第105話 悲哀の決意
舞い上がった砂煙が晴れていくと、倒れ伏したディックがいた。
ディックの腕がピクリと動く。
ッ! コイツまだ動けるのか?!
俺はまた『
上空に紫色の穴を出現させ、穴から小石を落下させる。
レイヤが魔力を出し切って用意してくれた。最後の一個だ! これで仕留められなかったら――!
パァンッ
ディックがうつ伏せから仰向けになる勢いを拳にのせ、裏拳打ちで小石を呆気なく砕いた。
そん……な!
「いてて……」
机に膝小僧をぶつけた程度の感想を口から零したディックは、おもむろに立ち上がり、俺の方に顔を向ける。まだ目がくらんでいるのか、頻りに瞬きをしていた。
……笑ってやがる。
決してダメージが無いわけじゃない。アイツの額からは血も出てる。それなのに……まだ余裕があるっていうのか?!
「豆鉄砲くらったみてぇな顔してるじゃねぇか。何だ? ショーはもう終いか? それなら――」
ヤバい!
そう思って、脚に力を入れたが、手遅れだった。
瞬く間に距離を詰めてきたディックのストレートが、俺の腹に深く入った。
「ゴフッ!」
「お開きだな」
空気やら内容物やらが、ムリヤリに腸から口へ押し出されて嘔吐する。
「う……ぐ……」
地面を転がった俺は、吐き気に苛まれつつもすぐに立ち上がって体勢を立て直した。
ディックがさらに追い打ちをかけようと、こちらへ向かって来る。
い、痛がってる場合じゃねぇ! 手を考えねぇと! 残る魔法石は予備の支援系能力と『
そうして考えている間に、ディックとの距離は決断を迫られるところまで縮んでいた。
悩んでる暇はねぇ!
とにかく、ディックの足を止める!
俺は半ばヤケクソに『氷魔法』の魔法石をディックに向かって投げた。
「魔法石っていうのは便利なアイテムだがよ。ピンを抜いてから発動するまでに間があるのが欠点なんだぜ」
ディックの『風魔法』が、俺の投げた魔法石を俺へ返した。
「ッ! しまっ――」
あろうことか魔法石が『氷魔法』を俺のそばで解き放ったために、氷の爆発に巻き込まれた。
それ自体は元々展開していた『魔法反射』のおかげで防げたが、『魔法反射』越しに伝わった衝撃で俺は怯み、隙を生んでしまった。
その隙をディックが逃すはずがなく、俺はディックから一撃をもらう。
「ブッ!」
斜め上から額にディックの拳を受け、俺は頭から地面に叩きつけられた。
「簡単に倒れやがって、殴りにくくてしょうがねぇ」
ディックに片腕を引っ張り上げられ、強引に立たせられる。俺は脳みそが揺れる感覚の中、空いている腕でがむしゃらにディックへ突きを放った。
しかし、当然とばかりに俺の拳は容易くディックの手のひらに受け止められる。
「悲しくなるぐれぇ非力だな。一般人の方がまだマシなくらいだ」
……気分が悪い。吐き気はあるわ、頭はグラグラするわ。何より、ディックは全快じゃないってのに、この圧倒的な実力差……。
最悪だ。
苦しい。
それなのに、コイツは目の前でヘラヘラしやがって。
「笑ってんじゃねぇよ」
俺は眉をひそませ、ディックを睨む。
「ん?」
受け止められていた俺の拳が、少しずつディックの手を押し始める。
そのとき、俺の脳裏で中学生の頃の記憶が蘇る。
「テメェみたいな、他人の気持ちを何も考えず嘲笑するヤツだけには、俺は負けねぇ!」
体全体に力が湧き上がり、拳がディックの手をすり抜け、その憎たらしい表情に俺の怒りを叩き込んだ。
「……ようやくか、典型的なスロースターターだなオメェは」
逆に、それ以上の力で、ディックに顔面を殴られふっ飛ばされる。歯が折れたんじゃないかってくらいの衝撃だったが、構いはしない。鼻血や吐血を撒き散らしながらも、歯を食いしばり、構えを整え直し、憤りを握り締め、俺はディックへ突っ込む。
「ディック! 俺はお前が死ぬほど嫌いだ!」
「はっ、そうかよ」
俺の攻撃をディックはひらりとかわす。
「初めて出会ったときからそうだ!」
俺はディックに左ストレートをかますが、軽々と避けられる。
「こっちの事情なんかまるでお構い無しに、自分勝手に俺たちに襲い掛かりやがって!」
次はボディブロー。しかし、これも余裕の顔で避けられ、逆にボディブローをくらう。
クソ……クソックソッ……!
「他にも無理矢理モンスターと戦わせるわ!途中で説明も無しに別行動をとるわ!お前は常に自分本位だった!」
「いいぜ、どんどん言えよ。今しかねぇからな。罵倒大歓迎キャンペーン実施だ」
次々に俺から繰り出される攻撃を、ディックは難なく避けていく。
「ホント、最低だよお前は! ……けど……だけど、バミューダの、あの埠頭での戦いで俺はお前の覚悟を見た」
ディックが顔をきょとんとさせた。
俺は攻撃の手を止める。
「あんなにボロボロになってまで戦うなんて、誰にでもできることじゃない。ああ、コイツにも自分を犠牲にしてでも貫きたい意志があるんだって感心したんだ……」
俺はひと呼吸おいて、それを口にした。
「……セラフィーネ」
ピクリと、その名にディックの表情が揺れ動いた。
「エマが言ってた。詳しい事情は知らない。けど、その娘を助けるために、ジェヌインと戦ったんだろ? だから俺は、お前のことすげぇヤツだってそう思った……なのに……ディック! 裏切られた気分だ! テメェは嫌がる女を犯そうとする、強姦魔でしかなかったんだからなあ!!!」
次に放った俺の拳を、ディックは避けずに真正面から額に受けた。
「……強姦だと? お前、勇者を何だと思ってやがる」
「そのままの意味だ! 能力のためだとか理由付けて、ただ女とヤりたいだけなんだろうが!」
「……ふー……」
ディックが深いため息を吐いた。それと共に、ディックがこれまでに見せたことの無い表情を――とても冷ややかな視線を俺に向けた。
雰囲気が、変わった?
「時折、勘違いした連中がお前みたいなことを言う。勇者は合法的にセックスしまくれるだの、孕ませまくれるだの、俺も勇者になりたいだの。俺からすれば、お前らの方が余程自由にやってるってのに」
「ウッ!」
ディックは額当たっていた俺の拳を払い除けると、俺の顎を蹴り上げてきた。
け、怪我した脚でコイツ!
首元が伸び切り、首の骨がどうにかなりそうになる。
「ガハッ!!」
それだけに留まらず、宙に浮いたところに回し蹴りを加えられて、俺の体は遠くへ蹴り飛ばされ、ボールのように地面を転がった。
や、ヤバイ、今の一撃は! だ、ダメだ! 目眩がして足腰に上手く力が入らねぇ!
「……あぶねぇ、力み過ぎて首の骨を折るところだったぜ」
ゾッとするディックの発言が二重になって聞こえる。
『渡辺 勝麻ダウンです。カウントに入ります。1、2、3――』
「もう実力の差はわかっただろ。殺生はしたくねぇんだ。大人しく寝てろ」
「誰が……寝るか!」
痛い。
氷で刺された箇所が。
腹や腰や頬や額や顎、殴られ蹴られた箇所が。
地面に打ち付けられた箇所が。
痛い。
それでも、立つんだ渡辺 勝麻。
俺が負けたらミカがどんな目に合うか。その最悪のイメージを鎮痛剤に変えろ! 両手両足に力を捻じ込め!
『15……渡辺 勝麻。ダウンから復帰しました』
何とか……立てた。 立てたが、脚がガクガクと震えやがる。これじゃ歩くこともままならぇ。
「……はぁ……ったくよ。立ったからなんだってんだ。そんなフラフラな体で、何ができるっつーんだ」
ディックが早歩きで迫る。
早く構えないと、観の目で相手の動きを……。
手に握力が入らない。視界がぼやける。
クソ……クソッ! こんなふざけたヤツに――。
『俺からすれば、お前らの方が余程自由にやってるってのに』
ディックの言葉が反芻される。
俺の方が自由にやってるだって?! ふざけんじゃねぇぞ! お前のどこが不自由だって言うんだよ!
「ミカは丁重に扱ってやる。だから、安心して負けろ」
俺のそばまで近づいたディックが拳を振り上げる。
「ディィイイイィイイック!!!」
全身全霊の叫び声をあげながら、俺は最後の一発を放った。
ディックの拳と俺の拳が、真っ向からぶつかり合ったその瞬間、二つの拳の間で金色の稲妻が迸った。
な、何だ?!
俺の視界は、見る見る内に、金色に染まった。
『お前は勇者だ。この程度のことで音をあげることは許されん』『今夜はこの女を抱いて来い』『怖がらなくて大丈夫よ。お姉ちゃんが優しくしてあげるから』
金色の世界――空間の中で知らない声が反響する。
これは……一体……。
『ウチの娘とまぐわってみませんか? へへっ、色々と仕込みましたからお楽しみいただけると思いますよ』『ディック、お前最近、例の女と仲良くやってみるみたいだが、わかってるな? 『禁じられた能力』と勇者は……そうか、わかってるならそれでいい』
ディックの記憶?
不快感が腹の底から湧き上がってくる……これは、ディックの感情なのか?
アイツはずっと、腹にこんなものを抱えていたっていうのか?
『60! 渡辺 勝麻、ダウンしたまま。渡辺 勝麻の敗北が決定しました』
え?
寝耳に水な宣言が聞こえた後、金色の空間が煙のように消えていった。それから目に映ったのは、アリーナを照らす照明だった。俺は仰向けに倒れていた。
『これにて、試合終了となります。両者ともお疲れ様でした』
え? ……試合が終わった? 嘘だ、そんな!
鉛のように重くなった体を残ったわずかな力で曲げると、ディックが立っているのが見えた。
その事実が、俺の敗北をより鮮明なものにする。
上体を起こして膝立ちの状態となった俺は、そのまま前に手を付いて四つん這いになる。
「……ワタナベ……今、俺に何をしやがった……お前の能力なのか?」
言われて顔を上げると、ディックは驚愕の表情でさっき突き出した拳と俺を見比べていた。
俺は何も答えなかった。
今はそんなことどうでもよかった。
「……ミカ!」
ディックの背後の観客席で、ミカが騎士に連れられていた。
ディックとルーノールが入ってきた巨大な金属の扉が、再びゆっくりと開かれていく。
ミカを連行する騎士の目的地はそこで、階段に出ると騎士はミカの腕を引っ張って階段を登って扉へと向かう。
ぼやけていた視界が、少しずつハッキリしていく。
ミカが階段で転びそうになりながら、俺に顔を向けた。
「ショウマアァッ!」
『
ミカは泣いていた。
あ……アアッ!
俺はうずくまって、爪がめくりあがる力で地面を握り締めた。
負けた……負けちまった! どうして! バカヤロウ! こんなことが!
「ウアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」
肺とか喉とか、全部ぶっ壊す絶叫を吐いた。
何で……何でこうなる……何で……。
俺はフラつきつつも、全身に力を入れてゆらりと立ち上がった。
……………。
………………。
…………………………お前のせいだ。
憎しみが弾け、俺は顔を上げて憎悪の瞳でディックを射抜いた。
瞬間、俺を中心に突風が渦を巻く。
「なっ!」
ディックがたじろぐ。
『わ、渡辺 勝麻! 勝負は決しています! これ以上の戦闘行為は違反です!』
騒ぎに気がつき、会場全員が俺に注目しだす。
「お前のせいだ」
お前がいなければ、こんなことにはならなかった!
お前さえいなければ!
……本当にそうなのか?
爆発する怒りの中で、俺の心のどこからかそんな疑問が投げられる。
俺は、さっきの金色の景色を思い出す。
……違う……。
ディックを捉えている視線を、俺は動かした。
ディックより向こうの戦場に視線を走らせ、ミカがいる階段を上り、巨大な扉の先へ行き、その道の奥にあるものを、俺の視界内に入れた。
アルーラ城。
……そうだ。最初からわかっていたじゃないか。アリーナの存在を始めて聞いたときから。
この世界を腐らせている元凶は、モンスターでも、転生者でも、勇者でもない。フィラディルフィア王国、テメェだ!
突風と共に、俺は飛び出した。
自分へ突っ込んでくる俺を見てディックは咄嗟に防御の姿勢をとるが、俺はディックの脇をすり抜けて無視する。
そして、そのまま巨大な扉へと続く階段まで一瞬でたどり着くと、俺は左腕を犠牲にして『物理反射』を砕いた。
『誰か、そいつを止めろ!』
近くにいた騎士たちが剣を抜いて行く手を阻もうとするが、それよりも速く俺は駆け上がった。
騎士達を抜け、目の前にはミカと連行していた騎士だけ。
あと少しで届く! ミカ、お前のことは絶対に護るから! どうか、笑ってくれ!
俺は自らの右手を、ミカへ真っ直ぐ伸ばした。
「ショウマ!」
ミカも、右手を俺に向かって伸ばした。
届――。
そのとき、俺とミカの間を裂くように、上から絶望が落ちた。
ルーノール・カスケード。
人類最強の男が、一本の西洋剣を携えて俺の前に立ちはだかった。
「そこを、どけええええええええええええええええぇぇええぇええ!!!!!」
広げていた右手を握り締めると右腕に風が纏わり付き、その腕で全力の突きをルーノール目掛けて放った。
「フンッ、童めが」
ルーノールが鼻息を一つ鳴らした、その刹那。
俺の体は銃弾の如く、会場の反対側までぶっ飛ばされた。
「ゲフッ!」
観客席に叩きつけられた後、視界が二転三転して、体にいろんなものが打ち付けられて、会場の端の壁にぶち当たってようやく止まった。
舞い上がった観客席の椅子がガラガラと床を転がる音が鳴り響く。加えて、金属が刃物で削られるような耳障りな音が聞こえてくる。
目蓋をうっすら開けると、戦場を照らしていた照明が観客席の上に派手な音を立てて倒れるのが見えた。どうやら、俺がぶつかった衝撃で照明の柱が圧し折れたために倒れてしまったようだった。
そのせいか。足元に目をやると、俺の両脚はあらぬ方向へ曲がっていた。
ルーノールを殴ったはずの右腕は脚以上にひん曲がっていて、飛び出てはならない部位までもが露出していた。
どこかを深く抉ったのか、俺の下に赤い池ができて、それがどんどん大きくなっていた。どこから、そんなに血が溢れているのかわからなかった。確認しようにも、指一本動かせない。
そんな俺の元に、カチャカチャと鎧の擦れる音が近づいてくる。ルーノールだった。
ルーノールは俺のそばまで来ると、立ち止まって声を張り上げた。
「この者をアルカトラズへ収容しろ! 残ったパートナーも城へ連れて行け!」
――!!
その言葉を聞いて、俺は遠くの巨大扉の方へと目を動かす。
マリン、ミカ!
マリンとミカが騎士たちに引っ張られ、開かれた扉の奥へ――アルーラ城に続く道へと連れられていく。
「――ショウマ様!!」
「……マ……リン……ゲホッ!ゴホッ!」
まるで俺からマリンとミカを隠すように、両扉が動き出し、固く閉じた。
「な……で……マリン……まで」
「貴様は法を犯した。我に手を出すことは、この国に刃を向けることと同義。これから監獄に送られる者にパートナーなど無用の長物であろう?」
ルーノールが俺を見下しながら答える。
……この国は……本当に……。
「……この国……どこかで……見た覚えが……あっ……たんだ」
息も絶え絶えに言葉を並べる。
「思い出し……たよ……昔……俺をイジめていたクソガキ共と……同じだ」
俺を見下すルーノールを、睨み上げた。
「……こんな国、ブッ潰してやる!」
「……口を閉じろ、無法者」
ルーノールに顔面を踏みつけられ、俺は意識を手放した。
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