天近き、沈黙の丘 - 4

「メルともっと話してたかったかもしれないけど、悪いわね」

「別に。メルの前だと話しにくいんだろ」

 レオンとアルと並んで、月光に浮かび上がる廃墟の路地を、あたしたちはゆっくりと歩いていく。

「それにしても……」

 あたしは左右の視界を転々と遮る、崩れかけの壁に視線を向ける。家の形をかろうじて保っているのに、その中に温かさは存在しない。ただ、入れ物だけが感情もなく左右にずっと連なって並んでいる。

「夜にこうしてみると、やっぱり少し不気味ね……」

「怖くなったらオレの後ろに隠れてていいぞー。オレはこういう光景見なれたから」

 レオンの余計なお節介に、あたしは脇を肘で小突く。

「うるっさい。あたしだってイッパシの戦士ですから、ご心配なくー。ていうか、まさか廃墟マニアとか言いださないわよね?」

「言わない言わない。怖くはないが、好きな方でもない」

「なら良かった」

 彼の場合、マニアだった場合、聞いてもいないのに延々と語り出しそうだったので、あたしは真面目に胸をなでおろす。

 そんな雑談をしながら昼間の記憶を頼りに歩いていると、あたしたちは最初に入ってきた広い草原に出た。昼間通り抜けた広場だ。振り返ると、丘の上にポツンと生えている大きな木の、その枝葉にぼんやりと白い発光物がたくさん浮かんでいた。

「月光樹か……」

 その木を見たレオンが、一言そう呟く。

 月光樹――月の光に反応して白い花が咲く木だったはずだ。花弁や葉に魔力があるとかで、魔術的なことに使われることがあると聞いた。

「あれが月光樹なんだ。光ってるのって、もしかして花?」

「たぶん。白い花弁が月の光を反射して発光して見えるんだ。近くで見るとわかりやすいぞ。双子月エニアル・エタリアルが両方出ていたらもっと光るらしいんだけどな」

 へー、と感心しながら、あたしは遠目にその木を眺める。今日はお兄さんは先に寝てしまい、弟月エタリアルだけが空から地上を煌々と照らしている。その隣で、アルがどこか遠くに向かって「……そうか」と小さく口にするのが聞こえた。

 それがどんな思いで口から出た言葉なのか、あたしにはわからない。

 そういえばあの丘、昼間見た感じだとどこにも登れる場所がなかったけど、どうやって上まで行くんだろう……?

 そんな疑問も頭をよぎるが、メルたちと離れたし、念のための広い場所も確保したし――そろそろ本題に入るとするか。

「――あんたも、あたしたちが疑ってるってことは、わかってるのよね」

「ミナ……。お前最初から」

 レオンが眉間にしわを寄せるが、アルがそれを遮るように口を開く。

「それだけ懐疑的な目で見られてたら、誰だって気づくだろ」

「それも、そうよね。それは悪かったわ。で、メルはあなたをああいう風に紹介していたけど、あなたからも直接聞いていいかしら。あなた自身のことを」

 アルは、すぐには答えてくれなかった。しばらく逡巡した後、大きなため息を一つ付いてようやく口を開く。

「先に言っておくが、オレには言えることと、言えないことがある」

「口止めされてるのか、言いたくないのかは聞かないことにするわ」

「そうしてくれ。オレがメルと再会するまでの経緯は、メルが言った通りだ」

「ふむ。じゃあ次の質問いい?」

 一応確認すると、アルは一つ頷く。

「あなた、メルに会えて嬉しくないの? メルがあんなに喜んでるってことは、少なくとも仲が悪かったとは思えないんだけど、あなたを見てると。あんまり嬉しそうに見えないのが不思議なのよ」

 別に、メルみたいに嬉しそうにしろと言いたいわけではないのだが、そこがどうしても、あたしには引っかかっていた。

 アルは今までのしかめっ面にさらに輪をかけてシワを増やす。穏やかな風に揺らされている地面の草に視線を落とし、彼は声を絞り出した。

「……お前たちは、ここがどうやって滅ぼされたか、知ってるんだろう」

 なんだ急に。あたしの質問とは関係なさそうだけど。

「人間に滅ぼされたって、聞いてるけど」

天使セイラルト族がどうして、人間に滅ぼされるんだ」

 アルに指摘されて、あたしは初めてそのことに気づき、目を見開いた。

「天使が、人間に劣るのか? 神の使者である、天使が」

 天使は、伝説にも記される絶対上位存在である。そう言われてみると、確かにおかしい。人間が集団になったところで、そんな天使の集団に勝てるものなのだろうか。

「何がそんなにおかしいんだ? ミナの話だと、天使セイラルト族は人間たちに合わせて本来の力を封印していたって話だろう?」

 レオンの指摘も最もだ。が、それもそうだと断言できるほど、あたしたちは天使セイラルト族については知らないのだ。力を封印した天使たちが、どれだけの力を持っていたかなど、知る由もない。

「……あたしたち、天使には詳しくないわ。そもそも、それを知るために、ここに来てる。知ってることがあるなら、教えてもらえるかしら」

 あたしのお願いに、アルは一つ頷いて快諾してくれる。

天使セイラルト族は、天使の本来の力のほとんどを、賢者の石の形にして封印した。そうしないと、んだ。天上界の力はそれだけ地上では脅威だった。けど、全ての力が使えなくなったわけじゃない。

 天使セイラルト族の子供は、どうしてかはよくわからないけど、天使としての力を持って生まれない。大人になる過程のどこかで、天使としての力を使えるようになるらしいんだ。全てではないにしても、大人はある程度、天使としての力は使えていた」

「それなら、尚更なんでとしか。いまの話だと、力では人間に優位な立場にはいたんじゃないのか?」

 レオンから最もな質問が出る。アルの顔に影が落ちる。

「――天使セイラルト族内に、内通者が、人間の裏切り者がいた、としたら」

 内通者? それも人間の、って……。

「お前、もしかして」

 レオンも、あたしと同じ答えにたどり着いたらしい。

「オレの母は、人間から嫁に来て、オレを身籠った。母が来てから、ここは滅びた。どう考えたっておかしいだろう! 母が人間に有利になるように立ち回ったとしか思えない。そんな裏切り者のオレが、どのツラ下げてメルに会えるんだっ!」

 今まで溜めに溜めていた気持ちを全て吐き出し、アルは顔を両手で覆いながら声を荒げる。

「オレは裏切り者の子供だ。メルを守るはずだった故郷を滅ぼしたやつの子供だ。なのに、オレには罪はないって、天使族あいつらはオレに優しくする。母のことを知ってからは一緒にいるとヘドが出そうだった……っ!

 今だって――なんで、なんでオレは、生まれてきたんだ……っ」

 アルは、その場に崩折れた。

 なんで生まれてきたんだ――その一言は、あたしの胸に深々と突き刺さる。あたしが考えないように、思考の奥底に閉まっていたモヤモヤとした感情が、その一言に触発されて久しぶりに胸の内をぐるぐると渦巻き始めた。

 答えなんてもらえないことも、誰に聞いてもわからないことも、あたしはとっくに気づいているはずだ。深い深いため息を吐きながら、あたしは再びその感情を、無理やり奥底に追いやった。

「――メルに対する態度については、わかったわ。もうそれについてはいい……」

 話さなくていいから、と言おうとして、あたしは不意に先ほどのアルの説明が引っかかった。

 さっきアル、賢者の石って、言ってなかった? 賢者の石って、最近どこかで……。

 思い出した瞬間、あたしは大声をあげていた。

「って、賢者の石っ⁉︎」

 あたしの声に驚いたレオンが一歩後ろに体を引き、アルも驚いてこっちを見上げている。

「えっ⁉︎ 賢者の石って、天使の力を封印した代物だったのっ⁉︎」

「な、なんだよ急に……。さっき、そう説明しただろ」

 アンナとハンナと魔王伝説の話をした時に、賢者の石で封印したとハンナが言っていたのを思い出したのだ。


 魔王は賢者の石で封印された。

 賢者の石は、天使セイラルト族が本来持っていた天使の力の塊である。

 結論。魔王は、天使セイラルト族の天使の力によって封印された。


 こうもスッキリするほど繋がると、逆に面白く感じてしまう。

 賢者の石を天使セイラルト族が管理していた、という話にも納得がいく。そりゃー、もともと天使セイラルト族のものだもん、天使セイラルト族が管理するわけだわ。

「なるほど……。いや、ありがとう、うん。――そうだ、あとはこれだけ教えてくれる? 大人になる過程で天使としての力が使えるようになるって話だったけど、そのキッカケって、アルは知ってるの?」

「いや、オレもそれは知らない――し、お前たち……メルも、知らない方がいいと思う」

「なんで?」

 あたしが首を傾げながら理由を聞くが、アルは無言のまま視線を逸らした。

 ははぁ、これは引っかかるから言いにくいってことかな。

「やっぱいまの質問は答えなくていいわ」

「――助かる」

 恐らく今のが、彼の精一杯の警告、というところかな。さて、他に聞いておくことはあるだろうか。

 言えることと言えないことがある、と彼が言っていたのは、言外に魔族と繋がりがあるという含みだろうし、メルに対する態度の理由もよくわかった。

「なあ、アル」

 あたしが情報を整理して漏れがないか考えていると、レオンが真剣な顔でアルに話しかけた。

「お前の母親は、ここがなくなった後、どうしたんだ?」

 おいおい、それ掘り返すの⁉︎

 あたしの心配を余所に、アルはレオンから視線を逸らしながらも答えている。

「知らない。他の大人たちの話だと、ここを逃れて移動している途中にフラリとどこかに消えたって」

 アルの答えを聞いて、レオンは顎に手を添えて思案する。

「本当にお前の母親は、裏切ったのか?」

「そうじゃなきゃ、説明できないじゃないか」

「そうか……。でもオレは、お前の母親も、利用されただけなんじゃないかと思うんだよ」

 彼の意見に、アルが愕然としてレオンを見上げ、あたしも自分の思考を中断して、レオンの方を向いた。

「どういうこと? レオン」

「いや、天使って、ミナの話だと悪行を裁くんだろう? そういう存在が悪意に気づかないもんかなってところが、オレは腑に落ちないんだ」

 そういえば、彼には神の庭アニマムエルムの話をした時にそんな説明をしたっけか。

「つまりレオンは、そういう存在の天使が、悪意を持って近づいてきた相手と一緒になるだろうか、って言いたいのね」

「ああ。アルの母親は本当に善人で、それを彼女の周りにいた人間の方が騙して利用したんじゃないか、って考えた方が、オレはしっくりくるんだよ、今の話」

「でもレオン。いまそんなこと論じたって、事実なんて出てこないじゃない」

 母親は行方不明、十年も前の事だから当事者を探し出すのも骨が折れる。当時、ここで本当は何があったか、なんてことを知る人は……。

「それはそうなんだが……。結果として起きた事実や現実は変えられないけど、憶測だけで人を貶すのは良くないだろう。事実が出てこないなら、決めつけも良くないじゃないか」

「それは、そうだとあたしも思うけど」

「まあなんだ。オレが言いたいのは、結果だけ見たら変わらなくても、思い込みもよくないだろってことだ。自分で自分に裏切り者の子供って呪いをかけるのは簡単だけど、その呪いを解けるのも、自分だけだ。事実がわからないなら、母親を信じてやってもいいんじゃないか?」

 レオンはアルを励まそうと、わざわざこの話題に踏み込んだのか……。けれど、あたしはその彼の言葉を、素直には受け入れることができなかった。

「……誰かにそう言われたって、感情がついてくるかは、また別の問題じゃない」

 彼はアルに向かって言っているのに、あたしがつっかかるのは違うとはわかっている。が、口をついて出てしまったのだから仕方がない――うん。

 うつむき気味に、ちらりと上目遣いにレオンの顔色を伺う。彼は、虚をつかれた顔をしていた。

「自分のことじゃないのに、珍しくつっかかるな? お前もなんかあったのか?」

「なんでそうなんのよ。今はアルの話をしてるんでしょ」

 拗ねた子供みたいだなー、という自覚はあるのだが、なんというか、気まずい。

 あたしは自分の気持ちを切り替えるために、一つ深呼吸をする。

「とにかく! レオンがそう言おうが、メルに素直になれないくらいに捻くれちゃったアルが、そう簡単に更生できるとはあたしは思えない、って話なだけだから!」

「――誰が捻くれた、だ。黙って聞いてれば」

「え、違うの」

 トゲのない声に、あたしは思わずいつもみたいに冗談で返す。が、アルはそれには答えなかった。

「ありがとう」

 月明かりに照らされた彼の顔は、泣き笑いのような、諦めのような――何かの覚悟が満ちていた。

「お前たちに、頼みがある」

「頼み?」

 彼の様子に嫌な予感を抱きながら、あたしは言葉の先を促した。

「メルのを、守ってくれ。オレには、それができないから」

 メルの、心? メル自身ではないのか……?

 メルを守るのは、メルからの依頼でもあるし、アルに改めて頼まれるものでもないんだけど……。

 あたしが彼の発言を訝しんでいる横で、レオンが聞いた。

「なんで、アルじゃできないんだ? 子供だからか? それとも――お前がもう、死んでいるからか?」

 アルはレオンの質問にも答えなかった。代わりに、別のことを口にする。

「オレに何かあっても、迷わず殺して欲しい。純血の天使セイラルト族はもう、メル以外命を絶った。アイツらはメルに死なれたら後がない。だから、」


『やれやれ。いけない子だねぇ』


 アルの言葉を遮るように、虚空から突然しわがれた声が湧いた。

 背筋をゾクゾクと不快感が駆け巡り、空気が張り詰める――!

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