第12話 体調を崩す
「……朝……?」
窓から差し込む朝日によって目を覚ました健人は、はっきりしない頭、全身を襲う気だるさに襲われていた。さらに熱があるようで、足や腰の節々に痛みを感じている。
初夏を迎えたばかりの5月上旬。
心身ともに疲れたうえにパンツ一枚で寝てしまえば、風邪をひいてしまうのも当然だろう。健人は、気力を振り絞ってクローゼットにある服を着て、ベッドから落ちていた毛布を引っ張り上げると、体に巻きつけて冷めきった体を温めることにした。
(風邪をひいたからご飯が作れないと、エリーゼに伝えないと……)
せめて一声かけようと動こうとするが、意思と反して体は動かず、毛布にくるまり膝を抱えて丸くなった状態から身動きが取れない。それでも、この世界に来てまだ1ヶ月弱。不慣れな生活をしている彼女の面倒を見なければならないという使命感にかられていた。
「健人、起きてる?」
体が動かない焦燥感にかられながらも、いつの間にか寝ていた健人は、ドアのノックとエリーゼの声で目が覚める。
「げほっ ごほっ」
返事をしようと声を出そうとした健人だが、喉が乾燥してヒリヒリと痛み、咳き込んでしまった。一度咳が出てしまうと止まらず何度も咳き込んでいると、ドア越しから慌てるような物音が聞こえ始めた。
「――ょうぶ? ドアを開けるよ?」
「!!」
声を出すために呼吸を落ち着かせていた健人の返事を待たずにドアが開くと、心配そうな顔をしたエリーゼが覗き見るように顔を半分だけ部屋の中に入れて、様子を確認していた。
「顔色が悪いわね……いつまでたっても降りてこないから気になって部屋まで来たんだけど、その判断は間違ってなかったようね。とりあえず、飲み物と食べ物をもってくるけど……この世界の調理道具の使い方はわからないから保存食になっちゃうと思うけど、何も食べないよりかはましでしょ。待ってて」
一方的に話すと、ドアを閉めて1階に降りてしまった。
時間にして数分。階段を上る足音が聞こえたかと思うと、スポーツドリンクのペットボトル、桃の缶詰、フォークをお盆に乗せたエリーゼが、ゆっくりと部屋に入って健人に近寄り、ベッドの隣に置いてある木製の四角いナイトテーブルにお盆を置くと、ペットボトルのふたを開けた。
「すごい汗ね。異世界でも水分を失えば補給するのが……常識よね?」
他人の看病をしたことがないエリーゼは、自分の判断があっているのか迷い、表情はこわばっていた。
だがそれも、健人が無言でうなずくとすぐにゆるみ、手に持っていたペットボトルを落とさないように包み込むようにして手渡した。
健人はゆっくりと飲むと、ようやく声が出せるようになった。
「ノドがヒリついて声が出なかったんだ。わざわざ持ってきてくれてありがとう」
「遠慮することはないわ。友人が病気で倒れているのであれば、看病するのが当たり前でしょ?」
エリーゼに出会ってから彼女に信頼してもらえるように行動していた健人は「友達」言われたこと安堵していた。
「そうだね。友達なら当然だ」
「あ、あたりまえじゃない! 一緒に生活をして、出かけたりする関係が友人じゃなければなんなのよ」
健人に言われて恥ずかしくなったエリーゼは、顔を赤くして窓のほうを見ていた。
「それより、桃を食べたらすぐに寝なさい」
これ以上からからかわれたくないと思い缶切りを手に取ると、5分以上の時間をかけてようやく、ふたを開けることができた。
「自分で取って食べられるでしょ?」
そう言って、苦労してあげた缶詰を健人に差し出す。
「ここは食べさせてくれるところじゃないの?」
「あら、目の前にいる体だけは大きい坊やは、ママが恋しくて1人で食べられないのかしら?」
「……ごめん、俺が悪かった」
友達同士の冗談として言ってみたが、あっさりと切り返されてしまった。
少し調子に乗っていたことを反省しながら缶詰とフォークを受け取り、桃を口に入れる。
「体が弱った時は果物だな。風邪をひいたときの唯一の楽しみだ」
「なんだか変な表現ね。それより、食べ終わったらちゃんと寝るのよ? しばらくしたら様子を見に来るから」
「わかった。ありがとう」
食べ終わった缶詰をナイトテーブルに置くと、人に心配してもらえ看病してもらえることの嬉しさを感じながら、すぐさま夢の中へと旅立った。
◆◆◆
ふと、誰かがいるような気配がして目を開けると、ダイニングに置いてあったイスがベッドの横にあり、タブレットを使って本を読んでいるエリーゼの姿が視界に入る。
窓から夕日が差し込む部屋に、アイドルでも見かけることのない美貌を兼ね備えたエルフが隣にいる。美術館に置いてある絵画が目の前で再現されたような、思わず息を飲んでしまう幻想的な風景だった。
残りの人生は1人で生きていくしかないと考えていた健人にとって、無人島生活初日からエリーゼと行動できたのは、宝くじで大金を手に入れた以上に幸運だった。
「ずっとそこにいたの?」
「残念かもしれないけど、来たばかりよ。夕方になっても目覚めないから気になっていたのよ」
健人が起きたことに気づいたエリーゼは、タブレットをナイトテーブルに置くと、体ごとベットの方に向ける。
「少し寝すぎたみたいだ。でも、そのおかげで体調がよくなったように感じるよ」
そう言うと健人は起き上がり、エリーゼを見つめる。すぐに返事が返ってくると思いそのまま黙っていたが、エリーは眉間にシワを寄せたまま喋ろうとしなかった。
寝ている間に問題が起きたのかと思った健人は、疑問を口にする。
「難しい顔をしているけど、何かあったの?」
健人に声をかけられたことで、我に返ったエリーゼは、少しためらいながらも意を決して、健人に出会ってからずっと疑問に思っていたことを、ついに口にした。
「言いにくかったらいいんだけど……なんで健人は無人島で生活しようと思ったの? 私がいなかったら1人で暮らす予定だったのよね? 病院もない僻地で生活しようとするなんて、普通は想像したとしても実行は出来ないわ」
日本の常識をある程度理解したエリーゼは、無人島に1人で住もうとしていた健人は異端であることを理解していた。
エリーゼの真剣な表情を見て覚悟を決めた健人は、大きく息を吐くと、無人島にきた経緯を話す決心を固めた。
「そんな大した理由はないさ。教師をしてたんだけど、生徒とトラブルがあって仕事を辞めることになってね。そんなとき、都合よく大金を手に入れたから、この島に移住することに決めたんだ」
「健人は先生をしていたの?」
健人は無言でうなずき、話を続ける。
「1年前にね。女子だけを集めた学校の先生をやっていたんだ」
「女性だけって……またすごい所ね」
エリーゼがいた世界には女性だけを集めた学校は存在しなかった。この世界に慣れはじめてきた今でも、女性だけを集める意味が理解できなかったため、目を見開き驚いた表情をしていたが、すぐに気を取り直して、先ほどの発言で気になったことを質問した。
「……なんで追い出されちゃったの? トラブルってどういうこと?」
「先生は生徒に手を出してはいけない決まりなんだ」
「それは当然ね」
当たり前だが先生と生徒の恋愛は禁止されている。たとえ世界が変わろうが、このルールは共通であったため、急に話が変わったことに疑問を抱きながらもエリーゼは同意した。
「俺を含めた男性教師はルールを守るためにいつも気を使っていたけど、生徒の方はそうじゃない。男性教師がラブレターをもらうことも珍しくなかった。普通は、相手を傷つけないように断るんだけど……俺は失敗してしまったんだ」
女子高校などは、よほど変な先生でない限りは、「男性」というだけで生徒からアタックされること珍しくない。10代の多感な時期は一時的な感情で動くことも多い。健人は、感情的に行動する生徒との距離感に気をつけていた。
だが、どんな物事も完璧に全てをこなせる人間はいない。1つの失敗が築き上げた全てを壊してしまう場合もある。健人はそんな失敗をしてしまった1人だった。
「失敗?」
「そう、失敗。相手を傷つけちゃってね。感情的になった女生徒は親や友達に《先生に襲われた》といって、騒いだんだよ」
こう言ったケースでは、立場や力の強い「男性教師が女生徒を襲う」という構図が一般的であり、「やっていない」と男性教師側の主張を受け入れてもらうのは難しい。女生徒がそのような行動をした時点で、健人の教師人生は終わったようなものだった。
「そ、それは……」
エリーゼの世界も一部を除いて男女のパワーバランスは似たようなものだった。その後の展開が想像できてしまい、言葉に詰まってしまう。
健人は、エリーゼのそのような態度を気にすることなく、この話のオチを言葉にした。
「親や校長に事情を説明して、関係者に関しては誤解は解けたんだけど、関係ない人たちが面白おかしく噂を広めてね。結局、勤めにくくなって辞めたよ」
その言葉を聞いた瞬間、エリーゼの過去に受けた嫌がらせを思い出し、瞳が怒りの色に染めあがった。
「何それ。信じられない! 私の世界にも無責任な噂を流す奴はいたけど、こっちにもいるのね! あいつら! 八つ裂きにしても足りないぐらい憎いわ!」
森の中で暮らし、人との交流がほとんどないエルフが街で活動をする。そんな生活を選択したエリーゼは、常に好奇の目にさらされていた。
事実無根の噂を流されて傷ついたことや危険にさらされたことも多く、そのため友人は作れず、ハンターとしてダンジョンを攻略するのに必要最低限の関係を維持することしかしなかった。
だからこそ、健人の気持ちは痛いほど分かり、自分が噂話で傷つけられたかのように怒っていた。
「そこまで怒ってくれるとは思わなかった。ありがとう。この件については自分の中で折り合いはついているし、大丈夫」
エリーの予想外の反応に驚きながらも、健人は気にしていないことをアピールして彼女を落ち着かせようとした。
「でも……!」
それでも納得のいかないエリーゼはさらに何かを言おうとしたが、ケントが優しく見つめていることに気づき、少しばかり落ち着いた。
「健人がそう言うのであれば、大丈夫なんだろうけど……」
見ず知らずの自分を養うだけではなく、特別視せずに接してくれている健人に恩を感じていたため、納得いかないといった表情はしていたが、エリーゼはしぶしぶ引き下がることにした。
「くぅー」
お互いが無言になった瞬間に、エリーゼのお腹が空腹を訴える、かわいらしい音が部屋に響き渡った。
「あ! あの! こ、これは……」
先ほどとは違う意味で、顔を真っ赤にしたエリーゼが両手を振って誤魔化そうとするが、健人の脳内には、先ほどのかわいらしい音がきっちりと刻み込まれ、笑みを浮かべていた。
「この話の続きはまた今度にして、ご飯を食べようか。多少は元気になったし作ってくるよ」
「大丈夫?」
健人は、怪訝な顔をしているエリーゼを安心させるために、ベッドから降りてその場で軽く飛び跳ねて、元気になったことをアピールした。
「本当に大丈夫だよ。その代わり、今日は消化の良い食べ物になるよ」
「ありがとう。お昼は食べてないから晩御飯が楽しみ!」
「お昼は食べなかったの? 遠慮しなくてよかったのに……」
健人はエリーゼが、「家主が寝ているのに勝手にものを使ってはいけないと」と考えて、お昼を抜いたと思っていたが実際は違っていた。
「……だって、使い方が分からないんだもん」
エリーゼは、顔を横に向けて頬を膨らませていた。
異世界ではついぞ、心を開いて話せる友人を作ることができなかった彼女にとって、他人に弱みを見せるような子供っぽいしぐさをしてしまったことに自分自身で驚きながらも、同時に誰かに頼れることの安心感も感じていた。
「今度、道具の使い方とこの世界の料理を教えるから機嫌を直してくれ」
彼女らしくない子供っぽいしぐさに、意外な一面を発見したと驚いた健人だったが、それもまた「彼女らしさなのだろう」とすぐに考えを改め、笑みをこぼしながらキッチンに向けて歩き出した。
少しづつだが、でも確かに、お互いのことを信頼し、親友とも言える仲になりつつあった。
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