらった服は、見るも無残に引き裂かれており、臀部や胸などが露出していた。もはや服としての役目を果たしていなかった。
そして、露出している肌からは擦り傷がいくつも確認できる。
すべて、あの男騎士と女騎士の仕業だ。
どれだけ口を閉じろと言っても従わなかったマリンへの躾だった。
しかし、その躾を受けてなおマリンの心は折れなかった。恐怖で涙を流しながらも、最後まで渡辺の安否を心配し問い続けたのだ。
流石に付き合っていられなくなった騎士らは、マリンを独房に拘禁したのである。
「……ショウマ様」
星のように輝いていた彼女の淡青色の瞳は、暗く沈み、虚ろになっていた。
それでも彼女は、自らの身よりも渡辺の身を案じ続けていた。
しかし、不意にこんな考えが過ぎってしまう。
…………もしかして、罰なのかな…………え?
自分の脳裏に浮かんだ言葉を、不思議に思った。
「罰って……何の? ……わからない……わかりたくない……ショウマ様……」
マリンは冷たい闇の中で独り、蹲って嗚咽を鳴らし続けた。
*
「マリン……」
悲しい声が聞こえたのか。
渡辺は彼女の名を祈るように呟いた。
呟いて、顔を上げ、前を見る。
前には、多くの騎士が倒れていた。
戦車もユニコーンも戦象も、ありとあらゆるものがひっくり返っていた。
前だけでなく、左右も後ろも、すべて同じ光景だった。
渡辺が立つ大地はまるで隕石でも落ちたかのように直径20mのクレーターができており、周囲に積もっていたはずの雪は吹き飛んでいた。
渡辺はその中を歩き出す。
歩いて、歩いて。
倒れている騎士を跨いで、逆さまになっている戦車を無造作に手で退かして。
そうして歩いて行った先、雪が積もっている場所に出てきたところで渡辺は立ち止まる。
また、多くの騎士と戦車とユニコーンと戦象の姿が見える。今度はひっくり返ってはいない。地面に2本の足で立って渡辺に注目している。
「……あ、あああいつは……誰だ?」
騎士の一人が震えた声でそんなことを口にする。
「し、知らねぇよ。こっちが聞きたいくらいだ!」
それについて、どの騎士も同じだった。
誰も、彼を知らない。
空から落ちても平気な顔している男を。拳でクレーターを作る男を。重さ40トン以上ある戦車を片手で軽々と押し退ける男を。
ただ一つだけ、騎士全員がわかるのは、
この男は危険ということ。
深く被った黒いフードの下、左の瞳が包帯で隠されているのは歴戦の戦士を思わせ、殺意の色をギラつかせている右の瞳からは剥き出しの敵意を感じる。
目の前で見せられた怪力とその敵意が、騎士軍勢の緊張を極限まで高める。
男の着ている黒いポンチョの裾がふわりと風で揺らめき始めると、男が戦いへの一歩を踏み出した。
ザクッ。と、雪の踏み固められる音が鳴る。
ザクッ。さらにもう一歩。
ある騎士は冷や汗をこめかみから顎先まで流す。
ザクッ。
ある騎士は心臓の鼓動を早める。
ザクッ、ザクッ。
ある騎士は固唾を飲む。
ザクザクザク。
ある騎士の瞳孔は散大を始め。
ザザザザザザ。
ある騎士が覚悟を決めて雄叫びをあげた。
「「 ウオオオオォォォ!!!! 」」
雄叫びは雄叫びを呼び、すべての騎士たちの腹が括られる。
走り向かってくる渡辺へ、万を超える騎士たちが一斉に地を蹴って駆け出した。
渡辺と騎士軍団の間の距離はぐんぐん縮まり、間もなく、衝突した。
瞬間、先頭近くを走っていた数十人の騎士が、宙を舞う。
「だあああ!!!」
「うおおお!!!」
仲間たちが吹き飛ぶ様を目撃しながらも二人の騎士が恐怖を叫びで打ち消して、渡辺に襲い掛かかった。一人が斧を振り下ろし、もう一人が剣を薙ぐ。
渡辺は振り下ろしを体の向きを90°横にしてかわし、薙ぎ払いは屈んで避けた。それから、左手と右手、それぞれの拳で二人の腹部を突く。
「ゴホッ!」
「ブッ!」
渡辺の突きで騎士二人は気絶し、味方を巻き込みながら真横へふっ飛んでいった。
「そこおおお!!!」
後ろをとったとばかりに別の騎士がハンマーを手に飛び掛るのだが、これに対し渡辺が前を向いたまま背後にキックを繰り出した。
「ぐふっ!」
今度は両サイドから挟み撃ちの形で、二人の騎士が剣を掲げて突っ込んでくる。
その攻撃を渡辺は軽く飛んでかわしつつ、二人の頭をそれぞれの手で鷲掴みにし、着地すると同時に地面に叩きつけた。騎士二人の頭部が丸々地面に沈む。
「図に乗るなよ! 小僧!」
他の騎士の倍はある図体の持ち主が渡辺の脳天をかち割ろうと、渡辺の背丈ほどある斧の刃を上から下へと振った。
それを渡辺は片手で容易く受け止める。
「んなぁ!!」
そのまま斧の刃を掴み、握力を高めるとその部分にヒビが入り、次には砕けた。
愛用の武器が破壊され絶句する巨漢へ、渡辺が胸部に飛び蹴りを喰らわせ体勢を崩させた後、巨漢の片膝を両手で持ち上げ後方に倒れさせた。オルガから習った柔道技の一つ“
さらに渡辺は倒れている巨漢の両膝を両肘で挟むと、体を回転させ始める。ジャイアントスイングだ。
ある程度スピードが乗ったところで、回転を止めて投げ飛ばした。
巨漢は綺麗な放物線を描きながら遠くへ――司令官がいる物見ヤグラまで飛んでいった。
ヤグラにぶつかる直前で、司令官を守護する騎士たちが『
巨漢は『物理反射』の表面を力無くずり落ちていった。
「……あの男は……何者だ?」
双眼鏡で野獣が暴れまわる様を見ていた司令官は、必死に記憶を掘り起こしていた。
「元騎士? 勇者? そんなはずはない。もしそうであれば、あれだけの強さを忘れるはずが無い!」
騎士軍の頭が思考停止をしている間も、渡辺は押し寄せる敵の波を迎え討っていた。
正面の敵を正拳突きで倒してすぐ、突き出した腕を思い切り後ろへ引いて、背後の敵に肘鉄を入れる。
横から組み付こうとした者には中段回し蹴りを喰らわせて転がし、別方向から来た者にも逆の足で同じ目に合わせる。
渡辺は見る。
“観の目”で。
右の眼光が左右に揺れ動き、戦場の動きをつぶさに観察する。
次に剣を持った騎士がこちらへやってくるが、その奥に攻撃的な光が見えた。
渡辺は剣を手刀で弾くと、騎士の手首を掴んで強引に横へ引っ張る。
「ぐあっ!」
すると、その騎士の背に矢が刺さった。
攻撃的な光の正体は矢じりの反射光だったのだ。
渡辺が上体を反らす。
電気を纏った槍が、渡辺の目と鼻の先を飛んで過ぎ去ろうとする。
しかし、逃すまいと渡辺はその槍の柄を感電しながらも掴むと、槍を遠く離れた場所にいる戦象へ投擲した。
槍は直線の軌跡を描いて、戦象の胴に丸ごと飲み込まれるほど深々と刺さった。
バオオオオオォォォォッ!
戦象が内側から燃えるような痛みで暴れ回り、背中のヤグラから騎士たちが放り出されていく。
その時、騎士軍の中から照明弾が上がる。
空へと昇る光に気づいた騎士たちは一斉に『
周囲に人がいなくなり一人取り残された渡辺。
その渡辺を遠くから狙う者たちがいた。
「魔法隊! 構え!」
全員黒いローブを着ている騎士の小隊が、横一列に並んで両手を前に出す。
「ッシャー!」
直後、小隊全員分の魔力が合わさり、1つの巨大な『
横30m✕縦20mの巨大な炎の津波が渡辺を喰らおうと迫る。
視界一面を真っ赤に染め上げられる渡辺だが一切動じることはなく。
ただ、彼は下を全力で殴った。
地面が弾け、衝撃波が吹く。
炎の津波は衝撃波により霧散し、渡辺が立っていた場所には本日2つ目のクレーターができあがっていた。
「お、おい! ヤツはどこへ行った?!」
それだけではない。
空高く舞い上がった土は、渡辺を隠した。
「気をつけろ! どっからか来――」
土埃が立ち込める中、叫んだ騎士が十数人の仲間を巻き込みながら吹き飛んだ。
「「 グワアアアァァァ!!! 」」
それも一度では終わらない。
「「 ギャアアァァ!!! 」」
また別の場所で、騎士たちが地面を転がる。
まさに、一騎当千という言葉がふさわしい光景だった。
「誰かヤツの動きを止めろよ!」
と、騎士が叫ぶが「無理言わないでください!」「居場所がわからないんだよ!」など情けない返事ばかりが返ってくる。
ただ一人を除いて。
「私に任せて」
「――ッ!」
また騎士を一度に倒そうとしていた渡辺は察知する。
頭上から猛スピードで誰かが突っ込んでくるのを。
渡辺が両腕を頭の上でクロスさせ防御の構えを取った次の瞬間、腕に重い一撃が入った。
その一撃は渡辺の両足を地に沈め、派手な砂埃を立たせる。
渡辺は鬱陶しそうに重いままの攻撃を押し退けると、それは後方へ飛び退いた。
土埃が風に乗って去っていく。
「「 ッ!! 」」
そして、互いに敵の正体を知る。
「嘘……あなた……なの? ショウマ君」
「……レイヤ」
渡辺の前にいたのは、レイヤだった。
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