学園都市 05

 マリアベルとテルシェ、屋敷を訪れた二人の少女を見送った後、ラルはゆっくりと玄関の扉を閉じ――そして、カーテンを閉め切った真っ暗な部屋の中、足を止めくるりとそこに居る人物へと向き直った。


「さて――君はこれからどうするんだい」


 話掛けられた男の長髪が揺れる。


「……良かったんですか?」


 暗闇に立っていた男――バートラムはそう言って一歩、薄い明かりの下へ踏み出した。バートラムの言葉に、ラルが笑う。


「おや、彼女達に先回りして、会話を聞かせて欲しいと頼んできたのは君だろうに、何を今更」

「随分と仲介者から信頼されていたようですから。それを損ねる真似をして良かったのですか」


 剣呑な目付きの中にも、そうさせた事への後ろめたさを混ぜてバートラムが問う。それに、白衣の男は口元を歪めた侭、真っ暗な天井を仰いだ。


「良いんだ、良いんだよ。コールドマンを裏切るような事は何もしていない。だって君は、これを知ったからといって彼女に対して何を得る訳でもないだろう? そう寧ろ、僕は君に悩みの種を与えたに過ぎない。本当に、この任務を遂行しても良いのか――とね」

「…………」


 胸の内に蟠る思いを言い当てられ、バートラムは押し黙る。


「んん、まあ良い。目的は果たしただろう。君も部下の所に戻り給え」

「…………。そうですね」


 お世話になりました、と挨拶すると、バートラムは白衣の男へと背を向け、光の差し込む玄関へと歩き出す。――その後ろ姿に、ラルが低く擦れた声で、言葉を掛ける。


「君も気をつけ給えよ。君の主――帝国都市の王は、一筋縄で行く存在じゃない……。上手くやる事だな」

「……我々の存在はただ都市の民の為に――私は王に仕えているつもりなど、ない」


 振り向かず、バートラムはそう宣言し、強い足取りでその場を去って行った。


 ◆ ◆ ◆


 二人が駅まで戻った時、周囲には橙色の影が差し始めていた。斜めに差し込む陽が大気中の塵を介し、周囲の建物を赤く染める。あと暫くすれば闇夜が訪れるというのに、駅前の広場はまだまだ若い学生達でごったがえしている。ぽつぽつと帰宅の準備を始めている者達も居たが、寧ろこれからが本番だという雰囲気が大半のようだった。


「ただいまー!」


 元気の良い声と共にぴょこんと跳ね、テルシェはブラックホースの車内へと飛び込み、大きな黒鎧がそれを出迎える。


『おかえりテルシェ。お行儀良く出来たかな?』

「当ったり前! それよりおじいちゃん、聞きたい事があるんだけど――」


 テルシェとベンジャミンが会話をする横をすっと通り抜け、茶色い頭がひょっこりと頭を出す。それは心から待ち侘びたと満面の笑みでもう一人の少女を迎える。


「おかえりマリィ!」

「ただいま、シルベスター」


 駆け寄ったマリアベルを抱き締めると、シルベスターはその侭彼女を抱え上げる。


「まりいいいい、会いたかったあ! ああマリィが足りない!」


 少女の肩に顔を埋め、その顔を幸せそうにふやけさせながらくるくると回るシルベスター。マリアベルもその頬を優しく触れる。


「私も会いたかったよ、シルベスター。仕事はどうだった?」

「ふ……っ、襲い来る無理難題をも打ち破り、勝ち取ったこの勝利……! 安心しろマリィ、俺達は見事屋根の修復に成功しました!」


 軽快な効果音でも響きそうなポーズをビシリと決めシルベスターは車両の一角を指し示す。そこには宣言通り、以前の状態より綺麗に修復された八号車と九号車の姿があった。


「良かったシルベスター、すっかり技を習得したんだね。これで後何度襲撃されてもまた元通りに直せるね」

「出来れば何も無い方が良いけどね!」


 イチャイチャと人目も憚らず戯れる二人に、窓から顔を出して、自駆機械オートマタが話し掛ける。


「本当に、色々計算外の妨害が入りましたね。まさかおやつタイムがあの様な惨劇を生むとは」

「ああ……何でビスケットの付け合わせの話から九号車をお菓子の列車にするなんて話になったのか、俺はもう思い出せないな……」

「私は付け合わせならオイルが一番だと言ったのですが」

「そのオイルが液体燃料じゃなくて食用油だったら良かったんだけどな」


 その時の事を思い出し、シルベスターは感慨深く呟く。


「何だか大変だったんだね、凄く」


 マリアベルが首を傾げた時、車内から一際勢いの良い怒号が響いた。


「ほらお前ら―! 何時まで外でくっちゃべってんだよ! 俺様の華麗なる夕餉を冷ますつもりかあ!?」


 料理人であるバジルがおたまを振り上げ、早く来いと命ずる。言われてみれば、何時の間にか周囲には駅にはそぐわない、芳しい香りが満ちていた。

 三人は顔を見合わせると、白熱灯の明かりが漏れる賑やかな車内へと足を進ませたのだった。


 ◆ ◆ ◆


 ――数時間後。

 騒がしくも温かな夕べを過ごした後、シルベスターとマリアベルは宛がわれた部屋へと戻って来ていた。


「じゃあシルベスター、私、先にシャワー借りるね」

「ん、ゆっくり~、俺は久々の湯上りマリィを楽しみに待ってるから」

「ふふ、そう言えば、こんな時間まで一緒に居るのは久し振りだね」


 ブラックホースの備品から借りたバスタオル等を抱えて、マリアベルが浴室シャワールームへと消える。聞いた所に因ると、この列車の客室には全て浴室が備え付けられ、更に小さいながらもバスタブまであるという。有名私鉄の名に恥じぬ、何とも至れり尽くせりな仕様だった。


 シルベスターは壁際に置いてあった腕置きの丸い椅子に深く座り込むと、小さく吐息を吐いて、部屋の天井を見上げる。


 ――ハーティに案内されて以来、何時間振りだろうか。帝国都市の追手との交戦からずっと慌ただしくて、部屋に戻る暇などは無かったし、持ち合わせの荷物も無かったから、何かを取りに戻る必要すら無縁だった。


 否――そもそも、二人にとってこの一日全てが常にめまぐるしく動いていたと言えよう。朝、訳の解らぬ侭兵士から逃げ、逃げ込んだ先はこのブラックホースで、追い出されるのが当然だと思っていたのに受け入れられ、そこに新たな追手が現れて。


 いずれも非日常的な体験で、そのどれもが危ういラインで乗り越えたものだった。


 ――あと少し、兵士が機械都市の構造に慣れていたら。

 ――乗り込んだ列車が、ブラックホースで無ければ。

 ――追手の数がもっと多く、強大だったなら。


 これからも、恐らくこの様な綱渡りの状態が続くのだろう。けれど――。


「――――」


 シャワールームから水音が聞こえてきたのを確認し、シルベスターは口を開く。

「そういえばどうだった? そっちは」

『ん――』


 熱い湯気に因り曇った硝子戸の向こうで、くぐもった声が聞こえる。

『そうだね、色んな……色んな話を聞いたよ』


 マリアベルは語る。今日、案内されたラル・マコーレーの屋敷で聞いた話を。

 機械都市の事。ブラックホースの事。そして……マリアベル自身の事を。

 それは頓狂とも言える話だったが――シルベスターは何も言わず、只語られる一つ一つに相槌を打った。


 マリアベルが全てを伝え終えた後、部屋の中は静かに落ちるシャワーの音だけが響いていた。

 暫くの静寂の後――ぽつりと、小さな声がした。


「……あのね、シルベスター。私に、付き合わなくても良いんだよ」


 それは白い少女の声だった。ざあざあと注ぐシャワーの中、掻き消されそうな細い声で言葉が紡がれる。


「無理に約束、守ってくれなくて良い。これは……私の、問題だから、解ってるから、だから」


 水音がする。絶え間なく降るシャワーが少女の頬を濡らし、その長い髪を肌に張り付けている。少女が言葉を続けようとした時――それは硝子の向こうの声に遮られた。


「マリィ」


 先ずは一言。それから、虚飾でも、怒りでも無く、ただただ先走って失敗した子供に掛ける様な呆れた声が続く。


「あのなあ、マリィ? それはさ」


 ――言いたい事は色々とあった。けれどそれらを強く口にする事は無く、シルベスターはただ口先を尖らせて言う。


「それはひじょーに傷つきます」


 それだけを、ふざけているとも取れる様な明るい口調で伝える。それ以上は何も言わない。信じろとも、気にするなとも。けれど、二人の間にはそれで充分だった。

 ざあざあ。ざあざあ。温かな水の流れる音だけがする。撥水加工の床に落ちた水流は、用意された溝に沿って排水溝へと流れてゆく。今はもう、聞こえるのは水の音だけでは無い。

 立ち込める湯気の奥でマリアベルが微笑む。


「うん……そうだね、そうだったよね。御免ね、変な事言って」

「マリィが変なのは割と何時もの事かな~」

「あ、酷い」

「いやいや、結構真理だって」

「シルベスターなんて頭空っぽなのに」

「そんな事はないですー、最低でもマリィへの愛だけは詰まってますー」


 くすくすと笑い合い、二人の間に緩やかな空気が戻ってくる。シャワーは既に止まっていた。少女の影が動き、ぽちゃりと水に足を入れる音がする。

 まどろむ様な柔らかな沈黙の中、シルベスターがぽつりと口を開く。


「歌ってくれるか、マリィ」


 唐突な頼みに、マリアベルはどうしてかと聞き返す。明確な返答は無かった。


「今日はマリィの歌が聞きたいんだ」


 その返事に、マリアベルは小さく笑うと、喉を振るわせるべく呼吸した。


 ◆ ◆ ◆


 その都市の空は、満月だった。

 街の中に立ち並ぶ家々を、月明かりが照らしている。今日の月は一際明るく輝いており、街灯よりも強く道々を照らしている。それは、街の中央に威風堂々と建つ、巨大な城郭に対しても同じだった。


 時は夜の九時。その中の一角、最も広いとされるとある部屋の中に、それは立っていた。磨かれた大理石の床の上に、その姿が写り込む。背後に並ぶ巨大な本棚は昼間と何も変わらず佇み、けれど、その前にある書物机は今は明かりを落とし、山積みだった書類の山はまるで存在すらしなかったのように全て消え失せていた。


 日中の機械の様に正確な動きは今はない。格子状の枠が嵌った、床から天井まで届く巨大な窓ガラスの前に立ち、男は静かに浮かぶ月を見上げる。

 それは――何かを待つように。


 ――一刻。二刻。


 底の冷えた静寂が辺りを支配し続ける中、男は置物の様に微動だにせず、立ち続けた。

 三刻目に入ろうかという頃――軽いノック音の後外へと繋がる重い扉が軋みを上げて開いた。


 現れたのは、何処にでも居そうな凡庸な男だった。制服を身に纏った男は硬く敬礼すると、男へと報告を伝えた。


「先行部隊から連絡が入りました、目標は現在学園都市に滞在、三日後に同都市を出発するとの事。御存知の通り学園都市は警備の固い国――再襲撃は出立後が良いかと」

「――三日後」


 くぐもった声が制服の男の言葉を反復した。


「はっ、そうです、その後にしかるべく――」

わたしいずる」


 外を眺めていた男の体が――ぐるりと振り返る。

 窓硝子一杯に眩いばかりに広がった満月が、その姿を照らしだす。

 その男は――否、は、人たる姿では無い。


 注ぐ月明かりの下には――白光のような白を纏った、お伽噺の騎士が立っていた。


 頭部に掘られた眼光は鋭く。その高貴さを示すように、華美な装飾を与えられた体躯と、威厳を表す、腰から提げられた重厚な一振りの剣。

 正義を抽象化したような姿を持ったそれは、しかし法のように冷徹に己の目前の者を見る。それはかの大陸鉄道の所有者の様な姿を持ちながら――決して斯様な温かみを感じさせない。

 と、制服の男が騎士を見上げる。


「も、申し訳有りません、今、何と――」

「待テぬ」


 男の問いには答えず、騎士は告げる。


「はっ、し、しかし、相手はたかが小娘と素人集団、閣下がおいでになられるような事では……」

「待テぬと言った」


 一度たりとも聞いた事の無い騎士の言葉に、男は混乱する。普段はこの執務室に籠り切り、祝い事すら顔を見せぬこの騎士が、一体どういう風の吹き回しだと言うのか。


「し、しかし――」


 彼の言葉を理解しようと、尚も食い下がろうとする男の――その言葉が続く事は、無かった。

 ――――。

 無慈悲な音と共に、騎士の大剣が振るわれる。


 ぐしゃり――肉が裂け、骨が砕ける。熱い血潮を真白な大理石の床に振り撒きながら――男だった残骸が撒き散らされた。

 後には、白い剣に赤を認めた、霊廟の騎士の姿のみ。

 汚れを振るい落とし、ゆっくりと剣を腰の帯へと収めると――帝国都市の王は、遠い月夜をまた眺めるのだった。

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