第83話 獣人ヤグ

『こっちの世界――異世界だって分かっているのね?』

『おう。ここのヤツらから聞いた』


 親指で、ツボを持った女性を乱雑に指差す。


『それなら今の状況が普通ではないってことも、分かっているわよね?』

『はぁ? 当然だろ。こんなアブねー場所が、普通にあってたまるか!』


 口は非常に悪く、一見すると怒っているように見えるが、これは獣の特性が強く出た獣人にありがちな傾向であり、普通に接しているつもりで会話をしている。


 人の理性より獣の本能が強いため、縄張り意識が強く、感情で動く。


 さらにベースとなった動物の特性を基に、独自のルールを設けている場合も多く、相手から情報を引き出すのであれば、彼のルールに則って交渉する方が早く安全に終わらせることができる。


当然、エリーゼもそのことは理解しているので、相手のプライドを傷つけることなく、情報を引き出そうとしていた。



『新しくできた魔境について、知りたいことがあるんだけど、この集落のボスは、あたなかしら?』

『そうだ。正式な手続きによって俺がボスとなった。話があるなら、この場で言え』


 身長差もあり、エリーゼを見下すように言い放つ。言葉にトゲはあるが、初見でボスだと言い当てられたことで、獣人の機嫌は良い。


(正式な手続きね……。間違いなく、殺し合いをして乗っ取ったわね。すると、ここにいる人間は……)


 エリーゼの思考は、獣人の冷たい声により中断される。


『おい。ボスの前だぞ。名乗れ』


 ふと顔を上げると、獣人は腕を組んで眉を釣り上げていた。

 ボスだと判明してからも、敬うことなく、平然としていることが気に入らないのだ。


『名乗りが遅れてしまい、申し訳ございません』


 膝をつき弓を地面に置く。さらに頭を下げた。


『私はエリーゼ。長い旅の末、異世界にまでたどり着きました。変わり者のエルフです』

『ふははは。お前が変わり者なら俺も同じだな!』


 エリーゼが下手に出たことで獣人の機嫌が直る。


 相手の気分を良くさせ、必要な情報を手に入れたら後腐れなく別れる。一度きりの関係であれば、これで十分だ。


『俺の名前はヤグだ。姓は捨てた。それで聞きたいこととはなんだ? 同じ異世界人として、答えてやろうではないか』

『私が聞きたいことは、1つでございます。ヤグ様の他に異世界人はいますか?』

『何を聞くかと思えば、そんなことか。答えは簡単だ。今は俺しかいない』

『今は、と言うことは……』

『お前の予想通りだ。ダンジョンと共に、こちらに来た同郷の者が2人いた。だが全員、俺が殺している。これで十分か?』


 自信に満ち溢れた表情でニヤリと笑う。


 集落を乗っ取り、同郷の者を殺す。ジャングルが危険な魔境となっても逃げようとしない。普通の人間からすると常軌を逸した行動ばかりをしていた。


(やはり見た目は人間に似ているけど、思考は獣ね。人間寄りのミーナとは大違い。ここは情報収集を諦めて、さっさと離れましょうか)


 自分勝手にふるまい、他者を虐げるヤグは、共存することも仲間として行動することもできない。相容れない存在だと理解したエリーゼは、この場を離れる判断を下した。


『はい。それではーー』

『帰るか?』

『…………』


 予定していた言葉を先に言われてしまい、エリーゼは沈黙してしまう。


『今から帰れば途中で日が暮れる。魔境の中では野宿も大変だろう。今日の俺は気分が良い。後ろに隠れている仲間と一緒に、俺の集落に泊まることを許可する』


 健人が隠れている事を見抜かれ、心の中で舌打ちをする。


『どうした? まさか俺の提案を断るわけじゃないだろうな?』


 この話を断れば、間違いなくヤグの機嫌を損なう。そうなってしまえば、他の異世界人と同じように襲われてしまうのは間違いない。


(疲れによる判断ミス? 考えが甘かったわ……)


 武器を手放し、膝をついた状態から戦闘に入るのは得策ではない。とはいえ、この体勢をとらなければ機嫌を損ねてしまい、質問をする前に戦う羽目になっていた。エリーゼがノコノコと1人で集落に近寄った時点で、この誘いは必然であり、回避できないイベントであった。


『呼んで来ますので、少々お待ちください』

『ダメだ。この場で呼べ』


 弓を持ち立ち上がると健人の方へ歩き出そうとするが、エリーゼを信用していないヤグによって止められる。すでに彼はいつでも戦える態勢を取っている。武器を持ち立ち上がっているが、先ほどと同様に、逃げることも戦うことも選べる状況ではない。


 エリーゼ心の中でもう一度舌打ちをしてから手招きをすると、草をかき分ける音を立てながら健人が姿を現した。


『ちっ。男か』


 嫌悪感を隠さないヤグ。

 エリーゼの長い耳がピクリと反応する。が、それだけだ。わざとゆっくりと健人に近づき、耳打ちをする。


「何を話しているかわかった?」

「ごめん。俺の知らない言葉で話していたから……」


 エリーゼとヤグは、異世界の言葉で会話をしていた。健人が理解できるものではない。だがエリーゼが跪くなどの動作から、ヤグがこの集落での重要人物ーーボスだとは、予想できている。


「そう。今日はこの集落で一泊することになったわ。不意打ちするような男ではないと思うけど、気は抜かないで。それと彼のプライドは異様に高いから、言葉には気をつけるのよ」

「見た目通りって、感じか。了解」


 最低限の情報を交換すると、2人が隣り合ってヤグへ向かう。


「お待たせしました。彼がパートナーの健人です」

「清水健人です。短い間ですが、よろしくお願いします」

「ここのボス、ヤグだ。部屋は貸してやるが、俺は男の顔は見たくない。無事に過ごしたかったら部屋に閉じこもっておくことだ」


 女性、しかも警戒心の高いエルフのパートナーだ。一緒に行動している相手も女性だと、ヤグは勝手に思い込んでいた。それなのに出てきたのが男だったのだ。


 ヤグ自ら招待していなければ、この場で健人に殴りかかってしまうほどの苛立ちを感じていた。


『おい、ヴォルネ。客人を案内してやれ』


 健人の登場で一気に関心をなくしたヤグが、ツボを持っていた女性に指示を出し、一人で集落へと戻ってしまった。


『……はい』


 ヴォルネと呼ばれた女性は、背が見えなくなるまで頭を下げたまま動かなかった。


『案内するので、ついて来てください』


 ヤグの姿が見えなくなると、エリーゼに一言告げる。声は事務的であり、ヤグが来てから一気に感情が抜け落ちたようにも見える。人間性が感じられない女性に変貌していた。


「彼女、大丈夫かしら?」

「不安はあるけど……案内を断るわけにいかなし、付いて行こうか」


 健人はロングソードをエリーゼは弓を強く握り、周囲を警戒しながら歩く。


「魔境にある集落か。ラストダンジョン前にある最後の村っぽいね。みんな強いのかな?」

「少なくとも案内してくれている彼女は、戦えそうにないわね。歩き方が素人だし、何より私が出てきたときも驚くばかりで、戦闘を想定したような動きはしていなかったわ」


 エリーゼが姿を現した時、ヴォルネは驚き、動きが止まっていた。これが戦える人間であれば、すぐに動けるような態勢を取って相手の動きを観察する。それが出来なかった時点で、エリーゼは非戦闘員だと判断した。


「探索で疲れているし、必要以上に緊張しなくても良いわよ。常人には理解できないルールで動いているけど、少なくとも自分の発言を破るようなことはしないはずよ」

「そう言ってもらえると助かる。昨日はあまり眠れなかったし、実は少し疲れているんだ」

「ヴォルネって子にこの辺の話を聞いたら、あとは部屋に閉じこもっておきましょ」


 エリーゼの提案に、健人がうなずく。


 結局、口約束なのだ。その気になれば、襲う理由などいくつでも作れる。ヤグが去り際に言っていた通り、部屋で大人しくしているのが最もリスクが低いのは間違いない。


 今後の予定が決まると、先行するヴォルネを足早に追いかけ、魔境にある獣人の集落に足を踏み入れた。

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