風の葵外伝 如月茜の冒険
神村律子
如月茜の冒険
面倒臭いなァ。
いくらお嬢様の探偵事務所に入所するために必要だとは言っても、経理の専門学校なんて、頭がどうかしそう。
あ。そうか。今回は私が主人公なのね。やった!
何て言ってる場合じゃない。
私の名前は如月茜。「きさらぎあかね」と読むの。
時代劇に出て来そうな名前だとか悪口言った奴は、この前高ーい鉄塔の途中に取り残して、心の底から反省するまで下ろしてあげなかったんだけど、確かにそうかも、とも思う。
何故こんな名前なのかと言うと、私の家は忍びの家系。
それも平安の昔から続く由緒ある忍び。
聞いた話だと、あの第六天魔王とまで呼ばれた織田信長でさえ、決して攻撃しなかったとか。それほど強く、そしてそれ以上に誇り高い一族なんだって。私にはよくわからないんだけどね。
自己紹介はそのくらいにしてと。
私はようやく慣れて来たカリキュラムをこなし、夏の暑い日差しを浴びながら、大通りの歩道をバイト先のコンビニに向かって歩いていた。
「如月さん!」
どこかで聞いたような、間延びした男の声がした。
クラスメートの神保正行という、冴えない男子だ。経緯はよくわからないのだが、どうやら私は彼がちょっと怖いお兄さん方に絡まれているところを助けたらしい。
全然記憶にない。
私は彼を助けたつもりはないのだ。
ただ、自分の家のゴミを私のバイト先のコンビニのゴミ箱に無理矢理詰め込んでいるバカ共にちょっとお説教をしてあげただけなのだ。
それ以来そいつらは、頼みもしないのにゴミ箱の掃除をしてくれるようになり、私の事を、
「姐(あね)さん」
と呼ぶようになった。
極道の人じゃないのだから、その呼び方はやめなさい、と注意したのだが、
「わかりました、姐さん」
と言い、全然理解してくれない。
おかげで私はコンビニの同僚達に恐れられ、店長にまで敬語で話しかけられている。
困ったものだ。
おっと。回想が長くなったわね。
戻ります。
「何?」
私は取り敢えず、面倒臭そうに振り返って神保君に応じた。
彼はまさしく「昭和」の香りがしそうなくらい古い感じのする男だ。
端的に言い表せば、大昔の優等生というのが一番彼を的確に表す言葉だろう。
かけている眼鏡も実に昔臭い黒縁眼鏡だ。
「これからバイト?」
神保君は何故か顔を赤らめて尋ねて来た。私は彼の顔色が気になったが、
「そうだよ。何か用?」
「あ、その、あの……」
いつもこうだ。この男は、本当に何を考えているのか、何を話したいのかよくわからない。
私はイラッとして、
「ねェ、私、急いでるんだけど?」
と声のトーンを上げて言った。神保君はビクッとして、
「いや、いいんだ。急いでるのなら、いいんだ。じゃ」
と言うと、クルリと私に背を向けて、まさしく逃げるように走り去った。
「何よ、あいつ?」
頭の中がはてなマークでいっぱいになるのを何とか打ち消し、コンビニに向かった。
「お疲れ様でーす」
私は裏口から事務室に入り、そこで何かの計算をしている店長に挨拶した。
「あ、お疲れ様です、如月さん」
店長はまるで社長でも現れたかのようにアタフタとして立ち上がり、私に挨拶した。
そんな店長のリアクションにももう慣れたのだが、何か怖がられているようで嫌な感じだ。
私はそのまま隣の女子更衣室( とは言え、ロッカーが三つ並んでいるだけの実に狭い空間 )に行き、制服に着替えた。
「今日は棚卸しでしたっけ?」
事務室に戻るなり、店長に尋ねた。
また店長はアタフタと立ち上がり、
「そ、そうですね。今日から三日間、棚卸しをお願いします。基本的には、本部がほとんど管理しているので、我々は実在庫を報告するだけですから、それほど大袈裟に考えないで下さいね」
「はァ」
店長はどう見ても40代のオジさんだ。
私はまだ19歳。ヘタすれば親子程も年齢が違うのである。
それなのに、私に敬語。
「あの、店長」
「な、何ですか、如月さん?」
店長は職員室に呼び出された中学生のような顔で私を見た。
私は呆れ気味に、
「敬語、やめてくれませんか。何か落ち着かないので」
と提案した。しかし店長は顔を引きつらせて笑い、
「そ、そうですか。如月さんが気になるのなら、やめましょうか。でも、私は基本的にこういう話し方なんですけどね」
「……」
私は苦笑いした。
店長は他のバイトには怒鳴ってばかりいる。
いつも命令口調。だから実に白々しく聞こえたのだ。
「あっ、タイムカード!」
打刻していないのを思い出し、事務室の隅にあるタイムレコーダーのところに行こうとすると、
「大丈夫ですよ。私がしておきましたから」
と店長が言った。私はホッと溜息を吐いて、
「ありがとうございます」
と頭を下げてから、店内に歩を進めた。
今の時間は、私の前に2人のバイトの子が入っている。
そのうちの1人が、あと30分で退店。
もう1人はこれから3時間私と一緒だ。
その子は専門学校のクラスメート、今坂理美(いまさかりみ)。
ちょっと見た目はヤンキーっぽいが、実はお金持ちのお嬢様らしく、言葉遣いはTPOで使い分けられる子だ。
私のことをただ一人、偏見なく見てくれる親友である。
「お疲れー!」
と私が陽気に声をかけると、理美はニコッとして、
「お疲れー。今日は何時まで?」
「10時まで。今金欠で、稼がないとならないの」
「ハハハ」
こんな会話は、理美としかできない。
以前他のバイトの子に、
「お金なくて」
と冗談で言ったら、顔を引きつらせて、
「い、今は持ち合わせがこれしかなくて……」
と財布からお札を出された事がある。
恐喝したわけじゃないんだけどね。
「いらっしゃいませー!」
自動ドアが開くと同時に、私達3人の声が店内に響く。
私はレジ、理美は倉庫の荷物整理、そしてもう1人のヒョロヒョロした男子は、消費期限のチェックを始めた。
「あっ」
入って来たのは、男1人。
その人は私の苦手な人。
一見、公務員風のイケメン男子なのだが、ちょっと性格に難がある。
どうやら、「ロリコン」らしいのだ。
えっ? 何で苦手なのかって? 説明したくないなァ。ま、仕方ないか。
その男の人の名は「大原 統(はじめ)」。
警察関係の人らしいのだが、最初に来店した時、私の事を中学生と思ったらしく、ニコニコして近づいて来たのだ。
「君、いくつ?」
いきなりそんなこと聞かれれば、普通の女の子ならびっくりして叫んでしまうだろう。
でも私はその時大原さんがそんな人だとは思わなかったので、
「19歳です」
と即答した。すると大原さんはまさしく仰天したらしく、しばらく私の顔をマジマジと見てから、
「そう。中学生かと思った。ごめんね」
と言い、またニコニコして買い物をすませ、帰って行った。
それだけなら何の事はない。
たまにいる変な客ですむ。
ところが大原さんは、それから毎日店に現れるようになった。
しかも必ず私がいる時。
たまに私のシフトが変わって不在だと、理美達に尋ねるらしい。
あの子は何時に来るのか、と。
理美達も最初は面白がっていたのだが、段々危険を感じたらしく、
「茜、店長に相談した方がいいよ」
と忠告してくれた。しかし私はそんなことはしたくなかったし、別に大原さんに危害を加えられるとは思わなかったので、
「大丈夫だよ」
とだけ答えて、店長には何も話さなかった。
「やァ、茜ちゃん。元気?」
大原さんはまるで友達みたいな口調で話しかけて来た。私は苦笑いして、
「いらっしゃいませー」
と応じた。
大原さんはニコニコしたまま雑誌コーナーを通り過ぎ、一番奥の飲料コーナーでいつもの紅茶を取り出し、戻りながらパンの棚のあんぱんとサンドウィッチを取り、レジに来た。
「今日は何時まで?」
「はっ?」
私はキョトンとした。
今までそんなことを訊かれた事がなかったからだ。
とうとうストーキングを始めるのかな、とほんの少しだけ心配になって答えあぐねていると、大原さんは、
「ごめん。変なこと訊いちゃったね。実はさ、ここ何日か、この辺りで物騒な事があったので、気になってさ」
私はレジを操作しながら、
「物騒な事?」
新聞はとっていないし、世情にあまり関心のない私には何の事かわからなかった。
大原さんはお金を財布から取り出して、
「暴力団の抗争があったんだ。拳銃を撃ち合ったんだよ。だから茜ちゃんが怖がっていないかと思ってさ」
「はァ」
仮に知っていても、暴力団の抗争くらいで怯える程、私はヤワな神経の持ち主ではない。
危害が及ぶようなら、組事務所まで乗り込んで落とし前をつけさせてもいいくらいだ。
「とにかく、気をつけるに越した事はないから。それと」
と大原さんはスーツの内ポケットから名刺入れを出して一枚名刺を取り出し、
「何かあったら、ここに連絡して。携帯の方でも大丈夫だから」
「はい」
私は大原さんのもの凄くマイペースな行動に気圧されたまま、名刺を受け取ってしまった。
「じゃあね」
大原さんはニコニコしたままコンビニを出て行った。
私は名刺を手に持ったまま、しばらく呆然としてしまった。
「大丈夫、茜?」
理美の声に私はハッと現実世界に戻った。
心配そうな理美の顔がカウンター越しにあった。
私は名刺を制服のポケットにねじ込んで作り笑いをし、
「大丈夫だよ。それよりさ、暴力団の抗争があったんだって?」
と話をそらせた。理美は納得がいかない顔をしていたが、
「ああ、そんなこともあったみたいね。他のバイトの子も何か言ってた気がする」
「そう」
理美もどちらかというとそんなことには関心がないタイプなので、それほど不安に思っていないようだ。
「確かまだ犯人が捕まっていないんだよ。そう考えると、ちょっと怖いかな」
理美はそう言いながらも全然怖がっている様子はない。
「むしろあの大原とか言う男の方がよっぽど危険だよね」
「そうかも」
と私は同意してクスッと笑った。
やがて外はすっかり暗くなり、仕事帰りのサラリーマンやOLのお姉さん方が大勢歩いている時間になった。
そして理美も退店した。
店は店長と私だけだ。
でもこの時間になると、私の「しもべ」達5人が呼びもしないのに集まって来る。
見た目があからさまに悪い連中だが、よく話をしてみるとそれほど悪い奴らではない。
「お疲れっす、姐さん」
「しもべ」の中のリーダーであるタカシが挨拶しながら入って来た。
店長はタカシ達に気づき、そそくさと事務室に逃げ込んだ。私は小声で、
「あのね、その『姐さん』はやめてって言ったでしょ。私はあんた達の姉さんじゃないんだから」
「そうでしたね、姐さん。すいません」
タカシは申し訳なさそうに頭を下げながら、なおも「姐さん」を口にしている。
バカなのかな、こいつ?
「じゃあ何てお呼びすればいいんすか?」
とサブリーダー格のショウが言った。
私はショウに目をやって胸のネームプレートの「如月茜」を指差し、
「名前でいいんじゃない、普通に」
「そんな。それは無理っす。お名前でお呼びするなんて、恐れ多くてできないっすよ」
タカシが言う。
ショウが頷く。他の3人も頷いている。
私は呆れて、
「じゃ、もうここには来ないで」
「そ、そんなァ! 自分ら、もう姐さんについて行くって決めたんすから、そんなつれない事おっしゃらないで下さい」
タカシが泣き出しそうな声で言う。
私は店長が事務室の防犯カメラでこちらを見ているのを思い出し、
「とにかく、仕事の邪魔。何も買わないのなら、帰ってよ」
と5人を追い立てた。タカシが、
「取り敢えず、ゴミ箱の掃除してます」
と言い、4人を引き連れて外に出て行った。
私は大きな溜息を吐いた。
「何なのよ、あいつらは」
タカシ達と入れ違いに、サラリーマン達が何人か入って来た。
「いらっしゃいませー」
私は営業スマイル全開で挨拶した。
タカシ達はゴミ箱の掃除とか言ったきり、随分と長い時間戻って来なかった。
別に戻って来て欲しいわけではないし、あいつらにゴミ箱の掃除を任せたつもりもないから、そんなことはどうでもよかったのだが、それにしても出て行ってから1時間は経っていたので、少しだけ気になってはいた。
「どうしたんだろ?」
私は外に出た。入り口脇にあるゴミ箱は、片づけられた様子もなく、タカシ達の姿もない。
「何やってんの、あいつらは」
結局口ばかりで何もしてないのか、とも思ったが、あいつらがゴミ箱の掃除を自主的に始めてからもう半月以上。今まで一度だってサボった事はなかった。
やはり何かあったと考える方が正しい気がした。
「姐さん!」
ショウの声が後ろでした。私は声に応じて振り返ってしまった自分が情けなかったが、
「どうしたの?」
と、息を切らせて近づいて来るタカシ達に尋ねた。
「ゴミ箱に自分の家のゴミを捨てようとしている奴がいたんすよ。で、注意しようとしたら、ゴミをゴミ箱に押し込んで、もの凄い勢いで走り出したんです」
とタカシが息を整えながら言った。それを受けてショウが、
「偉く速い奴で、俺達も必死に追いかけたんすが、逃げ切られてしまいました」
「そこまで頑張らなくてもいいわよ。捨てられてしまったんだから、こちらで処分するしかないでしょ」
と私が言うと、タカシ達は、
「同じ事をした自分らは、姐さんにこってり説教されたんすけど」
と言いたそうな顔で私を見た。
私は苦笑いして、
「とにかく、ありがとう。でももういいよ、追いかけなくて。追いかけて厄介なことになったら、その方が困るから」
「はァ」
タカシは不服そうだったが、ショウが、
「それなんすよ。俺、はっきり顔見たわけじゃないんすが、あいつ、多分日吉会のチンピラっすよ。この辺で何度か見かけてるんで、まず間違いないっす。ガラが悪い奴っすから、目立つんすよ」
と口を挟んだ。
5人の中で一番身体が大きくて、強面のショウがそう言うのだから、相当凶悪な顔をしているのだろう。
「ヤクザなの?」
私が興味深そうに言うと、ショウが、
「あ、あいつはやばいっすよ、姐さん。いくら姐さんが強くても、あいつは無理っす。命が危ないっすよ」
と妙に弱気なことを言った。タカシも、
「そうそう。あいつは、この辺じゃ、どんな不良も道をあける程の喧嘩の達人なんすよ。確か以前、元プロレスラーを病院送りにしたとか」
「プロレスラーは引退すると途端に弱くなるわよ」
と私が反論すると、ショウが、
「そのプロレスラーがどれほどの奴かは知らないっすけど、とにかくあいつはやばいっす。俺ら、追いかけてるうちに気づいてちょっとだけビビったんすから」
私はそいつがそれほど強いとは思わなかったけど、一つ疑問が湧いた。
「そんなに強い奴なのに、どうして逃げたのかしら? 私より強いのなら、あんた達なんかあっと言う間に片づけられるでしょ」
「そ、そうっすね。何であんなに必死になって逃げたんだろ?」
タカシ達は顔を見合わせて考え込んだが、謎は解明しないようだ。私は一つの仮説を導き出し、
「とにかく、何を捨てたのか見てみましょうか」
とゴミ箱の蓋を外して、中を覗いた。
「あっ、その大きなレジ袋っす。多分生ゴミっすよ。何か変な臭いがしてますから」
一緒に覗き込んだタカシが言った。
私はその大きなレジ袋をゴミ箱から取り出した。
歩道を歩いている人達がジロジロ見ているので、
「何だ? 文句あんのか?」
とショウがいきなり通行人達にガンを飛ばし始めた。
「やめなさいよ、恥ずかしいな!」
私はショウの頭をパコンと叩いた。
「すみません」
私は5人を引き連れて、コンビニと隣の建物の間を抜け、裏口に回った。
「ここなら人目につかないか」
私はレジ袋を下ろし、結んである部分を開いた。
「うわっ……」
タカシの言った通り、中身は生ゴミだった。
それもドロドロの残飯に、腐った肉のようなものが混ざっている、吐きそうになるようなものだ。
「今度は逃がさないように私が見張るか、それとも……」
その独り言をショウが聞き逃さずに、
「やばいっすよ。やめた方がいいっすよ」
「でも、こんなもの何回も捨てられたら、迷惑でしょ。その組の場所教えて。バイト終わったら、話つけに行くから」
私の言葉にタカシ達は固まった。
命知らずな女だと思っているのだろう。
「ちょっと持ってて」
とレジ袋をショウに渡し、私は事務室に入ってゴム手袋を持って戻った。
「どうするんすか?」
ショウにレジ袋を持たせたまま、私は手袋をはめると、生ゴミの中に手を突っ込んだ。
「いっ!」
少しハネが飛んでショウの顔にかかった。
「ごめんね」
私はニコッとして誤摩化した。そして、
「やっぱり。そりゃ走って逃げるわけよ」
と言うと、中から残飯まみれの拳銃を取り出した。
「ゲェェェェッッッッ!」
タカシ達は腰を抜かしそうなくらい驚いていた。
「チャ、チャカっすか?」
ショウがやっとそれだけ声に出した。
私は残飯を拭い落として、
「そうね。これさ、使い捨て用に密造された拳銃みたいね。壊れてるわ」
「け、警察に連絡を……」
と慌てるタカシに、
「あとあと。取り敢えず、組事務所の場所教えて。ちょっと話つけて来るから」
と私が言うと、タカシは泣きそうな顔で、
「ダメっすよ、姐さん。殺されちまいます。教えられません」
「大丈夫よ。あんた達の姐さんをもう少し信じなさいよ」
私は口にしたくなかったのだが、「姐さん」効果を期待してそう言ってみた。そしてダメ押しで、
「私がそんなに弱いのなら、その私に負けたあんたらはどうしようもないほど弱いって事よ。そんなふうに思いたくないでしょ?」
タカシ達は顔を見合わせて、小声で何か話している。
私はイライラして、
「何でもいいから場所を教えなさい!」
「は、はい」
私の声のトーンが変わったのに気づいたショウが応えた。
私はその後店に戻り、退店時間まで業務をこなし、
「お疲れ様でした」
と店長に挨拶をすませてタイムカードをガシャンと押して外に出た。
「姐さん」
待ち合わせ時間には遅れるなと厳しく言ってあるだけあって、タカシ達はすでに建物の裏にいた。
「タカシの携帯の番号教えてよ」
私がバッグから携帯を取り出して言うと、何故かタカシは顔を赤くして、
「は、はい」
と言うと、赤外線通信で私の携帯にデータを送信した。他の4人の視線がタカシに注がれていたが、どういうわけかそれは敵意に満ちたものだった。
何でだろう?
しかしそれには構わず、
「片がついたら、あんたの携帯に連絡する。そしたら、この人に電話して、さっきの拳銃を渡して、組事務所の場所も教えてあげて」
と大原さんの名刺を渡した。
「ええっ? あの、姐さんに付きまとってる変態野郎にですか?」
タカシは不満そうだ。
私は携帯をしまって、
「あの人は警察の偉い人なの。あんた達に話してもわからないだろうけど、警察庁って言う日本の警察の一番上の組織の人なのよ」
「そこもあんな奴がいるようじゃ、大したことないっすね」
ショウが言った。タカシ達はそれに応じて笑った。
私はムッとして、
「私の言う通りにできないってこと?」
「と、とんでもないっす!」
タカシ達は最敬礼して応えた。私は満足して大きく頷いた。
さて、ちょっと運動して来るか。
タカシ達に教えられたその場所は、意外にも私の住んでいるアパートからそれほど離れていないところにあった。
あいつらの言う通り、ゴミを捨てて逃げた奴がそんなに強いのなら、そしてそれほど有名なのなら、私の耳に入らないはずはない。
そして見かけない事もないはずだ。
どうも逃げたのには何かまだ裏がある。
拳銃の事もあるだろうが、本当は全然強くないのでは、という疑惑。
「ここか」
私は小さい交差点の角に建つ5階建てのビルを見上げた。
入り口の脇にある看板に、「5F 日吉建設株式会社」と印字されている。
ま、「暴力団 日吉会」とか書いてあるはずもないんだけど。
「まだ誰かいるようね」
日吉建設の窓には、まだ明かりが灯っていた。
私はビルの玄関を入り、エレベーターに向かった。
誰もいない。
今は午後10時過ぎだから、他の会社は皆閉まっている。
エレベーターのボタンを押すと、5階に停まっていた表示が動き出した。
機械音が響き、エレベーターが到着した。
チン、という音と共に扉が開く。
私は中に入ろうとしたが、中から5人の強面のオジさん達が降りて来て、行く手を遮られた。
「おい、何だ、お前。中学生がこんな時間までうろうろしていると、人さらいに連れて行かれるぞ」
と1人のオジさんが今時誰も言わないような事を言って来た。
私は「人さらい」という言葉より、「中学生」に反応した。
「失礼ね。私は19歳。中学生じゃないよ」
すると5人のオジさん、いやもうそんな呼び方する必要はないな、5人のジジイ共は大笑いを始めて、
「中学生じゃなかったか。そりゃ悪かったな、お嬢ちゃん。どっちにしてもここは子供の来るところじゃねえんだ。帰りな」
と別の1人が言い放った。
私はキッとそいつを睨んで、
「あんた達、あの日吉建設の連中だね。そこに用があって来たんだよ。組長はいるかい?」
と怒鳴った。
5人の親父共は互いに顔を見合わせた。
「何言ってやがるんだ、このガキャァ。ふざけた事抜かしてると、ぶっ殺すぞ」
とさらに別の1人がいきがり始めた。
「いるのかいないのか、それだけ答えな。私は今、機嫌が悪いんだよ」
その言葉に嘘はなかった。
さっさと片づけて帰ろうと思っていたのに、こんな余分な連中に邪魔された挙げ句、中学生呼ばわりされて子供扱いされたのだ。
もう限界に近かった。
「このヤロウ、舐めた口利きやがって!」
1人が私を押さえつけようと飛びかかって来た。
私はスッと後退し、そいつの後ろに回り込むと、
「邪魔すると怪我するよ」
と他の4人に言った。
「何だ、こいつ? 只のガキじゃねェぞ」
親父共は後ずさりしながら言った。
その時、後ろにいたもう1人が懲りもせずに、
「この!」
とまた襲いかかって来た。
「二度目は手加減なしね」
私はそいつをヒラリとジャンプしてかわし、首に手刀を叩き込んだ。
「グウッ……」
そいつはそのまま前のめりに倒れた。4人は仰天して私を見た。
「次は誰?」
「くそっ!」
束になってかかれば勝てると思ったのか、残りの4人はいっせいに私に飛びかかって来た。
「バーカ」
私は天井までジャンプし、互いにぶつかり合った愚か者達を一気に蹴倒し、エレベーターに乗り込んで先に進んだ。
( 噂の男はいなかったみたいだ。下っ端で、もう帰ったのかな? )
扉が開き、その廊下の先に「日吉建設株式会社」の看板の掛かったドアが見えた。
どうやら下の親父共の連絡があったらしく、中からドヤドヤと柄の悪そうな、そして同時に頭の悪そうな連中がわんさか出て来た。
「てめえか、小娘。ヤクザ舐めると、命落とすぞ、コラァッ!」
その中でも特にバカそうな奴がしゃしゃり出て来た。
私はニコッとして、
「何人いるの、あんた達?」
するとそのバカが、
「30人くれェいるぞ。もう降参しても許さねェからな」
と胸を張って言ったので、私はそれを鼻で笑って、
「冗談でしょ。私と喧嘩するつもりなら、もう一ケタ人数集めてからにしな。怪我したくない奴は、下がんなよ」
「このガキ、言いたい放題言いやがって! やっちまえ!」
30人は確かにいたようだ。
しかし、そんな枯れ木も山の賑わいのような連中が例え300人いても今の私の敵ではない。
「邪魔!」
私はそう叫ぶと、まさしく目にも留まらぬ速さであっという間にそいつらを倒し、日吉建設の中に入った。
「魂消(たまげ)たな。あいつらもそれほど弱くねェのによ」
ドアの向こうにいたのは、普通の19歳の女の子なら間違いなく泣き出してしまうような強面の男だった。
しかし身体はそれほど大きくない。
多分、元ボクサーか、空手家だろう。
「あんた、まさか……?」
私は眉をひそめた。その男はフッと笑って、
「察しがいいな。俺がお前の店のゴミ箱にブツを捨てた人間だよ」
と言った。私は瞬時にその男の強さを感じた。
( こいつ、本当に強い。何、この殺気は? )
「お前の事は少し調べたよ。あの不良共がぶちのめされたって聞いたからな。あいつらも相当この辺じゃ鳴らしてた連中だ。そいつらをまとめて締めたお前が強いってことはわかっていたつもりだが、ここまで強いとはな。ちょっと本気出さねェと、ヤバいかもな」
強面の男は軽快なフットワークでシャドウボクシングを始めた。かなり俊敏だ。今までの連中とは、明らかにレベルが違う。
「何であのゴミ箱に拳銃を捨てたの?」
私が尋ねると、男はせせら笑って、
「まだわかんねェのかよ。お前をおびき寄せるためだよ。見事に蒔いたエサに食い付いてくれて嬉しいぜ。俺はな、つえェ奴と戦いたくって仕方がねェんだよ」
「はァ?」
私はその返答に呆気に取られた。
「社長はもっとマシなとこに捨てて来いって言ってたけどさ、俺はどうしてもお前と拳を交わしたかったのさ。ま、俺の敵じゃねェだろうけどな」
男はそう言うと素早いステップで私との間合いを詰め、攻撃を開始した。
「くっ!」
私は男のショートフックを交わし、後退した。
「どこまで退がる気だ、嬢ちゃん。後ろは壁だぜ」
一見すると、私は絶体絶命に見えた。
「ちょっと待ってね」
私はそう言うとスニーカーを脱いだ。男はヘッと笑って、
「何のマネだ、嬢ちゃん? 靴脱いでどうするつもりだ?」
「ちょっとだけハンディを軽くしたのよ」
私は脱いだスニーカーをドアの脇にあった大きな壷にぶつけた。
壷はスニーカーが当たると粉微塵に砕け散った。
男はそれを見てギョッとしたようだ。
「な、何だ? 何のトリックだ?」
「トリック? 私の履いていたスニーカーは片方だけで10kgあるのよ。これで少しは速く動けるようになったわ」
「なっ、何だと?」
私は早く帰りたかったので、容赦しなかった。
「えっ?」
多分男の目には私の動きは見えなかったはずだ。
「世の中には上には上がいるってことを知りなさい!」
鳩尾に左の肘鉄を一発。男は白目を剥いて倒れた。
「後は社長か」
私は先に進んだ。
残念な事に、社長はいなかった。
あの強面がやられたのを監視カメラで見ていたらしく、裏口から逃走した後だった。
「ここから先は、大原さんに任せよっか」
私はタカシの携帯に連絡し、日吉建設を出た。
コンビニに戻ると、タカシ達が待っていた。
店長は雑誌コーナーの隙間から、外を窺っていた。
「姐さん!」
タカシ達は嬉しそうに私に近づいて来た。
何か飼い犬がエサを待っていたような光景だ。
ちょっと気になるのは、5人共顔を少し怪我している事だった。
「どうしたの、その顔?」
「いえ、別に何でもありません」
今度は5人が5人共顔を赤くしている。私は首を傾げた。
「あんた達、わけわかんないわ」
翌日、私はいつものように夕方からコンビニに行った。
すると店長がガタガタ震えながら、私を出迎えた。
「ひ、非常に言いにくいんですが、如月さん」
「はい?」
唐突な言葉に私はキョトンとしてしまった。
店長は唾を呑み込んで、
「今日で辞めていただけませんか? もちろん、今月分は全額支給しますので」
と言いながら、後ずさりした。
私は目の前が真っ暗になった。
「ど、どうしてですか? 私、何かミスしましたか?」
身に覚えのない私は、真顔でそう尋ねた。
すると店長は、
「あ、貴女がこのままここにいるなら、他のアルバイトの子がみんな辞めると言うんです。今日休みの今坂さんは続けてくれるらしいのですが」
「……」
完全な誤解だ。私はあきらめた。
いつかこんな日が来るのではないかと思っていたのだ。
「何人かの子が、貴女にお金を脅し取られそうになったとか……」
「そんなことしてませんよ!」
私が反論すると、店長は事務室の隅まで逃げて、
「わかってます、わかってますよ。そのことは別に警察にも言いませんし、その子達も訴えないと言ってますから」
私はもうどうでもよくなってしまった。
誤解とは恐ろしいものだ。つくづくそう思った。
「わかりました。給料はいいです。ご迷惑をおかけしたお詫びに、皆さんで使って下さい。お世話になりました」
「あっ、ちょっと!」
私は店長が呼び止めるのを無視して、事務室から飛び出した。
「何なのよ、ホントに……」
他のバイト先を探そう。
それしかない。
次のバイト先では、もっと可愛い子を演じよう。
今時の子になり切る。
怖がられないように、ちょっとバカっぽい喋り方にしよう。
そうすれば、こんなことは二度と起きない。
理美はびっくりするだろうな。
彼女にだけは新しいバイト先を教えておこう。
そんなことを思いながら、アパートへの道を歩き始めた時だ。
「如月さん」
とまたあの間延びした声がした。神保君だ。
「何?」
私はできるだけ穏やかな声と顔で言った。すると神保君は、
「忙しくない?」
「うん、忙しくないよ。どうしたの?」
「これ……」
と神保君は手紙のようなものを差し出した。
「えっ?」
彼は頭を下げたままそれを私に向かって突き出している。
私は一瞬気が動転したが、
「あ、あのさ、えーと……」
と返答に困っていると、神保君は顔を上げて、
「これ、今坂さんに渡して下さい。とても直接渡せないので」
と言った。頭が煮えたぎるのに一秒とかからなかった。
「自分で直接渡せ、この愚図!」
私は仰天してへたり込んでいる神保君を残し、その場を去った。
何なのよ、私の人生は! その日は散々な一日だった。
「それで、そのしもべの5人はどうして怪我していたの?」
葵がソファに座って尋ねた。美咲はパソコンから顔を上げて、
「茜ちゃんは知らないんですけど、タカシって言う子の携帯にある茜ちゃんの携帯の番号を他の4人が教えろって騒いで、喧嘩になったらしいんです。それで怪我をしたんですって」
とクスクス笑いながら言った。葵も笑って、
「茜って結構モテてたのに気づいていなかったのね。大原君とそんなとこで出会っていたのは初耳だわ」
「ええ。その話は私も聞いた事がありませんでした。あの2人、案外運命の人同士なのかも知れませんよ」
美咲がそう言うと、葵は美咲を見て、
「貴女と外務省君も運命の人同士かもよ」
とからかった。美咲は赤面しながら、
「それを言うなら、所長と篠原さんだって……」
「あいつは運命じゃなくて疫病神よ」
葵はムッとして言った。そして、
「それより茜はどこまでアイスクリーム買いに行ってるのよ。待ちくたびれたわ」
「そうですね。どこまで行ったんでしょう?」
その頃茜は、大原とコンビニにいた。
「奇遇だね、茜ちゃん、こんなところで会うなんて」
「ほ、ホントですね」
茜はニコニコして言った。
「覚えてます、大原さん? 私達、ここで初めて会ったんですよ」
「あっ、そうか。ここがあのコンビニだったのか」
2人はニッコリして顔を見合わせた。
葵のところにアイスクリームが届いたのは、それから一時間後だった。
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