【5】太陽神の神殿(1)
どれくらい前からここにあるのだろう。とても巨大な二本の水晶柱が、白い岩肌にぽっかりと口を開いた洞穴の前にそびえ立っていた。
神の山には黒い暗雲がたれ込めていて、何度も雷鳴が轟いている。
まるでアルヴィーズが怒っているかのように。
リセルは前を歩くルーグの後ろで自嘲ぎみに唇を歪ませながら、紅に染められた瞳を細めた。
この柱に近付くにつれて、頭が鉄の輪で締め付けられるようにきりきり痛んだ。
ぐっと肩を押さえつけれられているような重圧感もある。
耳元でぐわーんと反響し続ける鐘の音がずっと鳴り響いていた。
『それでもわたしは先に進む』
そういう強い意志を持ち続けなければ、すぐにでも気力が萎えて足が竦み、身動きすらできなくなりそうだ。水晶柱は古の神殿を邪悪な魂を持つ者達から護るために、古代の人間が作った巨大な結界であった。
「リセル。君は『神の山』の神殿に来た事があるかい?」
ルーグが鼻歌でも歌い出しそうな陽気さで振り返った。
その動きに合わせて肩まで伸びた黒髪が風をはらんで揺れた。
彼の気分が高揚しているのは、ここがアルヴィーズ神の領域だからだ。
神殿を護る『神殿騎士』は、アルヴィーズに祝福された銀の剣を帯び、かの神の加護を得ている。水晶柱に近付くにつれて気力が挫けるリセルとは正反対に、ルーグは体全体から生気に満ち溢れていた。
「来た事は……ない。「神の山」は、普段は入山が禁じられている聖域だ」
重い口を開きながら、リセルは気力と共に一歩を踏み出す。
顔をあげるといつしかルーグが立ち止まって、リセルが追いついてくるのを待っていた。
「疲れたんじゃないのか? おぶってやろうか?」
「……不要だ」
リセルは立ち止まったルーグの隣を追い抜いて歩き続けた。
(馬鹿者。ここで休んだら、わたしは二度と立てなくなる)
リセルはあと数十歩という距離まで近付いた水晶柱を睨み付けた。
耳元で鳴り響く鐘の音は一層かん高く音量を上げ、それに古代人の呪いのようなもごもごとした詩が加わって、今にも発狂しそうになる心境だが、所詮あの水晶柱は限りある力を持つ人間が作った
(だからわたしは、あの間を通ることができる)
額から流れ落ちた冷たい汗を拳で拭い、リセルは水晶柱の間を抜けることだけを考えた。
(先へ進む。その強い意志を持ち続ける限り、機械ごときの力でわたしを止める事はできない)
リセルの足は確実に水晶柱との距離を詰め、ついに間を通り抜けた。
肩を押さえ付けていた重圧がふっと抜けた。リセルは思わずその場に座り込んだ。
息が乱れる。水晶柱の結界は無事に抜けたが、新たな
「リセル。大丈夫か?」
ルーグが黒いマントを翻しながらリセルの隣に駆け付けた。
リセルは差し出されたルーグの手をつかみ立ち上がった。
「顔が真っ青だ」
「流石に少し……疲れただけ」
リセルはルーグの手を解き、前方に口を開く洞穴を凝視した。
人工的にアーチ状にくり抜かれた白い洞穴の前で、いつのまにやってきたのだろう。一人の女性が立っていた。
肩まで切り揃えられた金色の髪は淡く、リセルを見つめる青い瞳は久しく見ていない透き通った空のよう。彼女は袖の長い清楚な白い法衣を纏い、額には
年の頃は二十を過ぎたぐらいの若い女性だ。
恐らく「神の山」の神殿でアルヴィーズに仕える巫女だろう。
「小さな子供なのに、その精神力は巨人のよう。結界を抜けたあなたの力は認めるけれど、『その姿』でアルヴィーズの神殿に入る事は叶いません。さあ、ここから立ち去るのです。命が惜しければ」
リセルを見下ろしながら巫女は冷たく警告した。
「それはわかっています。でもわたしは、どうしてもアルヴィーズに会わなくてはならない」
「アルヴィーズ神に? あなたが?」
巫女は驚いたように目を見開き、まじまじとリセルの顔をみつめた。
「あなたはひょっとして、「神の山」の神殿の巫女どのか?」
リセルの隣にルーグが並んだ。巫女はルーグの姿をみて小さくうなずいた。
「ええ。王命によりここの管理を任されております。巫女のアルディシスと申します。あなたは神殿騎士……?」
ルーグは腰に帯びていた銀の剣を巫女に見せた。
「私は神殿騎士のルーグ。そしてこちらの少女はリセル。訳あって『ルディオール』に呪いをかけられ、髪は白銀に、瞳は紅に変えられてしまった。私達がここに来たのは、アルヴィーズに会って呪いを解いてもらうためなのです」
巫女アルディシスは戸惑ったようにリセルとルーグを見つめた。
「確かに――三日前から邪悪な気配を王都の方から感じてはおりました。同時にアルヴィーズ神の御力が弱まっていくのも。まさか……まさか、アルヴィーズの半身『ルディオール』が現世に現れるなんて!」
アルディシスは動揺しているのか、両手を白い頬に添え目を伏せた。
「わたしのせいなんだ」
リセルは自分にいいきかせるようにつぶやいた。
「えっ?」
アルディシスがおずおずと顔を上げる。
「だから、わたしがルディオールを封じるために、あいつに歪められた姿を元に戻さなくちゃならない。そのためにわたしはここに来た」
リセルはアルディシスの脇をすりぬけ駆け出した。
皮肉にも小さな身体の子供であることが幸いした。
リセルの姿はあっという間に洞穴の薄闇の中に消えた。
「あっ! 駄目です! 神殿に入っては」
不意を突かれたアルディシスが半ば悲鳴じみた声を上げた。
金色の髪を乱して振り返りながらリセルの後を追おうとしたとき、その細い腕をルーグが掴んだ。
「なっ、何をするのです! 早くあの子を止めなくては!」
「その必要はない」
ルーグの声は落ち着いていた。
驚く程落ち着いていた。
飄々とした青灰色の瞳にも動揺の影は微塵も表れてはいない。
アルディシスはそれを無知からくるものだと察して叫んだ。
「神殿騎士のあなたは知らないかもしれないけれど、善と悪。これらは光と闇と同じくして相反し、決して互いを制することができない絶対的な存在なのです。ですから、アルヴィーズ神が降臨されるこの「神の山」の神殿には、古の契約により邪悪な意志を持つ者は入ることができません。私達が地の闇の領域に入れないように。無理矢理入ろうとすれば……」
はっとアルディシスは顔色を変えた。
洞穴の奥の方からくぐもった子供の悲鳴が聞こえたのだ。
「ほら! 私の言った通りじゃないですか! だからあの子は神殿には入れないと言ったのです。ルディオールの力に満ちたあの子供は、アルヴィーズに拒まれたのです。きっと死んでいるわ」
アルディシスは法衣の裾をひらめかせて洞穴の奥へと走り出した。
ルーグは黙ったまま薄暗い洞穴の奥を見つめると、彼女に続いて歩みを進めた。
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