第三学年
秋のデート・最上級生・美しき時代
最高学年として
入学式、というのを退屈に感じてしまうのは、どこの国の人間でも同じらしい。
眠たそうに目をこするもの、小さくあくびをするもの、ぼんやりと手遊びをしているもの、うつらうつらと船を漕いでいるものの姿すらのある。
気持ちはわからなくもない。蒼司郎も退屈なスピーチなど、右の耳から左の耳に通り抜けてしまっている状態なのだ。
だが。
――原初のとき、ひとはまだ裸の獣であった。
――あるとき獣は、身を護るために布をまとった。衣服の誕生である。そして、獣がひととなった瞬間だった。
――これは、はじまりの魔法であった。
――獣が、衣服をまとうことでひとになった、原初にして、もっとも強大なる魔法。
その言葉が耳に入った瞬間、蒼司郎は思わず目を見開いた。
この、国際魔女連盟領・アトランティス諸島の住人たちならば、誰でも知っている、ごくありふれた、つまらない内容のお話。
けれど、蒼司郎は知っている。
はじまりの魔法の正体を。そして同時にひとが背負ったモノを。だからこそ、決して手を染めてはならない罪のことも。
ちらりと、壇上の一席に座るその人を見る。
ユミス・ラトラスタ・アトランティス。この学園の長であり、国際魔女連盟の長を兼ねる、その美しい女性を。
誰が思うだろうか。
この麗人が、かつて恋を歪ませて獣に堕ちかけた存在だということを。
その心の中には、今もなおその時の恋の炎が燃え盛り、彼女を焼き尽くそうとしているのだということを。
……そう、はじまりの魔法の正体は恋。
恋こそが、獣をひととした、あまりにも大きな力。
だからこそ、恋を歪ませれば、ひとは容易に獣へ逆戻りする。道理だ。
蒼司郎は今度はすぐ隣を見た。
そこには、緑色のおさげ髪の少女――蒼司郎のパートナーであるクロエ・ノイライが座っている。
彼女は蒼司郎の視線に気がつくと、緑色の瞳を細めて柔らかく微笑む。
夏休み中もしょっちゅう会ってはいたが、こうして制服姿の彼女に学園で『再会』すると、どうにもどきどきしてしまう。
蒼司郎も自然に笑みがあふれてくる。
クロエは、可愛い。
そんなクロエが今では、蒼司郎の恋人なのだ。笑みが湧き上がってこないわけがないだろう!
「新入学生達、眠たそうだね。でも、私もあぁだったなぁ」
クロエが、小声でそっと話しかけてくる。
「言っておくが、俺は真面目に聞いていたからな」
「む……」
彼女はちょっと膨れながら壇上に視線を移す。そんな姿さえも、可愛らしいと思えてしまうのは――蒼司郎の贔屓目ではないはずだ。
入学式が終わり、三学年はすぐさま闘技場やその傍にある更衣室へ移動となった。
今のうちに一年生を歓迎する催し――『ファッションショー』の準備をしなくてはいけない。
ほとんど小走りで並木道を移動していると、向こうからとことことやってくるのはあの白猫。最近はあちこち肉がついて、なんだか貫禄というかカリスマを感じる猫になりつつある。……もしかして、食べ物が過剰なのだろうか。
隣のクロエも不安そうな顔をしながら、白猫に手を小さく振っていた。
更衣室にクロエと、彼女が今日身に着ける
クロエだけならともかく、他の女子も着替えをしているところに男子である蒼司郎はさすがに入っていけない。
その点、同じ仕立て科でも女子学生は堂々と入って着付けの手伝いをしている。
ほんの少しだけ、それをいいなと思わないこともないが――ぷるぷると首を振って、蒼司郎はその考えを打ち消した。そもそも、蒼司郎は女に生まれていたなら魔女になりたかったのだから。
あ。
と、思った。
昔はあんなにも、魔女になりたくて、なれないことが悔しかったのに、今は男に生まれて、仕立て師を目指して、そしてあいつの恋人になれて、良かったと心から思えるのだ。
これを幸せと言わずして、なんだというのだろう。
更衣室から少し離れて待っていると、ドレスを着終えたクロエが出てきた。
纏っているのは、去年の学年末試験のために作った“恋草の調べ”だ。
ピンクのふんわりとしたドレスは、より優しげな雰囲気になってきているクロエにますますよく似合う。
「どう? 可愛いかな」
「……すごく、可愛い」
蒼司郎が心の底からその言葉を発すると、クロエは頬をピンク色に染めて、目をそらしてしまった。
「あ、ありがとう……」
「クロエの髪型、もう少しいじっていいか?」
「ん、ありがとう」
彼女の背後に回って、結い上げられた緑髪の毛先をピンで留め直す。……彼女の白いうなじが、眩しくて仕方がないので、手元が狂いそうになるが、どうにか満足の行く髪型に整えることが出来た。
「これでよし」
「ふふ、ソウジロウに可愛くしてもらえて。私は幸せ者だね」
「……馬鹿」
クロエはこんなに可愛いのに、さらに発言までもが可愛いなんて。どうなっているのか。
一学年は、闘技場でのファッションショーに熱狂している。
二年前の蒼司郎たちと同じように。
何組もいる一学年のペア達。あの中には、蒼司郎たちのようにお互い恋をする者もきっといるのだろう。
蒼司郎は、観客席からじっとクロエの様子を見ていた。
右隣の席には、リオルド・アシュクロフト。去年は席次五位だったが、今年は席次四位に帰り咲いた。
左隣の席には、シィグ・アルカンナ。今年もまた席次一位となった。つまり、三年間彼らは頂点に立ち続けたことになる。
蒼司郎たちはと言うと、今年も席次七位。つまり、三年間同じ場所に居続けたわけだ。ある意味凄いな、と友人たちは嫌味なく笑っていた。
舞台上には、様々な色を纏った若き魔女たち。
今を盛りと咲く花々による、色とりどりの美しい花園。
赤に青、白、黒、緑、黃、紫にピンク……。
「おぉ、あのドレスは袖をリメイクしたのだな! うむ、やはりフランセーズは袖の広がり方と装飾も重要だしな!」
「おいおい、あっちのエンパイアドレスも見ろってばリオルド! 期末試験のときとは違うボンネットにしてるみたいだ。俺としてはエンパイアドレスの帽子はあれぐらい大きなモノのほうがバランスが取れてると思うんだが、しかし――」
彼女たちが登場するたびに、両隣のリオルドとシィグがいちいちうるさい。
……決して文句やヤジではなく、ドレスの作りやコーディネートやらに関するあれこれなので、どうにも苦情を出しにくい。というより、むしろ蒼司郎も積極的に混ざりたい。
「……あの薄紫のクリノリンドレスも、コーディネートを変えてきたな。髪型も、ずいぶん手間をかけたものにしている」
ぼそりと蒼司郎が呟くと、二人もそちらに目を向ける。
「お、あっちは小物を日傘にしたのか。やっぱいいんだよなぁ。見た目にも映えるしな、レースの日傘って」
「うむ、しかしストールや扇子も魔女の戦いにおける使い勝手はいいからな」
「そうなんだよなぁー」
あぁ、俺達はやっぱりドレスが好きで、ドレスを作るのが大好きすぎる。
友人たちと熱心に語らいながら、蒼司郎は満足感を噛みしめるのだった。
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