第74話 休息3
コンクリートで舗装された細い坂道を下り切ると、足元が砂浜に変わる。視界が開け、潮の香りが一気に強くなった。
健人の目の前には、初夏の日差しに照らされた、一面に広がる青い海。桟橋に係留してあるクルーザーが、一点のシミのようにポツンと浮かんでいる。その側には、5人の人影がある。これから一緒に休暇を過ごす、いつものメンバーだ。
「遅いっすよー!」
ゆっくりと歩く健人とエリーゼに、明峰が大声で呼びかける。
まだ肌寒い季節だが、七分丈のズボンとTシャツを着ている。季節感を無視した服装が、彼の陽気な性格を象徴しているようだった。
「いつも元気ねぇ……」
エリーゼのつぶやきに返す言葉が見つからず、健人は苦笑いを浮かべていた。
明峰に急かされるように、歩みを速めた2人。すぐにクルーザーの前に着くと、礼子、明峰、ヴィルヘルム、ミーナ、梅澤の5人と合流する。
「お待たせ。こっちはランチ作り終わったよ」
「こちらも準備は終わっています。人数分の釣竿と、ライフジャケットを用意しました。お菓子もバッチリです!」
礼子が横に視線を向けると、両手にビニール袋を持ったミーナがいた。
スナックやチョコレートなど定番のお菓子が、袋から飛び出すほど入っている。7人いるとはいえ、この量はさすがに食べきれない。健人は「買いすぎでは?」かと首をかしげる。
「研究所の皆さんは、お誘いできなかったので、後でお菓子を分けようと皆で話し合ったんです」
健人の考えを察したミーナが、上目遣いで大量購入した理由を説明した。
「使い道があるなら良いんだ。きっと喜んでもらえるよ」
無人島には娯楽施設はない。本島に戻れるといっても週に1回、それも1泊程度だ。お菓子の差し入れでも、イベントとしては十分だ。
ミーナの説明に納得した健人が、頭をなでてから、クルーザーの方へ歩き出す。その隣には、エリーゼもくっつくように並んでいる。
「なんか、二人ともいつもより仲良くないっすか?」
健人とエリーゼの動きが止まり、この場の空気がい一瞬止まる。
2人を見た瞬間、誰もが察したが、あえて話題にしなかった事実。不用意な発言をした明峰の頭を礼子が軽くはたき、梅澤は顔を上にあげて手を当てている。
「痛いっすよ大和姐さん。でも叩くってことは、同じことを思っていたんっすよね?」
「そ、それはだなぁ……」
礼子が言いにくそうにしていると、隣にいるミーナが何度も首を縦に動かす。
「やっぱそうっすよね!」
仲間を見つけた明峰がミーナに駆け寄る。肩に手を置くと、耳元でささやく。
「絶対何かあったに違いないっす。これは、あれっすね」
握りこぶしを作り、人差し指と中指の間から親指をだす。ミーナはジェスチャーの意味が分からず、首をかしげるだけだ。
だが礼子は違った。ジェスチャーの意味を即座に理解したのだ。
即座に、身体能力を強化し、明峰の鳩尾を軽く殴りつけ、姿勢を崩すと、投げ飛ばす。明峰は抵抗できず、砂浜を転がり、梅澤の足元で止まった。
「明峰さん。さすがに今のはダメです」
「ゲホッ、ゲホッ、ミーナちゃんには、早かったっすか?」
「そういう意味ではないのですが……」
意図が思うように伝わらず、梅澤は首を横に振り大きく息を吐いた。
一連のやりとりと眺めていた健人。何ともむず痒い気持ちになる。なんと言葉をかければよいか分からず、3人の行動に触れるのを諦めた。
「……先に船に乗ろうか」
日差しを反射させ、青く光る海。木製の桟橋を歩き、船体が2つあるクルーザーへと向かう。船体に足をかけようとしたところで、キャビンからヴィルヘルムが出てくる。
健人とエリーゼを見て、視線だけを動かし砂浜の光景をいちべつする。大体の事情を察したヴィルヘルムは、健人が見たことのない笑顔を浮かべて、サムズアップした。
「あはは……」
なんと返事をしていいのかわからず、乾いた笑いをする。
ヴィルヘルムは、戸惑う健人をを無視して浜辺のほうへ歩き出す。足に込める力は強く、踏み出すごとにクルーザーが揺れた。
「……どこに行くんですか?」
歩き方から怒っていると直感した健人が、呼び止める。
「キャビンからでも、声が聞こえていたわ! ミーナに変なことを教え込もうとしているヤツに説教をするのじゃ。まさか、止めようとは思っていないじゃろうな?」
先ほどの笑顔が幻だった。そう思えるほど、振り返ったヴィルヘルムの眼光は鋭い。手を伸ばし引き止めようとしていた健人だったが、気迫に押されてしまう。
動きを止めた健人を見て、文句がないと判断したヴィルヘルムが、桟橋を渡る。
「ミーナに変なことを教えたのはお前か!」
「ヴィ、ヴィルヘルムさん! 止めてください! 私は気にしていませんから!」
「明峰、大丈夫か!? 返事をするんだー!」
遠くから鈍い音、怒鳴り声、悲鳴が混ざり合い、健人の耳に届く。
健人は伸ばしていた手をゆっくりと下ろし、エリーゼの方を向く。
「なんだか、私たちのせいで騒がしくなってしまったわね。落ち着くまで、キャビンで休みましょ?」
健人の手をそっと握り、太陽の日差しと浜辺の騒動から逃げる。
キャビンに入ると、ひんやりと冷たい空気が頬をなでる。
「歩き疲れてのどが渇いたわ。一緒に飲みましょ?」
ソファーやベッド、シャワーなどが完備したキャビンは、下手をしたらホテルの部屋より豪華だ。もちろん、冷蔵庫も完備されている。
先ほど、ヴィルヘルムがの飲み物を積み込んでいたので、物資も十分だ。ソファーに腰掛けた2人。冷蔵庫に入れていたジュースを飲みながら、騒動が終わるのを優雅に待つことにした。
◆◆◆
「ひどい目にあったっす……」
クルーザーを運転している健人の隣で、頭をさすっている明峰。
「何か言った? もっと大きい声でしゃべって!」
クルーザーが風を切って、大海原を全速力で走っている。周囲の騒音で、健人まで声が届かなかったのだ。決して、嫌がらせをしているわけではない。
「なんでもないっす! それより、これからどこに行くんっすか?」
愚痴を何度も繰り返す行為ほど、空しいものはない。明峰は、今晩は「礼子に慰めてもらおう」と思い直し、話題を変えた。酒さえ飲めば、礼子は意外に優しいのだ。
「もう少し先に魚を釣るポイントがあるんだ! そこに向っているんだよ! そうだ、運転してみる? たしか、免許持っているでしょ?」
「前の仕事で、免許はいっぱい取ったっす! 運転させて欲しいっす!」
健人と席を変わり、ハンドルを握る。
先ほどの出来事から、キャビンでくつろいでいるメンバーと居づらくなった明峰は、暇を持て余していたのだ。さらにめったに運転できない、高級クルーザーだ。断る選択肢など存在していなかった。
「安全運転でお願いね!」
「分かってるっすよ!」
健人の話を聞き流しながら、運転する明峰。席にある機会を一切水に、感覚だけで運転していた。
「分かってないよ! あ! この先、浅くなってるよ!」
「やべ、マジっすか!?」
座礁を回避するため、健人はハンドルを奪い取って、進路を変える。
急に旋回したことで、一時的にクルーザーが大きく傾いた。
「マジで危なかったっすね!」
「ほんとだよ!」
危機を乗り越えた安心感と、浅瀬まで近寄ってしまった自らの間抜けさ。それらが合わさり、2人も腹を抱えて笑い出す。もちろん、運転しながらだ。
「ハンドル! ハンドルをしっかり握るっす!」
「分かってるって!」
明峰に注意されても笑いが止まらず、ハンドルを握る手が震えている。注意する方は、運転席の手すりを叩くほど笑っていた。
「ちょっ、ちょっと休憩―!」
健人はこの状態は危ないと思い、震える手で操作をしてクルーザーを停止させる。
運転席に寄りかかり天井を見つめる健人。くだらない、そしてちょっと危険なことをして笑い合う。男同士の無茶な行為で、童心を思い出していた。
振り返ってみれば楽しく、懐かしい日々。すでに縁を切ってしまった、当時の両親や友達と、先ほどのように遊ぶことはかなわない。なぜだか健人は、涙がたまってしまい、見上げたまま動くことができなかった。
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