第36話 ちゃんと考えないと。
「頑張るのよ~。」
バックミラーには俺の車に向かって手を振る『外見は男だけど内面は乙女』のヒデちゃんが映っている。
「ヒデちゃんにはいつも愚痴とか悩みばっかり聞いてもらってるな。」
満田がいなくなったせいで直売所の店長を引き受けるハメになったヒデちゃん。彼は元々夜の仕事をしていた。
スナック「ヒデオ」、彼がこの町に作った癒しのスポットで男に限らず女たちも事あるごとに通う、そんな店だった。
仲間とケンカした、だの。
恋人にフラれた、離婚しそう、だの。
仕事がうまくいかない・・・などなど。
みんな心に蓄積されたわだかまりをアルコールとともにヒデちゃんに吐き出す。それを彼は青髭の残る大きな顔で受け止め、時には涙も流しながら答えを返していた。
もちろん俺も彼のお店に世話になった1人である。
―――――――
「あら、久しぶりじゃない! 元気だった?」
「体は元気かな。心はあんまり。」
「雄ちゃん元気にしてるかな、ってみんな心配してたのよ。特にあの3バカはね。もう顔見せた?」
「いや、まだ。明日にでも行ってこようかな。」
「それがいいと思うわ。・・・、最初はビールから? それとも水割り?」
「ビールもらうよ。」
「了解。」と言いながらフリフリのドレスを着たヒデちゃんはカウンターの向こうで動き始める。肉体を鍛え過ぎているせいか服はパンパンで動きにくそうだ。
約10年ぶりに都会から戻って来た日の夜、婆ちゃんはさっさと寝てしまい、手持ち無沙汰になった俺は彼がやっているスナックに来ていた。
今日は他に客はいない。
最初は穏やかに状況報告をしていたが、ヒデちゃんが言った一言から俺の声は大きくなって、酒もドンドン進んだ。
「6年・・・6年も付き合ったんだぜ。あの日も繁忙期なのにあいつのためと思って休みを取ってたんだ。会社には親が来るって嘘まで言ってさ。」
『今までありがとう』
25歳の時、12月25日のクリスマスの朝。
あいつはそう言って俺から去って行った。
「俺のどこが悪かったんだろう。」
「全部でしょ。」
ヒデちゃんは呆れたように言う。
「休みは取ったって偉そうに言って。イブの夜、あの子が田舎から出て来ているのに大酒飲んで帰ったくせに。駅でずっと立ちながら待っていた彼女の横を素通りしたのは誰?」
「それは・・・仕方なかったんだよ、大事な取引先の忘年会だった。」
「女はね自分が一番大事にされたい生き物なのよ。だけど雄ちゃんが泥酔してるのを見て『この人はあたしよりも仕事の付き合いが大事なんだ』って思っちゃったに違いないわ。それに仕事が忙しいとか言ってクリスマスの前から、半年以上も会ってなかったらしいじゃない。」
「・・・。」
その通りだった。順調に増えていく売上や利益、仕事をやればやるほど褒められる。俺は周囲から持ち上げられ、酔いしれていた。
彼女もそれを理解してくれると、くれていると思っていた。あの日までは・・・。
ヒデちゃんは彼女が結婚したって言った。幸せそうだって。
その時、マンションの中で笑顔を向ける妻、足元を走り回る子供たちというありもしない現実が俺の頭の中に浮かび、一瞬で消えた。
ウイスキーの入ったグラスをグイッとあおる。特有の香りが口の中に広がったかと思うと、食道から胃袋がカァッと焼けるような感じがした。
会社はその時だけの名声は与えてくれたけど。
今の俺の手には何もない。
「俺は何がしたかったのかな?都会に出てまで。」
ヒデちゃんに聞かなくても実はわかってる。俺がバカだった、選ぶのものを間違えたんだ。
そして拠り所だった会社にも裏切られた。
グラスの中で氷がカランと音を立てる。ヒデちゃんは無言で酒を優しく注いだ。
「これからどうするかなぁ。30過ぎたオッサンが。」
「何言ってるの。30とか田舎じゃ若造もいいとこよ。」
「それは、まぁ、そうかもしれないけど。」
平均年齢は普通に50歳以上だろうからな。
「とりあえずはお婆ちゃんの手伝いでもして、田舎の生活に慣れることね。ニートにはお婆ちゃんも厳しいわよ。」
確かに。金の亡者の婆ちゃんがいつまでもタダ飯を食わせてくれるわけがない。それに組織の中で働くことは当分遠慮したい。手伝いのほうが気楽でいいだろう。
「・・・ん、そうしてみる。」
「はい、それじゃ乾杯しましょ。新たな門出を祝って。」
ヒデちゃんも自分のグラスを取り出しウイスキーをなみなみと注いだ。そして俺のグラスに軽く当て、カチンッと音を鳴らす。
「いい人もきっと見つかるわよ。」
「・・・いるかな?こんな田舎に。」
「すでに目の前にいるじゃない。」
勝ち誇るヒデちゃんの顔を見て俺はプッと吹き出していた。
―――――――
「・・・ユイは『いい人』だよなぁ。もちろん。」
車を運転しながら思わずつぶやいていた。彼女のことを意識してないって言ったら嘘だ。それにヒデちゃんと話をしてその思いは強くなっている。
「30過ぎのオッサンが振り回したらユイに迷惑をかける。ちゃんと考えないと。」
俺は彼女のことが好きなのだろうか?
「ユイと言えば・・・男が苦手。触られるのも嫌。すぐ殴ったり、剣で切ろうとする。」
・・・もっと他にある、よな?俺は彼女の顔を思い浮かべる。すると、現れたのは騎士としてリリーナを守ろうとする凛々しいものとは別の、どこかあどけない表情だった。
「そう言えば、いつだったかウニ割りを最後まで手伝ってくれたっけ。今日の商品作りをしている時もそうだけど、たまに気を張ってない素の幼い顔をするんだよなぁ。そういうの見ると可愛いって・・・。」
そう思ってるよ、俺。
「・・・頑張れ、雄太。この機会を逃したら結婚なんてもうできないかもしれないぞ。」
俺は次第に緊張し始める。林道を抜け、屋敷のある島へと渡る橋が見えた。その時、
「よし、あと少しだ、って何だ! 危ねぇ!!!」
車の進行方向、道路の中央に茶色い塊が置かれていた。
事故る! 頭の中でアラートが鳴り、俺はブレーキペダルを力の限り踏む。
車はガガーーーーッ!!という激しい音とともに無理やりに制動をかけ、ぶつかる寸前で止まった。
「・・・・・・た、助かった。こんなところに、岩か?」
それが何なのか確かめようと車から降りる。その正体がわかると俺は改めて止まることができてよかったと思うのだった。
「岩なんかじゃない。これは・・・犬!?」
その体は泥まみれでパッと見ただけでは、犬かどうかわからない。
そして、犬は顔を上げることなくうずくまったまま震えていた。
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