第十三節 原典の解釈
三人は、職員塔の螺旋階段を上る。一階の職員室にグリーゼはおらず、彼は上階にある自身の研究室に籠っているという。
「神々の祝日、オーブオリース先生に言われたことを、思い出した。原典の解釈に疑問があるなら、グリーゼ先生に聞けと」
「あっ……」
ユアンに言われて、レグルスも思い出した。キャリバン行きの乗合馬車から降りた後、レグルスとユアンがエルトファルの解釈について話していたとき、オーブオリースがそう助言してくれた。
「そういや王子、〝エルトファルの修行〟の成績はどうだったんだよ?」
馬車を降りた二人が解釈の話をしたのは、ほかでもない。マルコと同じ馬車に乗ったからだ。彼は試験が終わった後、講評を終えたマーネンに挙手までして尋ねていた――ユアンが演じたエルトファルは、アルテイルが作り上げたエルトファル像とはまったく異なっていたが、それでもユアンが最優秀生徒なのかと。
「ま、どうせ成績トップだったんだろ?」
「……ああ」
「チッ、やっぱりかよ」
レグルスは、ハラハラした。ユアンはこのときの発言がきっかけで、マルコに嫌われていると思い込んでいた。
「オレはアルテイルの演技に引っ張られすぎてた。考えてみりゃ、妹の仇討ちのために修行してるのに、ウケる動きになるわけねえんだよ。王子のエルトファルのほうが説得力あんだよな」
マルコは悪態をついてはいるが、彼の言葉はすべてユアンへの賛辞に聞こえた。
「……君は」
ユアンはグリーゼの研究室の前で立ち止まると、振り向きもせずマルコに尋ねた。
「俺を嫌ってはいないのか?」
「は?」
レグルスはまた、ハラハラした。マルコからの心証を不安がるユアンに、「面と向かって嫌いだと言われたわけではないだろう」とは言ったが、まさか面と向かって尋ねるとは。
「いや、なんだそりゃ。なんでそうなるんだよ。うぜぇ……」
後ろからでも、ユアンが俯いたのがわかった。
「ユアンはその……口下手なんだ!」
「あー、はいはい。嫌というほどわかったよ。王子はお高くとまってるんじゃなくて、ただの根暗だってことも、よくわかった……」
呆れてしまったのか、マルコは大きなため息をついた。
「おら、行くぞ」
マルコは前に進み出て、研究室の扉をノックする。
「一年のマルコ・コルカロリです。グリーゼ先生に質問があるんですが、お時間よろしいですか?」
すぐ返事があった。
「二十分程度ならいいでしょう。入りなさい」
研究室に入ると、無数の文献に埋もれながら調べ物をしているグリーゼが目に入った。いつも下ろしている銀髪をポニーテールに結っているので、ずいぶんと印象が違って見える。
狭苦しい応接スペースに押し込まれた三人は、グリーゼと向き合って座った。
「さて、結論から言えば、
ユアンは質問を重ねた。
「カノープスを軽やかに演じるナイドルが多いのは……」
「そちらは、御三家の影響だけではない。〝風華の騎士〟という二つ名から受ける印象と、長年演じられてきたイメージの蓄積から来ている……なるほど。今のはアークトゥルス自身ではなく、フィーロとコルカロリのための問いですか」
「へっ?」
「第十班のカノープス役は大柄でたくましい体格だ。従来の解釈をなぞっても、彼自身の魅力は発揮しきれないだろうな」
まるでロイの姿が見えているかのようにグリーゼが話すので、レグルスとマルコは面食らってしまった。
「かつて同じようなことで悩んでいたテッラ・アステラのナイドルがいた」
グリーゼは話を続ける。
「彼は最終的に、
「
マルコの問いにグリーゼは頷かない。だが、首も振らない。
「諸君は私のところへ質問しに来るような熱心な生徒だ。教員としての私ではなく、研究者としての私の意見も教授しよう。その上で、よく考えたまえ」
グリーゼの冷厳な口ぶりに、三人は身を引き締めた。
「私は――
「へっ!?」
「なっ……」
レグルスとマルコは驚愕の声をあげたが、ユアンは落ち着いている。グリーゼは驚く二人に構わず講釈する。
「
「……ええっと」
レグルスは、グリーゼの言葉を飲み込もうと必死に考えを巡らせた。
「
「まあ、その理解でいいでしょう。あまりにも突飛な妄想に基づいた脚本は、歴史監督委員会の審査で落とされています」
以前、歴史監督委員会に脚本を突っぱねられ、怒り狂っていたクラリッサの姿が思い出された。母は、妄想まがいのことを書いたのだろうか。
「台本を受け取った諸君は、自由に演じていいのです。もちろん、セリフを変えたり間違えたりすることは許されませんが」
「……グリーゼ先生、ありがとうございます!」
レグルスは高揚から立ち上がり、グリーゼに頭を下げた。
つまり、軽やかなカノープスを演じずに、自分の魅力を追求してもよいということ。今の話を伝えれば、ロイは希望を抱くかもしれない。
「落ち着きなさい、フィーロ。アークトゥルスにはまだ質問したいことがあるようだ」
「へっ?」
ユアンを見ると、彼は頷いた。レグルスは慌てて椅子に座り直す。
「では、アークトゥルス。言ってみなさい」
「……はい」
ユアンは、躊躇いつつ、なぜだか申し訳なさそうに尋ねた。
「〝月よりの監視者サジェ〟とは、実在した人物なのですか」
「……ほう」
レグルスには、ユアンの質問の意味が理解できない。マルコを見ると、どうやら彼もそうらしく、ぶんぶんと首を振った。
「いや……違う。俺が聞きたいのは……なぜ、エルトファルは〝
グリーゼの切れ長の目に、鋭い光がひらめいた。
「アークトゥルス、君は一切の先入観を持たないままに
「……はい」
「本当だ、なんでだ?」
ユアンの疑問で、レグルスも
「エルトファルは四大神に会うために、カノープスと一緒に旅立とうとしてた。そのための〝エルトファルの修行〟のはずなのに……どうして、途中から登場しなくなるんだろう?」
生徒三人は、グリーゼの答えを待った。
「率直に言おう。その問いの答えは『未だわからない』と言わざるを得ない」
「え……」
「つまり、サジェの存在、エルトファルの不在には……ストーリアに幅を持たせるのとは別の種類の、解釈の余地があるのです。サジェがいて、エルトファルがいないという点を変更することはできない。だが、そこに君の解釈を介在させることはできる」
ユアンは押し黙った。グリーゼの答えは、彼が真に望んだものではなかったのだろう。
「その上で、私はこう助言する。アークトゥルス、君の解釈で演じてみたまえ」
「……わかりました。ありがとうございます」
ユアンは深々と頭を下げた。彼とグリーゼのやりとりは、レグルスにはほとんど理解できなかった。マルコは眉間に皺を寄せて難しい顔をしている。
「さて、質問が以上なら、速やかに退室してくれたまえ。そろそろ二十分経つ。プリドル用特別試験の準備で忙しいのでね」
グリーゼは三人より先に立ち上がると、文献の山の中へ戻ってしまった。
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