第14話 ダンジョンの奥にいたもの

「もう少し力を入れても大丈夫よ?」

「わかった……」


 初めて経験に緊張した健人は、ゴクリとのどを鳴らした。


「もう少し力を入れる……いくよ!」


 先ほどまで恐る恐るといった様子だったが、エリーゼの希望通りに鷲掴みにして力を込めて引っ張る。


「イタタタ! やっぱり、優しくして……」


 アクセサリー作りから2日後。

 健人は約束通り髪を結ぼうと、エリーゼの後ろに立って髪の毛をいじっていた。


「力を入れていいといっても、限度があるわよ……」


 予想していた以上の痛みに耐えられずに涙目になったエリーゼが、洗面台に置いてある鏡越しから睨んでいた。


「ごめん……」


 健人の髪型は常に短い。さらに他人の髪の毛を結ぶ経験もしたことがないため、慣れない手つきでエリーゼのサイドの髪を強く引っ張ってしまい怒られていた。

また悪いことに、髪の毛を持ち上げて動かすたびにシャンプーと体臭の混じった独特な香りが鼻腔をくすぐり、健人の集中力を妨げている。


 結局、慣れてしまえば1分で終わる髪型を整える作業は、今日に限って言えば10分もかかってしまった。


(彼女なし、独身の男には難易度が高かった……)


 朝から疲れ切った表情を見せている健人をよそにエリーゼは洗面台にある大きな鏡を前で、様々な角度から髪型と作ったばかりのヘアピンの見栄え確認して満足していた。


「この髪型気に入った! それにヘアピンも!」


 鏡に映るエリーゼは、子供のような無邪気な笑顔を浮かべていた。

 勢いよく回転して健人の方を向くと、髪につけたヘアピンを優しい手つきで撫でながら、少し照れながら本日の予定を声に出した。


「さて、十分満足したことだし、そろそろ外に出て訓練を始めましょ」


 先端部分にトゲが付いた棍棒という原始的な武器を手に入れた健人達は、昨日から、魔法の訓練に加えて接近戦闘の訓練もメニューに組み込まれていた。


 ウッドドールの動作は単純で戦いやすいとはいえども、攻撃された時に体が緊張して動けなくなってしまえば、大怪我を負ってしまう。戦闘状態になったとき十分な力が発揮できるように、今は体の動かし方や攻撃のさばき方などといった、基本的な動作を繰り返して体に覚えさせる段階だった。


 2日目にして地味な訓練が嫌になりつつも必要性を理解している健人は、顔を引きつらせながらも、スキップしそうなほど機嫌のいいエリーゼの後姿を眺めながら、外に向かってゆっくりと歩き出した。


◆◆◆


 接近戦の訓練を始めてから約1ヶ月。

  健人は、棍棒を片手にウッドドールと戦い接近戦の経験を積む傍ら、より安全にそして戦いの幅を広げるために日本で購入した様々な道具も試していた。


 ある時はオイルをウッドドールに投げつけてから魔法で火をつけて火だるまにしてウッドドールに追いかけられたり、またある時は大量のローションを床にばらまいてウッドドールが滑ったところで攻撃しようとして一緒に滑ったりするなど、数多くの失敗とともに工夫を重ねていた。


 銃器といった戦闘向けの道具を使えば別だろうが、武器を手に入れるようなコネや実践経験のない人間であれば、成功より失敗が多くなってしまうのは当然だ。しかし、日本の道具に多大な期待をしていたエリーゼにとっては別だった。


「今日は変な道具を使わないで、魔法と棍棒を使ってね」


 ゴーレムダンジョンの入り口に立っている2人は、探索前の最終確認をしていた。

 最初は健人が試すことに興味を持っていたが、今では健人が新しい道具を取り出すと、半目になってジッと見つめることが多く、この世界にある道具を使ってゴーレムダンジョンを探索することをあきらめていた。


「今日の目的地は、最後に残った未踏エリア。ここ以外の場所はすべて確認して何もないことがわかっているから、未踏エリアに地下に続く階段があるはずよ。1階をすべて探索して変わったところが見つからなければ、地下はゆっくりと探索しましょ」


 数日前から始まった接近戦の練習のついでに未踏エリアを探索していた健人達は、ハイペースで探索を進め、ゴーレムダンジョンの1階をほぼ制覇していた。残るエリアは最奥の部分だけであり、今日1日で踏破する予定だった。


「地下の探索ペースは、落としても問題ないの?」

「ええ。この世界にできた初めてのダンジョンがどんなタイプなのか、そして私が知っているダンジョンと違いがあるか調べる必要があったんだけど、今のころ違いはなさそう。地下への入り口が確認できたら、あとはゆっくりと調べればいいわ」

「なるほどね。エリーゼの世界と同じダンジョンであれば、今までの常識が通用するから魔物が外に出る心配もほとんどない。だから、ゆっくり探索しても大丈夫ってこと?」

「その通りよ。理解してもらったことだし、そろそろ出発しましょうか」


 健人が無言でうなずいたことを確認すると、エリーゼが先頭になるいつも通りの隊列でゴーレムダンジョンの最奥に向けて歩き出した。


 ゴーレムダンジョンのおうとつの多い入り口を抜けて、人の手で磨き上げたような平らな石を並べた床と壁に姿が変わると「探索が始まった」と、意識が切り替わり、健人は自然と棍棒を持つ手に力が入っていた。


 だが、連日ウッドドールと戦っていたせいか魔物の姿はない。

 魔物を狩りすぎてしまった場合、一時的に出てこなくなるときがある。経験上、そのことを理解していたエリーゼは、周囲を警戒しながらもウッドドールが出ないことに疑問を持つことなく、未踏エリアに向けて奥に進んでいく。


 結局、未踏エリアの入り口につくまでにウッドドールは1体しか出現しなかった。

 さらに、元気が有り余っている健人の棍棒の攻撃を頭に受けると、一撃で倒れてしまい戦闘と呼べるものではなかった。


「ここまで順調に進めたけど、こっから先は魔物が多いかな?」

「前の世界の経験から推測すると、フロア全体の魔物が減っているはずだから、地下に降りなければ魔物はほとんどいないはずよ……でも、何が起こるかわからないから気は抜かないでね」


 自分に言い聞かせるように最後の一言をつぶやいたエリーゼは、なぜか久しく感じることのなかった未知なるものへの恐怖を覚えながらも、未踏エリアに一歩を踏み出した。


 再び歩き始めてから30分。魔物に出会うこともなく、曲がりくねった通路を歩いた先に、高さ3m横幅2mもある飾りのない無骨な金属製のドアが、2人の視界に飛び込んだ。


「こ、これは……」

「エリーゼ、何か知っているのか?」


 健人は、かすれた声をだして戸惑っているエリーゼに声をかけた。


「ええ。この奥におそらく、このフロアでは出てこない強い魔物がいるはずよ。私たちの世界ではフロアボスと呼んでいたわ。倒せば強力な魔石か武器が手に入るだけど……こんな浅い階層、特に1階に出てきていいものじゃないわ……」

「何かが……おかしい?」

「ええ。少なくとも私の世界で、1階にフロアボスが出現した話は聞いたことがない……」


 エリーゼの世界でも下層に行くとフロアボスと呼ばれる魔物が存在していた。

 種類によって扉の材質といった見た目は変わるが、大きな扉の中に入ると強力な魔物が存在することは変わらない。


 フロアボスは通常、下層に行くための道をふさいでいるのではなく、一部エリアを独占しているだけなので、先に進むために避けて通ることも可能だ。また、部屋から出ることはないので、探索の障害にはならない。

 実際、エリーゼがこの世界に来るために潜ったダンジョンでは、フロアボスは全て避けて通ってきた。


「危険だし、ドアを開けずに帰る?」

「心情的には賛成したいけど、私の常識が通用しない以上、ドアの中は確認したいわ。それに……地図を見る限り未踏エリアはもうここしか残ってない。地下に行くためにはここを通るしかないみたい……」


 今目の前にあるフロアボスは、地下に進む階段を完全にふさいでいた。

 この世界ダンジョン特有なのか、それとも偶然なのか判断できないないエリーゼは、この先の部屋を確認することを心に決めた。


「わかった……これからゆっくりとドアを開ける」

「……うん」


 いつでも動き出せる姿勢になったエリーゼが固唾を飲んでみ見守るなか、健人は両手を鉄製のドアにつけると、ゆっくりと全身を使って押した。

 最初はビクともしなかったドアだったが、魔力を全身に回して身体能力を最大限にまで向上させると、何かを引きずるような大きな音を立ててドアが動く。


 急に動き出したことに驚いた健人は思わず手を離してしまうが、動力源が他にあるのか、自動ドアのように止まることなく完全に開いてしまった。


「健人、前を見て!」


 勝手に動くドアに意識が捕らわれていた健人は、後ろから聞こえたエリーゼの声で、「フロアボス」から目を話すという危険行為をしていることに気がつき、慌てて部屋のなかを見る。


 10mほど離れた部屋の中心には、全長5mはある金属でできたデッサン人形のような顔のない細い体を持つ魔物が、その身長に釣り合うほどの長大な両刃の剣を振り上げた状態だった。


 顔がないのに目があったような錯覚を感じた健人は、体を動かすことを忘れて、目の前の魔物が剣を振り振り下ろす動作を眺めていた。


 素早く振り下ろされた剣は、魔物の手を離れて健人に向かって一直線に飛ぶ。


(あ、これ死んだ……)


 ゆっくりとながれる時間のなか健人は死を覚悟したが、横から強い力を感じたかと思うと、車に衝突したかのように跳ね飛ばされた。


 地面の上を転がり止まったところで痛みをこらえて起き上がろうとすると、不安と焦りの感情が入り混じったエリーゼの顔が目の前にあった。


 健人の上にまたがっていたエリーゼが勢いよく立ち上がると、健人に手を差し伸べる。


「話は後で! 走って逃げるわよ!」


 何か考える前に、健人は差し出された手をとり、刀身の半分以上が壁に突き刺さった剣を横目に、エリーゼの後ろを追いかけるように走り出した。


 背後から地響きが聞こえる。

 通り過ぎた道から黒い霧がいくつも誕生している。


 恐怖と息苦しさですぐにでも足を止めたくなるが、立ち止まってしまえば先ほどの剣で叩き潰されるか、魔物に襲われてしまうだろう。

 どちらにしろ、足を止めてしまえば死ぬ以外の選択肢は存在しない。


 無駄な思考を止めて、ただひたすらに目の前を走るエリーゼを追いかけている。

 彼女という存在だけが心の支えだった。


 どのぐらい走ったのかわからなくなったころに、急に視界が明るなり、新鮮な空気が健人の肺の中に入ってきたことで、ゴーレムダンジョンの外に出たことに気が付いた。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 脅威から解放された健人は、力尽きて仰向けになって寝転がる。

 限界まで走った体は休息を求め、動かすことも声を出すこともできない。


「途中から追うのをやめたみたいだから……大丈夫だと思うけど……息を整えたらコテージまで移動して……今後の対策を練りましょう……あいつは倒さないとまずいわ……」


 健人より体力的に余裕のあるエリーゼは、息を切らして膝をつきながらも、ゴーレムダンジョンの入り口を見つめていた。

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