第101話 もう一つの可能性

 遊歩道に戻った頃には太陽がオレンジ色に変わっていた。あと一時間もしたら辺りは完全に暗くなり、街灯が存在しない樹海内では歩くことすら困難になる。もちろん二人は野営できるように準備しているが、魔物が徘徊している可能性が高いこの場所で、無駄にリスクを負う必要はない。


 二人は足早に歩くと出口まで向かい、陽が落ちると同時に樹海の外へと出た。


「健人、明かりをお願いできる?」


 周辺には街灯はあるが、電気は通っていないため動いていない。月明かりしかなく、寝泊まりしている売店まで歩いて数分という距離だが移動するには光源が足りない。


 エリーゼの指示に従って、健人はリュックから電子ランタンを取り出し明かりをつける。電球の暖かい光が周辺を淡く照らした。


「行きましょ。帰ったらすぐにご飯が食べたいわ」


 健人はうなずくと先頭を歩く。

 静寂に包まれた暗闇に浮かぶ電子ランタンの光だけが、この場に人が生存していることを示している。コツコツとアスファルトを叩く二人の足音がいつもより大きく聞こえた。


「ついさっき洋館を見た後だから、ちょっと怖いね。樹海からゴーストが出てきそう」


 冗談交じりに言っているが、半分は本音である。

 夜、男女二人が、樹海の近くを歩いている。B級映画であればゴーストが出てきてもおかしくないシチュエーションだ。


 何度も魔物と戦ってきた健人だが、幽霊といったものに耐性はなく、恐怖心だけは抑えきれない。洋館から抜け出したゴーストやゾンビが襲ってくるシーンを脳裏に描いていた。確率としては限りなく0に近いと分かっていても、抑えきれない妄想である。


 ぎこちなく歩く姿を後ろから見つめていたエリーゼは、健人の空いている手をそっと握る。


「ゴーストなんて魔法で一発よ。私が守ってあげるから安心しなさい」


 手から心地よい暖かさが伝わると、一人ではないと実感できて心から安堵した。

 恐怖心を煽っていた暗闇や足音は、いつの間に気にならなくなっていた。


「ありがとう。子どもの頃に間違ってホラー映画見ちゃってね。それからどうしても、お化けの類いが苦手なんだよ」

「だから昔、ゴーストを退治する映画を一緒に見ようと言ってもダメだったのね! 言ってくれれば良かったのに」

「大人になってもお化けが怖いなんて、恥ずかしくて言えないよ」

「そんな見栄っ張りな所の方が子どもっぽいと思うわよ」


 エリーゼは小さく笑うと、新しい一面が見れたと上機嫌なりながら軽口を叩いた。反論できない健人は乾いた笑い声を出すだけだ。


 今日は新しく洋館を発見して進展があったこともあり、ほどよく緊張感が抜けて会話が弾んでいる。仲良く手をつないで歩き続けて数分後には、電子ランタンの明かりに照らされた売店がうっすらと見えてきた。


 もうすぐ安全な場所で休めるという気持ちが湧き上がり、歩く速度が上がる。

 だが、すぐに立ち止まることとなった。


「見えた?」

「ええ。私たち以外に何か居るわ」


 健人は脳裏にゴーストの存在がよぎる。ギリっと歯から音を鳴らすと、魔力によって視力を強化して周辺の様子を探る。


 売店のドアは閉まったままで窓も壊された形跡はなく、明かりもついていないので侵入者がいるようには思えない。


 ここは樹海の境界辺りに位置するので、近くに鬱蒼とした木々が生えている。健人は身を隠せそうなそちらを注視することにした。


「気のせいだった?」

「上手く隠れているだけかも。気は抜かないで」


 足を止めてから数分。異変はなかった。

 健人はゴーストを恐れるあまり幻覚を見たかと自分自身を疑い始めたが、エリーゼも目撃していたことを思い出して、緩み欠けていた緊張感が戻る。


「武器を持って。周辺を詳しく調べるわよ」


 エリーゼはつないでいた手を離すと弓を構えた。健人も鞘から剣を抜いて歩き出そうとすると、轟音と共に木々の隙間を縫って黒い塊が飛び出した。


 アスファルトの地面に叩きつけられ、ゴロゴロと転がりながら売店の壁に当たって停止する。強化された視力で見ると黒い塊は動いているようで、しばらくするとゆっくりと縦に伸びた。


「健人、あれは人よ。私の予想が正しければ異世界人ね」


 避難が済んでいるこの場所に他人がいるはずはないと思い込んでいたので気づくのが遅れてしまった。ダンジョンと共に異世界人は現れる。指摘されてみれば当たり前の事実であり、冷静になって観察すると黒い塊は人にしか見えない。売店の壁に寄りかかるようにして立っていおり、足下には血と思われる跡が残っている。


 車にはねられたように転がっていたのだ。ケガの一つや二つしていてもおかしくはない。急いで治療しなければと思った健人は、走り出そうとしたがエリーゼに止められた。


「危険だわ!」

「こんな怪しい場所にいるような人なんて碌なヤツじゃ無いと思う。けど、だからといって、見捨てるわけにはいかないよ!」

「違うの! 私が言っているのは、その人ではなくて――」


 言い合いしている間にも状況は刻々と変化する。

 低く重い地響きが聞こえたかと思うと、3m近い黒い人影が樹海から出てきた。手には身長と同じ長さの棒を持っている。


「やっぱり! あの大きさは間違いなくオーガよ! アイツに吹き飛ばされたのよ。近づかれる前に倒すわ!」


 嬉しくもない予想が当たったエリーゼは、指示を出しながらも赤い矢を創り出す。オーガーの硬い皮膚を貫くには、時間をかけて魔力を込めなければいけないため、すぐには攻撃できない。


 健人も同じように魔法を創り出そうとしたが、オーガに狙われている人物はその場から動けずにいるのを見て中断した。


「あの人が危ない! 俺がおとりになるから、その隙に倒して!」


 強化された体で弾丸のように走り出すと、棒を振り上げて叩き潰そうとしているオーガの足を切りつけた。


「硬いっ!」


 全力ではなかったとはいえ、ウッドドールであれば両断できる威力を秘めた一撃だ。それが弾かれてしまい、足にうっすらと切り傷をつけるだけで終わり、驚愕していた。


「グオオオオオオ」


 一方、オーガは傷を負わされたことによって怒りが頂点に達していた。叫び声と共に健人の方を振り向くと、棒を振り回して叩き潰そうとする。


 一撃一撃が重く、通り過ぎた後の風圧によって近づくこともままならない。さらに直前の攻撃で手がしびれてているため、切りつけたとしても傷をつけることは出来ないだろう。


 健人は試しに氷槍を創り出して回避とともに放ってみるが、体に当たると同時に砕け散ってしまった。即席で創った魔法では威力が足りないのだ。


「やっぱりダメか!」


 この場で出来る攻撃が全て通じないことで諦めがつく。

 オーガの敵意は健人に向いているので、ことは予定通りに進んでいる。一度でも当たれば致命傷を負ってしまう攻撃を全力で回避することに専念すると決心した。


 一瞬も気は抜けず、氷壁を創り出しながらも命をつないで、ようやくチャンスが訪れる。


「死になさい!」


 魔力が十分に込められた矢がエリーゼから放たれた。


 赤く光り輝く矢に気づいたオーガはその場から逃げようとするが、健人が足を掴むように氷を創り出して行動を阻害する。一瞬で壊されてしまうが、避けるタイミングを外してしまった。


 このままであれば頭を貫ける。と、二人が確信した瞬間に、オーガは手に持っていた棒を滑り込ませて赤い矢に当てた。ガリガリと金属を削るような音とともに火花が飛び散る。


 オーガが持っている棒が金属製であったのが誤算だった。

 雄叫び声を上げながら、棒に当たった矢を地面にはたき落とす。爆音と共に煙が上がって、地面に大きなくぼみができた。


 追い詰めた獲物のトドメを邪魔をされたオーガは、うるさい小バエ程度にしか思っていなかった健人たちを、本気で潰すことにした。


 全身にまとう魔力を増加させて、一足飛びに移動してエリーゼの前に立つ。目を見開き驚いているエリーゼの表情に満足したオーガは、ニヤリと嗤って金属製の棒を振り下ろした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る