第4話

 千秋の自己紹介は、結局、ほとんど理解できないまま、なし崩し的に終わった。そもそも誰かに理解されようとしていないようで、千秋自身は満足そうに席に座している。

 その後に順番がまわってくる身にもなってほしい。

 貫行は、おずおずと立ち上がって、自己紹介を始めた。話すのは当たり障りのないこと。趣味が自転車であるとか、昨年度は自転車部に属していたとか。千秋の言葉で言えば、一等星をつらつらと並べて見せた。

 さすがに、泉美よりも肩の力を抜いて話すことができたと自負しており、つつがなく自己紹介を終え、ぱちぱちと返信のような拍手が泉美からやってきた。

 さて、最後の生徒、ハーフ女子はゆるりと立ち上がった。やはり、その仕草は猫のようで、今にもそのまま爪をたてて、襲いかかってきそうだ。

 その蒼い瞳でぎろりと貫行を一瞥して、ハーフ女子は口を開いた。


高峰白妙たかみねしろえ。今すぐ、この部をやめたいです」


 そして、即座に退部の意向を宣言した。

 これには、さすがの千秋も唖然としており、泉美などは口を手で覆っていた。

 平然とした態度を見せたのは、やはり平野先生であった。

「よし、それじゃ、自己紹介も済んだことだし、これからの部の方針について話し合おうか」

「「「いやいやいや」」」

 貫行と泉美、さらに千秋を加えて息ぴったりの突っ込みであった。

「先生、千秋でも、さすがに今のを流すのはどうかと思うぞ」

「そうですよ、先生。えっと、高峰さん、やめたいって言っているじゃないですか」

「いくら、人数が足りないからって、嫌がる女子生徒をむりやり入部させるなんて」

 三人が冷ややかな視線を送ると、平野先生はため息ついて、首を横に振った。

「誤解だ。高峰がここにいるのは、高峰の意思だし、俺はまったく無理強いはしていない」

 平野先生の言葉に高峰白妙がぎろりと鋭い視線を向けたので、おそらく半分ほどは事実に反するのだろう。少なくとも、白妙は、事実に反していると思っているに違いない。

 不審な点はいくつかあった。貫行を置いて急いで教室を去ったこと、白妙と共にやってきたこと、そして白妙の不服そうな表情。

 自由意志での参加とは到底思えないけれども。

 まだ、誤解を解ききれていないことを感じたのか、平野先生はさらに続けた。

「高峰は、おそらくこの中で唯一の競技かるた経験者だ。中学では、百人一首部にいたし、大会での優勝経験もある。そういう意味では、この研究会に最もふさわしい者といえるだろう」

 公開された白妙のプロフィールは、たしかに平野先生のいうとおりだった。

 そもそも百人一首部などというものがある中学校に驚きだが、それはおいておくとして、優勝経験まであるとは凄まじい。

 だとすれば、百人一首研究会は、彼女のためにできたのではないかと推測される。

 しかし、当の本人は、やめたいと申している。

 この不一致をどう見ればよいのか、と貫行は首を傾げた。

 すると、平野先生は、再度ため息をつき、白妙に向き直った。

「おい、高峰。先生と約束したんだろ。三ヶ月はこの研究会で活動するって。約束を破るのか?」

「……いえ、すいませんでした」

 白妙は、すねたように顔を俯けた。

 約束を破ることは、自分の意思を曲げることよりも嫌らしい。それも彼女の意思といえばそれだけのことだが、あまり気分のいいものではなさそうだ。

 なんとなく微妙な雰囲気が流れて、重苦しい空気が教室の中に充満する。誰か窓を開けてくれ、と貫行が心の中で懇願していたのだけれども、その思いなど露知らずといったふうに、平野先生は進行した。

「それじゃ、気をとり直して、研究会の方針を決めよう」

「あの」

 おずおずと泉美が手を上げた。

「先生、私は、そもそもこの研究会が何をするのかを、まだあまりよくわかっていません」

「あ、僕もです、先生。僕らは、ここで何をするんですか?」

 貫行が重ねて問うと、

「よし、では、そこから話そう」

 平野先生は頷いた。

「百人一首研究会では、その名のとおり、百人一首に出てくる和歌について探求をしていく」

「それって、百人一首の和歌を覚えて、どこかの大会に出るということですか?」

 貫行の問に、平野先生は首肯する。

「それも一つだな」

 半ば予想していた答えに、貫行は得心した。だが、同時に、あからさまに嫌そうに顔を顰めた。それは、泉美の方も同様だった。


 正直、興味がない。


 ダミーとしての部活を期待しているのだし、和歌など覚え込むつもりもないし、大会などに出る意気込みは毛頭ない。

 そのことは平野先生も重々承知のことと思っていたが、この手の輩は、やっているうちに熱中してくるものである。

『全国制覇だ!』

 などと言い出す前に退部した方が賢明ではないか、と貫行は思いだした。

「あぁ、安心しろ。全国制覇しようとか熱血なことは言わない」

 ……どうやら読心されたようだ。

 というか、顔を読まれたのか。そのくらい貫行はあからさまに嫌な顔をしていたのだろう。

「まぁ、せっかく百人一首研究会に入ったのだから、競技かるたの遊び方くらい覚えておいて損はないだろう。そのモチベーションとして大会に出るというのもわるくないという話だ」

 もちろん出なくてもいい、と平野先生はエクスキューズした。

「それに百人一首は競技かるただけじゃない。その和歌に描かれた風景や思いを読み解くのだってなかなかにおもしろいことだ。俺はどちらかというと、そちらの方をお勧めしたいね」

 その発言を、貫行は肯定しかねた。

 国語の授業で何度か和歌について取り上げられたことがあったが、その際に、和歌のことをおもしろいと思ったことがない。

 そんなつまらないことを課外活動で行うことに対して、少なくとも貫行は後ろ向きだ。

「さて、ここで話を戻すが、この研究会の方針を決めようと思う。俺の提案は、今、簡単に言ったが、百人一首の和歌を一首ずつ読み解いていきたいと思っている。競技かるたをいきなりやってみようと言っても覚えるのもたいへんだろう。そこまで興味もないのに百首の和歌を覚えるのは効率的じゃない。だったら、一首ずつ時間をかけて取り組んでいくのがいいと思う。そうだな、週三回くらい集まって、勉強会をする。しばらくして、ある程度覚えてきたら、競技かるたをやってみるというペースどうだろうか?」

 平野先生の見解は、なかなか生徒のモチベーションを理解した提案のように思う。週三回ならば、ほとんど拘束されないし、しかしながら、研究会の活動としての対面は保てる。

 その時間に、百人一首という不可思議な文化について、ゆるりと学ぶのもいいかもしれない。少なくともソシャゲでレベル上げをするよりはよほどに有意義だろう。

 いきなり譲歩された提案に対して、泉美も千秋も納得せざるをえないといった様子で、特に反論もないようだった。


「くだらない」


 一人、高峰白妙を除けば。

「くだらないにもほどがある。百人一首でかるたをやる以外何をするというの?」

 まるで虎の唸りのように攻撃的な声色で、白妙は平野先生の提案を批判した。

「和歌を読み解く? そんなことして何の意味があるの? 百人一首は、かるたで勝つことがすべて。相手よりもコンマ一秒でも早く反応し、爪先分でも速く札をさらう。それが百人一首でしょ?」

 貫行は、威圧されて、もはや唖然としていた。

 もっとやる気のない、ひねた娘だと思っていたのだけれども、白妙という女子は、まったく正反対の熱血かるた娘であった。

 やりたくないではなく、むしろ生ぬるいと批判するとは、まったく予想していなかった。

 けれども、こんなやる気に満ち溢れた奴に合わせるのは嫌だな、と貫行は思った。

 絶対にしんどくなるよなぁ。

「ふむ、わかった。それじゃ、多数決をとろう」

 白妙の反論を予想していたかのように、平野先生はすぐさま多数決を提案した。

 なるほど、それで方針を決めようと言っていたのか。平野先生は、白妙のことを予め知っていたようだから、ここで方針が割れることを本当に予期していたのだろう。

 多数決の結果、当たり前だが、一対三の票数、白妙とそれ以外に票がわかれ、明らかに大きな遺恨を残しつつも、ここに、ゆるく和歌を探求する研究会、百人一首研究会が誕生した。

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