SF系短編集

月暈シボ

灰色の街

 自分の存在を意識した時、私は無機質な灰色のコンクリートで作られた四角い建物が立ち並ぶ街の中に一人立っていた。空は厚い雲で覆われているために日差しはなく、大まかな時刻も方角も知ることも出来ない。

「・・・ここはどこだ?・・・私は・・・誰だ?!」

 周囲にその言葉を聞く人影はなかったが、私は自分に言い聞かすように疑問を口にする。こうでもしないと、この色彩のない世界に飲み込まれてしまうと思われたからだ。

 自問はコンクリートの壁と古びたアスファルトの地面に虚しく消えて行ったが、少なくても自分が言葉を理解する能力を持っていることだけは実証出来た。私はそれを励みに、更なる状況を知ろうと改めて周囲を観察する。

 遙か先の空に塔と思われる建造物が、まるで墓標のように聳え立っていた。そして私の胸の内にあの塔の最上階に辿りつけば、全ての問題が解決するという天啓にも似た考えが湧き上がる。

 理由はわからなかったが、その直感を信じて私は塔を目指して歩き出した。いずれにしてもこの世界で何か目印なりそうな存在はあの塔だけだった。


 何者かの気配を感じたのはしばらく歩き続けた後のことだった。

 本来ならこの陰鬱な世界に存在するのは私だけでない証として歓迎すべきだが、こちらに向かって近づいて来る足音に対して、私は嫌な予感を覚えると身近な建物の影に隠れる。まずは、相手がどんな人間か確認してから対処を決めるつもりだった。

 やがて、踵を引き摺るようなだらしない足音が徐々に近づいて止まる。

 その様子はまるで私の気配が消えたことに気付いて探しているようだ。私は足音の人物がどのような人物なのか確認しようと壁から顔を覗かせた。

 この時私の瞳に映ったのは、予想もしていない異形の存在だった。

 蜥蜴か蛇を思い起こさせる頭部を持った大型の二足歩行の怪物がさっきまで私が歩いていた通路の側に立っており、虚空を見つめるようにその突き出た顎を小刻みに揺らしていた。

 その怪物の全身には緑掛かった灰色の皮膚か鱗に覆われており、人間に似た身体を持っているが臀部からは長くて太い尻尾が生えている。引き摺っていたのは踵ではなくこの尾だと思われた。

 私は本能的に逃げることを考えていた。『どこへ?』という問いもあったが、あの蜥蜴人間に捕まれば恐ろしいことになるのは間違いだろう。

 何しろそいつは大きく開いた口にはノコギリのような牙、四本指の手には長い鉤爪を生やしている。菜食主義者とは思えなかった。

 焦る気持ちを抑えながら私は物音を立てないようにゆっくりと後ずさりをするが、まるで身体から漏れ出した恐怖心に匂いがあるかのように、怪物はこちらに振り向く。

 次の瞬間には私はなりふりも構わずに後ろを向いて逃げ出していた。

 一体どれだけの距離を走ったであろうか、灰色の建物を縫うようにして私は無計画に逃げ続けた。

 わかっているのはあの塔を右手に見ながら、ただ走り続けているだけだ。それでも、尻尾を引き摺るあの不快な音が遠ざかることはない。

 私は焼き付くような肺の悲鳴を必死に堪えて、建物の角を左に曲がった。塔から遠ざかるのには抵抗があったが、今は化物から逃げることこそが最優先だ。

 だが、そんな私の努力は無残に消え去る。

 曲がった先にはあの蜥蜴の化け物が待ち構えていたのだ。先回りされたとは思えないので、化物は一体だけではなかったのだろう。安易な思い込みが招いた結果だが今更嘆いても遅かった。

 それでも、無駄な努力とわかっていながら私は激しく腕を振り回して抵抗を試みる。もちろん体格で勝る化物に通用するはずはなく、逆に平手打ちのような攻撃を受けて吹き飛ばされる。

 痛みに耐えて身体を起こしそうとしたところで、私は激しい眩暈に襲われ地面に崩れ落ちる。少なくとも生きたま喰われるようなことはないがせめてもの救いだと、私は薄れゆく意識の中で安堵していた。


「・・・おい・・・生きているかい?!」

 遠くから飛び掛けるような声に私の意識が再び覚醒する。目を開けた先には人間の男の顔があった。

「あなたは?それに・・・ここは?」

「俺は・・・自分の名前がわからないんだ。・・・気付いたらこの世界にいて、塔を目指して歩いていたら化物に捕まりここに監禁されていた。しばらくしたら、気絶しているあんたを化物が運んで来たんだ・・・おそらくここは奴等が牢の代わりに使っている場所だろうな・・・」

「あなたも・・・」

 男から回答を得た私は部屋の内部を見渡す。彼は牢と言っていたが剥き出しのコンクリートの壁で囲まれただけで目ぼしい物は何のない。ただの倉庫のような場所だった。

 奥には出入り口と思われる扉があり、念のために確認するが、やはり鍵が掛けられて外に出ることは出来なかった。

「何なんでしょうこの世界は?そしてあの蜥蜴人間は?」

「・・・それについては全くわからん。・・・さっきも言ったとおり、気が付いたら街だか倉庫だが良くわからない場所に居て、化物から逃げ出したが、遂には捕まってここに収容されているんだ。殺されないだけマシと思うしかないな・・・」

「そんな・・・」

 私は自分よりも年長者と思われる男の言葉に絶句する。彼の主張は全てを持って私の体験と同一だ。

「あんたの方は?」

 男の問いに私は自分も同じ境遇であることを伝えるのが精一杯だった。。

 

「どうだいやってみるか?」

「ええ、もちろん!」

 私は男の脱出計画に賛成を示した。あれから情報交換を行った私は、彼からこの世界が通常ではあり得ない空間であり、意志の強さがそのまま生命力や肉体的な強さに反映させるという説を聞かされていた。

 信じがたい言葉ではあったが、彼は檻に閉じ込めてられている間一度も食事を摂らずにいるが、空腹を感じたことはないと言う。

 実際、私も指摘されるまでそのような衝動に関することは忘れていた。これは推測であったが、あの怪物達は私達を殺すことが出来ないために、この場所に監禁して心が折れて自滅するのを待っているのかも知れなかった。

「よし、俺は絶対仲間が来てくれると信じて今まで待っていたんだ!その甲斐があった・・・!この部屋の扉は一人ではどうすることも出来なかったが二人ならなんとかなるかもしれない!ここから絶対に抜け出すという思いで一緒に扉を蹴り開けよう!」

「ええ!」

 その頃には私も彼の説を信じて、やる気になっていた。少なくても何か行動を起こしたかった。

「よし、やるぞ!」

 私達は力を込める場所を分担し合うと、扉を破壊すべく渾身の力で蹴り出した。


「やった!・・だが、ここからどこへ?!」

 しばらくの苦闘の末、扉は蝶番が剥がれ外側に開かれる。私は喜びの声と共に部屋から抜け出しながら男に問い掛ける。

「もちろんあの塔だ!あそこにこの悪夢の元凶があるに違いない!それを確かめに行く!」

「やはり、あの塔・・・わかった、行こう!」

「ああ、行くぞ!」

 確かな裏付けがあるわけではなかったが、私は彼の言葉に力強く頷くとその後に従って走り出した。

 この時には既に生身では破壊不可能と思われた扉を破壊したことで、彼の説が正しいことが証明されていた。

 この世界は精神の持ち方次第で発揮される力が変化する。怪物の存在は脅威であったが、私達が恐れずに立ち向かうことで打ち負かすことも不可能ではないと思われた。

 また、塔については私も当初から本能的な欲求を感じていた場所だった。この世界の中心はあの塔に違いないのだ。


「くそ!やはり、簡単には行かないな・・・」

 建物の影に隠れながら様子を窺っていた男は苦々しい悪態とともに私に囁いた。

 これまで怪物に見つからずに塔の基部近くまでやって来た私達だったが、入口と思われる両開きの扉の前には十体以上の怪物が見張りのために控えている。

 さすがに、あれだけの数を相手に無策に突っ込むは愚の骨頂と思われた。この世界は精神力が肉体的な強さに直接関わるとは言え、頭数の差は顕著だった。

「・・・俺が囮になって、怪物を出来るだけ引きつける。あんたは手薄になってから塔に入って最上階を目指してくれ!」

「いや、待ってくれそれじゃ、そっちは・・・」

「大丈夫だ!あんたが成功してくれれば俺もこの世界から解放されるはずだ。それにあまり考えていると檻を抜け出した時の気持ちが薄くなる。このまま一気に決着を付けよう!いくぞ!」

 その言葉を最後に男は建物の影から飛び出すと怪物に向かって歩き出す。

 突然現れた人間に蜥蜴達は一瞬だけ驚いたような反応を示すが、直ぐにやるべきことを思い出しただろう。弾かれたように動き出した。そして男は私とは逆の方向に走り出した。

 私は彼の後を追う怪物達の姿が見えなくなると、塔に向かって走りだした。

 蜥蜴人間もそれなりの知恵はあるのだろう。全員で獲物を追うような愚かなことはしなかった。扉を挟むように二体の化け物が門衛として残っていた。

 それでも私の胸は一種の雪辱に燃えていた。仲間の犠牲を無駄にしてはならないという思いで一杯だった。

 迫りくる一人の人間、すなわち私の存在に気付いた怪物の一体だったが、私は構わずに体当たりを行なった。自分でも信じがたい速度の跳躍で一気に距離を詰めてぶつかり、そのまま怪物を塔の外壁に叩きつける。

 そいつは何かが潰れたような音を上げるとそのまま動かなくなった。もっとも、私にはそれを見届ける余裕はなく、残った一体の攻撃を避けるので必死だった。繰り出される鉤爪の攻撃を紙一重で躱す。

 更に薙ぎ払う様に尻尾がぶつけられるようとしたが、私は逆にこれを受け止めるとそのまま尾を掴んで渾身の力を込めて蜥蜴の身体を塔の扉に向かって投げつけた。

 自分でもこのような力がどこから湧いてくるか不思議だったが、私の身体は闘志によって強化されているようだった。

 けたたましい音ともに怪物の身体が鉄の扉にぶつかり、その衝撃で扉が内側に向かって弾けるように開いた。私は勢いのままに塔の内部に侵入すると、上部に繋がる螺旋階段を見つけひたすら上を目指して駆け登る。

 やがて最上階に到着した私は奥の部屋へと続く扉のノブに手を掛ける。この先に全ての謎を解き明かす何かが待っているに違いなかった。


 扉の先は手狭だが白を基調とした清潔な部屋だった。中央には寝台が置かれて、その上に一人の若い女性が横になっている。私はその女性に近づくとそっと手を握りしめた。

 微かな体温から彼女が生きていることを知ると、私は・・・自分がこの女性を眠りから覚めさせるために存在していたことを思い出していた。

「起きて下さい。あなたの世界にはあなたを待っている人がいます!」

 私は彼女の耳元に優しく語り掛けた。


「・・・ん!」

 その声に反応した私は目を開けようとしたが、眩しさを感じると短い悲鳴を漏らしながら再び瞼を閉じた。それでも少しずつ慣らすようにして閉じた視界を徐々に開けていく。

 最初に瞳に映ったのは規則的に小さな穴が並ぶ白い壁だった。それが天井であることを思い出す頃には、私の聴覚も機能を回復し周囲の音を伝える。

「・・・はい!そうです!七○二号室の患者さんが意識を!・・・そうです回復しています!すぐに担当医師に連絡を!」

「・・・里香?!・・・良かった!・・・私がわかる?!」

 慌ただしい会話の中に聞き慣れた声を聞くと私の胸に懐かしい思いが湧き出す。

 それが母の声であることに気付くと私は泣き出していた。そして、私は恐怖心とともに私に迫る自動車のフロントグリルの形を思い出していた。

 病室と思われる部屋、看護師らしき人物の焦る声と母の泣き声、私は病院に運ばれそこで意識から回復したに違いなかった。


「里香さんが意識を回復して三日が経過しましたが、身体の具合はどうでしょうか?また、不安に思う事や心配はありませんか?」

 三十代中頃であろうか、白衣を着た女性が私に優しく問い掛けてくれた。

「はい。・・・一時は車に轢かれる直前の状況を思い出して・・・泣き出すこともありましたが、ようやく過去のことだと認識出来るようになったと思います」

「それは良い兆候ですね。私は意識を回復された里香さんの精神面での補助を担当するカウセリング医ですから、もし再び不安に感じることがありましたら、どうぞ気兼ねすることなく相談して下さい。相談についてはどんなことでも構いませんよ。流行りの化粧品から、ドラマの話題でも問題ありません。しっかりお答えしますので!」

「ふふ、ありがとうございます。・・・そう言えば、意識を覚ます寸前に見ていた夢のことなのですが・・・」

 私はカウセリング医の巧みな話術に笑みを浮かべるが、これまで気になっていたことを口にした。

 夢の内容を他人に伝えるのは躊躇いを感じさせたが、どんな質問でも良いとのことなので聞いて見ることにしたのだ。

「なるほど・・・それは奇妙な夢ですね・・・里香さん、あなたは夢の世界で男性になり、自分を助けようとしていたのですか・・・塔の最上階に仲間とともに決死の覚悟で赴くと・・・」

「・・・いえ、どちらかと言えば、その男性の視点を借りていたように感じられるのです・・・」

 カウセリング医はその言葉のとおりに私の相談を真剣に答えてくれた。

「視点を借りる・・・ですか?」

 そう呟くと彼女は私のカルテが映し出されているタブレット端末を確認する。

「実は・・・里香さんを昏睡状態からの回復を促すために二種類の薬が使われています。最初の投薬は一カ月前、二回目は五日前ですね。・・・二回目の薬は認可されたばかりの新薬でして、新しい薬はこれからデータを蓄積させていくので、もしかしたら薬の副作用の可能性もありますね・・・。再検査を製薬会社の負担で請求することも出来きますがどうしますか?」

「いえ・・・そこまでは・・・ただ変った夢を見ただけですし、この三日間は変な夢は見ていないので大丈夫だと思います・・・」

「そうですか・・・でも・・・もしかすると、その男性達は・・・。薬の効果が現れる過程を里香さんの深層意識がそのように感じ取ったのかもしれません」

「・・・ええ、そう・・・そうですね!」

 カウセリング医は冗談のつもりだったのかもしれないが、私は彼女の言葉を聞くとそれが唯一の真実に感じられた。

 私は・・・私のために戦ってくれた二人の男達に感謝の言葉を胸の中で捧げたのだった。

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