兄妹との出会い、そしてハローワーク
世界に理不尽がありふれていることを知ったのはいつだろうか?
それは誰しもがいずれ気づくこと。 いや気づいてしまうと言うのが正しい、社会が子供達に隠してきた真理なのだ。
とある大企業がその本社機能を移転したことによって発展できた中堅都市。 ほんの数十年前までは何もない農村だったそうだ。
本社移転によりまずそこに勤めている社員とその家族、また取引や子会社が引越しをしてきた。
決して少なくない人間が移り住んできたことで採算が取れると踏んだ者達が次々と店舗を展開し始め、それによって増えた税収で街は大学等を誘致する。
そしてまたまた増えた人々を対象とした商売が勃興し始め、街はますます発展し続ける。
その過度期に彼と父親はこの街にへと越してきた。
母親と別れ、新しい街へと住む事は少しだけ不安だったが、街には同じように余所から移り住んできた者達がほとんどなので行政も近所の人々も配慮が届いていたように思える。
まだ子供だったが彼にはそう見えた。
そして彼にもささやかながら一つの楽しみが出来る。
先月転校したばかりの小学校。 そこに向かう通学路の途中には大きな家があった。
テレビの中でしか見たことのないような大きさで、庭には綺麗に整備された花壇があり、学校からの行き帰りの中で風に乗って良い香りが自分よりもはるかに大きい門越しからしてくる。
佐原宗雄はその前を通るのが好きだった。
転校してからの最初の一週間。
生来の人見知りで友達ができず前の学校の友達のことを思い出して住んでいた町に帰りたくなったときも、自分の少し前をクラスメイトの男子達がはしゃいで歩いている姿を見て、当時ではわからなかった胸の痛みに苦しんだときでさえその香りを嗅げばホッとできた。
まだ子供だった自分を慰めてくれたその場所にはいったいどんな人が住んでるんだろう?
きっとテレビの中で見るような優しいお父さんが居て、いつも笑っているお母さんも居て、そして自分みたいな人間とは違う子供が居るんだろう。
きっとそうなんだ。 そうに決まってるよ。 勝手にそう思っていた。
そしてまだ見ぬ家の住人を想像していることが当時の自分にとっては最高の娯楽であって、憂鬱な登下校から家に帰るまでの楽しい時間だった。
そんな彼の家は新築とはいえ小さな2DKの平屋で、母親は離婚して居らず、父と二人だけで住んでいた。
『いや~、このご時世に再就職できたうえに社宅まで面倒みてもらえるなんて、会社には感謝しないとね』
父が電話越しに祖父母にホッとした顔で報告しているのを目撃したときに彼は『ああここでずっと暮らしていかないといけないんだ』と心の中で理解した。
どうして引越しするの? お母さんは何で一緒にいかないの?
彼からしてみればそれは理不尽だった。
今までの生活が一変することを知って当然の疑問を両親に問いかけたが、二人は曖昧に笑って彼が理解できるようなことは言ってくれない。
ただただそれは子供の彼には抗えない決定で、どんなに理不尽でおかしいことでもそれを受け入れないといけないのだ。
当然その疑問は氷解することなく、先ほどの父親の安心したような疲れたような顔を見たときにそれを口にしてはいけないことなのだということは気づいてしまった。
お父さんを困らせちゃいけない。
性格的に優しい性格だった彼はその理不尽を受けいれた。
ただし受け入れはしたけれど納得はしていない。 ただただその類の質問を禁句にして彼はモヤモヤとした毎日を過ごしていた。
そんな宗雄が彼らに会ったのはある日のことだった。
学校へと向かう途中、家の前に差し掛かったときにいつもの香りと一緒にザクザクとした音が彼の耳に入ってくる。
なんだろう? 不思議に思って門の隙間から覗き込むと、綺麗に整えられた花壇を何かが踏み荒らしていた。
それは彼よりも小さな男の子で、遠目からでもよく仕立てられたシャツと半ズボンをはき、足元が汚れるのもかまわずに花々を踏み荒らしている。
やがて疲れたのかその体格には不釣合いな大きな裁ちばさみでむちゃくちゃに荒らした花壇の中に突き入れてはザクザクと茎や根を切り刻む。
表情は宗雄が今まで見たこともないくらいに強張っていて、自分よりもはるかに年少であるその子を怖いと思えてしまうほどに瞳には怒りが満ちていた。
そしてその男の子の後ろには同じ年齢くらいの少女が立っている。
驚くほどに白い肌と同じようにまるでお姫様が着るような白い服で、目はクリクリとした可愛らしい女の子だった。
だがその瞳は男の子とは対象的に何の感情も読めない。
まるで人形のようではなく人形そのものに見えた。
少女が宗雄に気づいて視線をゆっくりとこちらに向けなければ本当にそう思えただろう。
少女が小さく声をあげた。 声は聞こえなかったけれど白い肌に映えるようなピンク色の唇が開いたからだ。
男の子も顔を上げて彼を凝視した。
「うわっ!」
悲鳴を上げて宗雄はその場を走り去った。
何かいけないものを見てしまったような罪悪感と恥ずかしさがこみ上げてきて苦しくなっても足を止められないで学校へとひた走った。
それが佐原宗雄と有原兄妹の最初の出会いだった。
幼馴染達がやってきた次の日、彼はこの一年間すでに常連となっているハローワークへとやってきていた。
もはや顔見知りになっている窓口の中年男性に軽く会釈し、仕事を探すためにパソコンのマウスに触れる。
二人にああいった手前、早く仕事を見つけないと気ばかり焦ってしまうが、入っている求人内容はいつもと変わらない。
長く不景気である以上は求人の絶対数が少ないのは当たり前だろう。
だが彼がいま見ているように長期に募集をかけているような会社には大きく二つに分けられる。
まず一つはハローワーク自体が上部のお偉いさんに圧力をかけられて、形だけでも良いからと企業に雇う気も無いのに求人募集をかけさせている事例。
とりあえず形だけでも整っていればいいというお役所仕事というか日本的な建前によって作り出された幻のような募集が実際にあるのだ。
だがこれは問題ない。 ハローワークなのに『こんにちわ仕事さん』が出来ないというのだから問題は大有りなのだが、窓口の人間と仲良くなれば求人票を印刷して持っていったときにそっと教えてくれるのだ。
その関係を築くまでに何枚の履歴書を書くことになったんだろうかと少しだけ遠い目をしてしまう。
当然ここ一年通いつめたことで宗雄はその類の求人を把握している。 そういう意味では彼が強いられた紙とインク、そして時間の浪費は無駄にはなっていないのだ。
そしてもう一つの理由は実際に求人をし、おそらくは食い詰めた失業者が何人も面接を受けたであろうのに、それでもまだ募集をかけ続けているのという企業。
これは入るたびに労働者が辞めているということに他ならない。
この類の会社の労働条件ははっきり言えば無い。
正確に言うとあるのだがそれは当然法律という最低限のルールすらも無い、あるいは書いてあってもそれは文字通り書いてあるというだけで守られている事など無い。
まるで車が来ていない横断歩道の赤信号なみに守られていないという現実が存在しているということだ。
もちろん仕事を選り好みする気は無い。
たとえば24時間寝ないで働けとか、給料をもらえなくてもありがとうだけで生活できると言う言葉を比喩ではなく実際に実行するような真性のサイコ野郎が居るような職場でなければ多少の無賃労働もサービスして働こうという気持ちはあるのだ。
実際にそんな職場なんてこの日本には大なり小なりたくさんあるのだ。 信じられないことに。
しかしそんな会社にうっかり就職しようものなら、彼のことを愛してやまない幼馴染達が怒りくるって倒産させるようなことになってしまう。
というか実際あった。 かなりの数。 そして同じ労働奴隷達が奴隷から無職へとランクアップ?ダウン?するという実例が。
まだ社会に夢を見ていた頃の彼が寝不足で目の下に隈を作っていたのをみた二人が大いなる憤怒と人生を潰しても何の心を痛めない不道徳な人間に嬉々として報復する様を。
なのでそういう求人も排除すると検索結果に出るのはいつも通りのわかりきった答えだ。
『お探しの件数は0件です』
蜃気楼をひたすら追いかけるような徒労と死んだ目で奴隷になるという選択肢しか無い状況にはさすがに心が折れてくる。
やはりあいつらの申し出を受け入れるべきだろうか?
いやそれだけは駄目だ! 最悪でもないがもっとも選んではいけない選択肢、いや選んではいけない選択肢なんだ…それは。
「もう昼か…仕方ない少し外へ出るか」
薄灰色の壁にかけられたデジタル時計を見て席を立とうとする。 パソコンの画面を閉じようとして凝視する。
一部表示が違う。 すでに見慣れていた文面の一部。 0のところが1と成っていた。
「沢原企画…イベント会社か」
求人表をクリックする。 年間休日、昇給、そして給料と相場よりもやや低いがそれが逆に現実的な条件に見えた。
またそれとは別に勤務地も彼の家から近く、これならば最悪電車賃が無くても一時間も歩けば通える距離だった。
「よし…幸先いいぞ、これは」
一人呟くと早速その求人票を印刷して立ちあがると向かい側の席の人間もタイミングよく同時に立ち上がった。
それは疲れきった瞳とやや伸びた無精ひげと反比例するように孤独そうな頭髪の中年男性と目が合い、思わず会釈する。
向こう側でも同じようにされた。
くたびれた見た目とは裏腹に妙に人懐っこい印象を受ける人だった。
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