第3話邂逅

 転がり込んできた男は息もたえだえに、なんとか声を振り絞って言葉を発した。


 「……誰か……水をくれ……頼む」


 今にも消え入りそうに言い放つと男は疲労からなのか、床に倒れ伏す。


 急いで酒場のマスターと店員が男を抱き起こして水を飲ませ介抱してやる。そうすると男は口元から水がこぼれることもお構いなしに、勢いよくコップの水を飲みほしていった。さながら乾いた地面が水を吸収していくかのごとくだった。


 しばらくして呼吸もすっかり整い、落ち着きを取り戻した男は、店員の肩を借り立ち上がる。すると辺りをキョロキョロと見回し、酒場ですっかりできあがっている者の耳にも入るよう、大きな声で喋り始めた。


 「俺は発掘屋、ナイトフロックス商会に所属する者だ。頼む誰でもいい、俺たちを助けてくれ! 報酬金は幾らでも払うし、何でもする!」


 と、振り絞った男の声が酒場に響くと辺りは途端に静寂に包まれた。


 それもその筈である。ナイトフロックス商会といえば、この近辺シエラでは知らない者がいないほどのベテラン発掘屋組織であるからだ。そのナイトフロックスのメンバーが突然現れ、助けをうのだから、誰しも耳を傾けるのであった。


 男はこの静まりかえり、誰もが自分に注目している状況を逃すまいと、すかさず次の言葉を発した。


 「本当だ、信じてくれ。商会の名に誓って約束する、この通りだ!」


 そう言いながら男は頭を下げた。


 「助けるってのは何だ? お前さんの商会の便所当番でも代わってくれってお願いかい?」


 近くにいた大柄の男がふざけた返事をすると、辺りはどっと酔っぱらいたちの笑い声に包まれた。次から次へと言葉が飛んでくる。


 「良いね、最高だね! そんな楽な仕事で大金が稼げるとあれば俺が立候補してやるよ!」


 今度は遠くの席から、また男を馬鹿にするような返答ばかりがかえってくる。


 そして、その返答を皮切りに次々と酔っぱらいたちの冗談が酒場に飛び交う。


 「おいおい、抜け駆けは良くねぇぜ。ちゃんと公正に選んでもらわんとよぉ」

 「そうだぜ、何しろ相手さんは一流で幾らでも報酬金を出すつってるんだ。三流発掘屋は門前払いだぜ?」

 「だったら、一流の俺ん所が引き受けなくちゃなぁ。他の奴ら何て便所はおろか、自分の部屋の掃除も満足にできない連中なんだからよぉ!」


 さっきまでの静寂が嘘のように、酒場は再び喧騒を取り戻していく。


 こうなっては可哀想に。ラルフはそう思い、新聞を読むふりをしながら聞き耳を立てていた。

 しかし、助けを求めていた男にも落ち度がある。幾ら自分が切羽詰った状況にあるからといって、助けて欲しい具体的内容をきちんと説明しなかったのだから。


 そんな曖昧な言葉で助けを求めても、酒の入った発掘屋連中に相手をされないのは当然のことだ。

 ただでさえ、発掘屋同士の依頼のやり取りはトラブルが多く、契約内容の確認を第三者に頼むことがほとんどなのだから。例え緊急を要する事があったとしても、だ。


 ――不憫だが致しかたないな。ラルフは心の中でそう呟いた。


 だが、男も黙ってはいられなかった。周囲からの罵倒にも似た冗談を浴びせられ続け、さすがに我慢の限界だったのだろう。


下手したてに出てればいい気になりやがって、お前たちは人の話を真剣に聞くって事もできないのか! まぁ例え聞けたとしても、人を小馬鹿にすることしか能がないお前らド三流発掘屋には、どうしようもできないけどな!」


 男は怒鳴るようにして周囲を挑発した。その言葉は、酔いが回っている発掘屋たちを怒らせるのには十分すぎるほどであった。


「だったら聞いてやろうじゃねぇか、そのナイトフロック様の高尚な頼みってやつをよぉ」


 威勢のいい男が返事をすると周りからも、まるで示し合わせたかのように、「そうだそうだ」と声が上がる。

 連中、ようやく話を聞く気になったか。ラルフは遠巻きから内心安堵しながら注目する。少なからず男の依頼に興味があったからだ。


 「いいか、良く聞けよ。俺たちナイトフロックスは、ここから北にあるモルチアナ緩衝地帯で先日、風化などが少ない状態の良い遺跡を見つけた。勿論、未だ誰も手を付けて痕跡がない遺跡だ。だが……」


 そう男は言いよどむと、何かを思い出しているように見えた。


 「早速発掘しようと、一旦この街に戻り物資を補給して、発見した遺跡周辺に向かう途中で奴らに襲われたんだ……あいつら……グローラ連邦軍にっ!……」


 その名前を聞いた途端、周囲には先ほどとは違う静けさが訪れた。正確には緊張が走ったというべきなのだろう。それも当然だ。何せここシエラ国周辺で活動する発掘屋にとって聞きたくもない名前が挙がったのだから。


 ――グローラ連邦軍。大国グローラ連邦の正規軍でありながら、遺跡発掘専門の部隊を有し、周辺諸国に外交的圧力を掛けて発掘を行っている連中だ。

 いち早く遺跡を発見するためならば、どんな手段を使ってでも探し出し、時には武力行使で発掘屋の発見した遺跡や遺物を威嚇して横取りすることもいとわない。最悪、彼らの命令に背けば殺されることがほとんどだ。

 そのため、グローラ連邦軍に煮え湯を飲まされた発掘屋も多い。


 だから、その名前を聞いたら関わりたくない、関わってはいけないと思うのは必然である。どう考えても面倒事であることが目に見えるからだ。


 「幸いにも俺を含む数人は、見張りとして発見した遺跡に残っていたから襲撃に会うことなく無事だった。だけど、俺たちのボスと仲間が船とともに奴らに撃沈されちまったんだ! 生き残っているか分からないが恐らくはもう……。頼む、誰か、俺たちの代わりにグローラの奴等より先に遺跡を発掘して、俺たちナイトフロックスの無念を晴らしてくれ! この通りだ!」


 そう言って男は潔く、深々と頭を下げた。


 しかし、そんな男の真摯な姿勢に周囲の連中がとった態度は、あまりにも冷たいものだった。


 「何て言うか、ご愁傷様だな」

 「運が悪かったな、でも命があるだけマシだぜ。だから、あった事はさっさと忘れて、強く生きな」

「力になってやりたいが相手が相手だからなぁ……すまんが他を当たってくれ」


 男たちの返事はどれも素っ気なく、さっきまでの威勢の良さはなりを潜めていた。

 ラルフも男の依頼内容を聞いて、気の毒だと感じたと同時に、自分にもどうにもできない案件だと思った。


 事が事だ。関われば自分の命どころか仲間の命も失う可能性がある依頼なんて引き受けたりはしない。賭けてもいいのは自分の命だけだ。


 「何だよ……何だってんだよ! さっきまで偉そうにしてたくせに、都合が悪くなるとそれかよ! 腰抜けどもめ、恥ずかしくないのかよ。お前らが同じ立場になっても、そんな態度でいられるのかよ!」


 だが、その言葉に応える者は依然としていない。無理もない。相手はグローラ軍で戦闘を本職にしている連中だ。それに対し、碌な武装もしていない発掘屋達が例え束になったとしても勝機は無いに等しい。


 もっとも、まともに軍と対抗できる発掘屋がいないわけではないが、それは世界でも数えるほどしかいない異例な存在である。だからごく平凡な発掘屋である者たちが、誰しも男の依頼に応じないのは仕方のない事だった。


 「畜生……。誰か助けてくよ、お願いだ……」


 そう懇願する男の声は、段々涙声になってきていた。


 しまいには床に泣き崩れ、男の悲痛な姿が酒場の雰囲気をより暗くさせるのであった。

 他の発掘屋連中も酒を飲むことや煙草を吸うのを止め、自分が座るテーブルに視線を落とし、口をつぐんでいる始末である。


 さすがにこの状況を不憫ふびんに思ったのか、ずっと男の傍にいた酒場のマスターが彼だけに聞こえるように耳打ちをした。

 その光景に、ラルフはとてつもなく嫌な予感がした。

 すると打ちひしがれていた男の顔は、さきほどとはうってかわって、明るい表情を取り戻していく。そして。


 「あの発掘屋〈白き巨兵アルビオン〉のメンバーが今ここにいるのか!」


 叫びながら男は立ち上がり、早速目当ての人間を探し出そうとする。ラルフの予感は最悪な形で的中してしまったのであった。

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