大陸横断列車 ブラックホース 04


 大陸横断列車ブラックホース。その名が多くの人の知る所となった理由の一つは、前時代的な牽引部にある。機械都市に端を発する飛躍的な技術革新が世界に広まってからと言うもの、主だった鉄道の殆どは電子制御を搭載し、空気抵抗を計算した流線型の新型車に取って代わった。それは燃料等のコストパフォーマンスの為でもあり、蒸し暑い運転席を冷暖房完備の最新装備にして欲しいという運転手の希望を酌んだものでもあり、そして常に新たな流行を求める客の興味を引き付ける為のものであった。


 けれど人はどんな物にも慣れてしまうもので、当初はやれ最新だ、斬新だと持て囃されたものも、裕福層にとってはもう当たり前のもの。新鋭は日常に埋没し、同じ熱気はもうない。

 

 ――そんな時現れたのが、このブラックホースだった。

 否、それは唐突に現れた訳では無かった。それはずっと走っていたのだ、新たな時代が訪れ、世間の興味が移り変わっても尚、それ以前と同じように、ただ真っ直ぐと。


 かくして、振動なきハイテクで快適な旅に飽いた人々は、未だ走り続ける過去の遺産へと目を付けたのであった。


「――何で、あのオーナーは機関を買い替え無かったんだ? お金が無かったとか?」


 尋ねたのはシルベスター。それに答えるのはハーティ。


「それは……オーナーは言ってました、『私は機関車を走らせているのではない、ブラックホースを走らせているのだ』、と。多分、そういう事です」


 鉄道車両なら何でも良い訳ではなく。自分の愛するものを走らせたい。


「素敵な人だね」


 呟くマリアベルの後ろには、バレルが続く。

 シルベスターとマリアベルの準備が済んでから(主にはマリアベルの身嗜みだが)、彼等はハーティの案内で、機関室へと向かっていた。何か一番面白い所を、とのシルベスターのリクエストに、ではと彼女が選んだ場所が、そこだった。


 ガタンゴトンと揺れる車内。

 磨かれた木目の床を、四人――否、三人と一体が歩いている。

 先導するハーティが口を開く。


「マリアベル様も、機械がお好きなのでしょう?」

「好き……好きなのかな。うん、好きだけど――」


 少女は少し、言葉を迷わせてから。


「私の好きは、大したものじゃないから。何となく、好きなだけ。ベンジャミンさんとは違うよ。私の好き上位五十までは全部シルベスターが占有しているの」

「愛されていますね、ミスター」

「うん、幸せです」


 台詞は短く締めても、シルベスターの顔は幸福に溶けていた。


「あ、着きましたよ」


 ハーティの足が車両の端で止まる。続いて残りの二人と一体もそれに倣う。

 今彼らが居る車両は、一連の客車の中で先頭に位置するものだ。つまり、全ての車両の中で二番目のもの、この先は普段ならば乗務員のみが立ち入りを許される機関部へ繋がっているという事だ。

 隣へと繋がる扉の上には一枚のプレートが嵌め込まれている。


 ――「エンジンルーム」

 ――「関係者以外の立入を禁ず」


 コンコン、と、ボーイッシュな女性乗務員は慣れた手付きでその扉を叩く。


「はーい?」


 直ぐさま返事があった。二人が驚いた事に、中から返ってきたその声は女性のものだった。


「ハーティです。あの、お客様が見学をされたいとの事で、今大丈夫ですか?」

「あーはいはい、ちょっと待ってな」


 蓮っ葉な物言いと共に、古めかしい閂式のドアノブが回る音がして閉ざされていた重厚な扉が動き――中からひょいと、眼鏡を掛けた若い女が顔を出した。


 動きやすそうな飾り気のない黒地のシャツに、下は色褪せたジーンズ。栗色の髪は後ろに一纏めにされ、煤けた項が晒されている。総じて活発そうな印象を受けそうな格好だが、決してそれだけではないのは、レンズの向こうに在る彼女の瞳に落ち着いた知性を感じるからだろう。

 彼女は唐突に訪れた客人達を見、面白そうに口を開いた。


「へえ……? 随分若いお客様だね、今回は。後ろの自駆機械オートマタは手伝い用?」

「いえ、お三方ともお客様です」

「めえっずらしい! 自駆機械オートマタの客なんて!」


 ハーティの説明に、女は感嘆の声を上げ、丹念にバレルを眺める。


「自律自駆機械オートマタ……こんなものを作れるのはやっぱり機械都市かしら。この滑らかなボディ、ある程度技術の揃った都市でないと作れないわね。ああでも、この型なら――」

「あ、あの、今はちょっと……」

「え? ああゴメンゴメンハーティ! つい!」


 恐る恐ると声を掛けられ、女ははっとしたように独り言を止め、三人の客人の方へ向き直る。


「失礼、アタシはモニカ。モニカ・ニーベルンよ、ブラックホースの機関長をやってるわ。ブラックホースの機関エンジンの事なら何でも聞いて」

「俺はシルベスター、こっちはマリアベル」

「マリアベルよ、宜しく」

「バレルとお呼び下さい、ミス」


 四人は順に名乗り、軽く握手を交わす。


「シルベスター、マリアベル、その様子だとアンタ達はカップルさん? 若いのによく来たわね、結構値張ったでしょ、ここの切符」

「あ、いや、俺達は……」


 何処から説明するべきか。シルベスターが一瞬思案しかけた時、モニカの後ろから低い声が聞こえた。


「オイオイ……そりゃ俺がさっき説明しただろ、モニカ……」


 ひょっこりと、機関室から新たに顔を覗かせたのは、見覚えのある男。


「よう、シルベスターとマリアベルだっけか、また会ったな」


 そう言って、ニッと無骨な笑顔を向けたのは、最初に食堂車で出会ったオーバーオールの男――キースと名乗った機関士だった。

 モニカとは対照的に機関士らしい頑健な体をした彼は、しかしすぐさま飛んだモニカの叱責に身を委縮させる事となる。


「キース! アンタはちゃんと座席に座ってなさいよ! 二人とも目ェ離してどーすんのこの馬鹿!」

「い、いや、だってモニカが俺の話を……」

「言い訳結構! アタシとブラックホースどっちが大事なのアンタは!」

「そ……そりゃ、どっちも大事だけどよ、どっちかというと、俺はやっぱ……モ」

「ああん!?」

「ブラックホースですううっ!」


 モニカの強烈な睨めつけに、キースは言い掛けた言葉を呑み込み、そう断言する。いや、させられる。すごすごと引っ込むキースの大きな後ろ姿を見、客達はこの正反対とも取れる二人の機関士の関係を理解した。


「姉さん女房……って奴だな」

「仲睦まじい事は良きことです」


 尻に敷かれているとしか言いようのない姿だが、キースの態度を見るだにそれを嫌がる素振りはなさそうなので、彼自身は割と幸せなのだろう。


「変なモン見せちゃったわね、まあ、気にしないで取り敢えず中入ってよ」


 キースに対して物凄い形相を見せたモニカだが、彼が着席したのを確認すると、何事も無かったかのように三人へと向き直り、明るい笑みを見せて彼等が職場たる機関室へと入れるよう扉を大きく開いた。


「私はここでお待ちしていますから、どうぞごゆっくり」


 ハーティがそう言うので、二人と一体は彼女をそこへ残し、招かれる侭に機関室の扉をくぐる。機関室の扉は客車のそれよりも若干小さめの作りで、バレルの凹凸のある体が途中引っ掛かったものの、全員その暗い部屋の中へと入ることが出来た。


 機関室の中は余り広いとは言えず、人に比べると大柄なバレルが居ることもあり、窮屈な状態だった。操縦席には、様々な値を示す計器が針を揺らしている。年季の入った操縦桿ハンドル動力管パイプはどれも無骨な作りで、何処か懐かしさすら齎す。


「凄い……」


 今ではとんと姿を消してしまった旧式機械。時代に取り残されながらも今だ力強く動くその姿に、マリアベルが感嘆の声を上げる。

 機械にこんな表現は正しくないかも知れない。けれど、永遠とも思える轟音の中、マリアベルは強く感じるのだ、この鉄の車がまるで、生きているようだと。


「ふふ、アタシもそうだけど、お譲さんも大分、機械好きね」


 ニッコリと、モニカがマリアベルに微笑む。彼等の横では、分厚い防熱ガラスの向こうで鉱石燃料が赤々と燃え、室内の者の横顔を照らしている。


「……ブラックホースはね、オーナーが何処かで見付けて来たの」


 ぽつりと、モニカが誰にともなく言葉を紡ぐ。誰が尋ねた訳でもない、けれどその場に居る者は静かに彼女の声に耳を傾ける。


「詳しい事はアタシは知らないけどね。オーナーが見付けた時、ブラックホースはとても動かせるような状態じゃなくて、いっそ鉄材にした方が良いようなボロっぷりでさ。でも――オーナーはそうはしなかった。何を思ったか、何の思い入れもない、ぽっと出の廃車をお金を掛けて綺麗にして――そして、この小さな鉄道事業を始めたの」


 心なしか、響く走駆が静かになったような気がする。それはまるで、ブラックホースがモニカの昔語りに耳を澄ませているかのように。


「普通、わっかんないわよねー、大枚叩いて古臭い汽車なんて直さなくてもさ、鉄道がしたいなら、同じお金で新品のモノを買えば良いじゃない。オーナーがブラックホースを見付けた当時は未だ未だ機関車が主流だった訳だしね、その方がずっと性能的に確かよ。当たり前よね」


 髪をかき上げ、モニカは笑う。言葉の内容に反して、その笑みに、嘲笑うような意思はない。ただ在るのは、温かな、思い。


「……でもね――アタシにも、解るのよ、オーナーの気持ち」


 短い言葉だった。けれど、若き機関長のその言葉には幾つの言葉を重ねるより重いものが詰まっているとマリアベルは感じた。


「――アタシはね、機械が好きよ。機関車だけじゃなく、沢山の機械に触れてきて、そのどれもを愛してきたつもり。……機械もね、人間が気持ちを込めて扱えば、応えてくれるの。そういうのをアタシは、機械の心だって思ってる」


 機械の心。マリアベルにはモニカの言う事がよく解る。少女にとって、それはとても馴染み深いものだ。彼女が触れれば、機械は応えてくれる。厳密には、違うのかも知れない。けれど、元より人の心とて定義しきれぬもの。突き詰めてしまえば人の心だってただの電気信号なのだ。ならば――ならば、機械のそれを、心と称しても良いのではないだろうか。


「ブラックホースを走らせるとね、アタシは感じるの、ブラックホースの気持ち、走りたい、もっと走りたい、皆と一緒にって――どんな機械に触れた時より強く」


 精一杯の愛しさを込めて、モニカは微笑む。


「だからアタシはブラックホースを走らせるの。何処までも――この子が望む限り」


 決意に満ちたモニカに、マリアベルもつられて顔を綻ばしていた。

 その横顔を見ながらシルベスターは、波乱万丈から始まったこの予想外の列車旅行も案外悪くなく――寧ろ、千載一遇に訪れた素晴らしい幸運なのではないのかと思い始めていた。



 ガタンゴトン。ガタンゴトン。

 暫く、機関室の中はブラックホースの立てる轟音のみが響き続けていた。モニカの独白を聞き終えてからも、室内の者達は誰も口を開こうとはせず、各々胸の中に何らかの余韻を抱きながらただ流れ去る風景を、機関室の窓から眺めていた。


「……アハハ、ごめんねー、何か勝手に語っちゃって。何だろ、あんまりこっちには客来ないからかな、何かさ、言いたくなっちゃって」


 照れくさそうに笑うモニカに、感極まった声で運転席のキースが吼える。


「いやっ、モニカ――っっ、俺は、そんなお前がっ!」

「ハイハイ、アンタのそれは聞き飽きたよ筋肉馬鹿!」


 勢いで立ち上がった所を、スパーンと下から引っ叩かれよろめくキース。

 何とも息のあったコントに、思わずシルベスターは噴き出してしまう。


「ははは、仲良いですね」

「ただの腐れ縁よ、それより、君等これからどうすんの?」


 モニカの質問に答えたのは、扉に顔を出したハーティ。


「食堂車も見て頂きましたから、あとは次の街へ着くまでお部屋でごゆっくりして頂ければ良いかと。本なども車内にありますので、ご入り用でしたらお申しつけ下されば――」


 流石は有名列車と言ったところか、ちゃんと客の娯楽も用意してあるらしい。シルベスターは感心する。


「じゃあ、そうさせて貰おうか、マリィ。それともどっか行きたいトコあるか?」

「ううん、私はもう満足。これ以上お世話になるのも心苦しいし、今日は休もう」


 了解しました、とハーティは頷き、彼等が出やすいように入り口から退いた。シルベスター達は順に扉を潜って、外へ出――――

 ポンと、見送りに出て来ていたキースがその大きな手を鳴らした。


「あ、いや、この列車にはまだ名物があるぞ、ほら、ユウレ――」


 ヒュンッ ドッ ガッ


 それは一瞬の事だった。キースが最後の言葉を言い終わる前にモニカの拳が伸び、キースの巨体を殴り倒した。何事かとシルベスター達が理解出来ぬ間に、見えない壁の向こうから殴打音がべしばしと聞こえてくる。


「キースううう――――ッ! アンタっ、余計な事っ!」

「も、モニっ、ごめっ、駄目っそこはだめええええっ!」


 怒号と悲鳴。ぽかんとしているに客達に、ハーティが慌ててぎこちなく笑う。


「あ、はは、何でもありませんっ、お騒がせしましたっ、何もお気にせず……」


 ――気にせずと言われても、この状況では無理があると思うのだが。

 そう彼等は思ったが、それを口には出さずにそっと視線を反らす。


「アンタねえええっ! あいつは噂をする時に限って来るんだから、客の前で不用意に――!」


 その時だった。張り上げていたモニカの声が、ぴたりと止まる。それはたった一言、いや一声。


「モーニーカーちゃんっ」


 呑気な女の声が、そこに響いたからだった。


「あ……」


 しまった、という顔をするハーティ。けれど女の方は事態を把握していないように、出てきた時と変わらずころころと可愛らしく笑う。


「ハーちゃんも、それに新しいお客様だあ~」


 女は肩口まで伸ばした柔らかなショートカットを揺らす。

 外見は二十歳過ぎ程、見目より年齢の低そうな言動だが、格好は女性らしいロングスカート、過度に露出している訳でもなく、何ら異常を感じさせるものはない。


 ただ――その姿が半透明で、物理法則を無視してふわりと宙に浮かんでいる事以外は。


「――ゆーれい?」


 ぽつりと漏れたシルベスターの言葉を訂正するものは、居なかった。

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