第64話 助太刀

 葵は、先ほどから片時も離れずに菖蒲のそばに浮かんでいる透明な球体を見遣った。不思議なものだったが、目立った動きがないのであまり気に留めていなかったが、そんな代物だったとは思いもしなかった。

 葵は火の神の言葉にうなずく。


「わかった。あれを壊せばいいんだな」


 葵はすぐに行動に移した。火の神は葵が動くとともに、すっと錫杖の中へ戻る。


 葵は菖蒲を攻撃するように見せかけ、宝珠に狙いを定めた。しかし視線の動きを菖蒲に気取られたらしい。


「そうはさせん」


 彼女はそう言い放つと、指笛を吹いて夕星に合図を送った。

 葵の進路に夕星が立ちはだかる。


「邪魔だ、どけ」


 こんなところで足止めを食らうわけにはいかない。葵は叫ぶと、錫杖に力を込めた。神通力を使い錫杖に風の力をまとわせる。風は錫杖に宿る火の神の力と交わると、これまで葵が感じたことのないほどの力をほとばしらせた。


 振り下ろされた夕星の角をかいくぐり、葵は勢いを殺さずに錫杖を大上段に振り上げる。そのまま吸い込まれるようにして夕星の脳天に振り下ろした。夕星の頭が屋根にめり込む。衝撃で、夕星が立っていた屋根の部分が陥没する。屋根は大穴を開け、夕星は屋根を支えていた梁や瓦ごと建物の内部へ飲み込まれた。


 屋根に空いた大穴を飛び越え、葵はもう一度球へ狙いをつける。しかし、菖蒲がそう簡単に宝珠へ近づけさせてはくれない。


 再び斬撃の嵐に襲われ、葵は防御や回避に専念せざるを得なくなる。


 龍神の牙は、どんどん本来の力を取り戻していっているのだろう。また斬撃の数と威力が増している。さっきまでは斬撃の隙をついたり錫杖で弾いたりして、なんとか菖蒲に接近できていたが、今ではそれが簡単にできなくなってしまっている。このままでは埒があかない。


 その時葵は、菖蒲の背後から誰かが器用に屋根をつたってこちらに向かってきているのに気がついた。見慣れた紺染の旅装束。京介だ。水の龍は九尾に任せ、こちらに救援に駆けつけてくれたのだろうか。


『少年!気を抜くな!』


 耳元で鋭く声をあげられ、一瞬京介の姿に気を取られていた葵は、すぐ目の前まで斬撃が迫っていることにやっと気がついた。錫杖を振るう手が一歩遅れる。火の神が先ほどのように葵を守ろうと錫杖から出てこようとしているのがわかったが、多分それも間に合わないだろう。


 物事がひどくゆっくり見えた。時が止まっているのではないかと錯覚してしまうほどに。京介がこちらに走り寄る様。菖蒲の表情。しかしそれは、目前まで迫ってきた斬撃の放つ光でやがて見えなくなる。


 そしてゆっくり流れていた時間が、突然現実の速度を取り戻した。

 呆然と目を見開いていた葵の視界の外から、何か大きなものが横殴りに突っ込んできたのだ。斬撃はそれに当たって砕けた。一瞬だけ葵の盾となったそれは、そのまま真っ直ぐに飛んでいき、屋根に突き刺さって止まった。静止して初めてわかったのだが、その物体の正体は巨大な鉄扇だった。


 一瞬何が起こったのやら思考速度が追いつかなかったが、おかげで助かったことだけはすぐにわかった。巨大鉄扇より一歩遅れて出てきた火の神は、後続して放たれていた斬撃から、その身を盾にして葵を守る。攻撃を受け続ければ自分も消滅してしまうと言っていた火の神の言葉が頭をよぎったが、この様子だとまだ大丈夫そうだ。だがギリギリの妥協なのかもしれない。それを考えると、本当に頭が下がる思いだ。最大限の感謝の心を伝えたかったが、結局口をついて出てきたのは、「ありがとう」というありきたりな言葉だけだった。

 だが火の神は葵の感謝の意を無視してそっけなく答える。


『一瞬の油断が命取りだ。今のは私にではなく、鉄扇を投げた人物に感謝するのだな』


 火の神の言葉に、そういえば巨大鉄扇を投げて寄越した人物はだれなのだろうと葵は疑問に思った。

 その時、葵へ意識を向けていた菖蒲の虚を突くような形で、彼女の左右から二人の人物が躍り掛かった。一人はもちろん京介。そしてもう一人は、風神丸だ。


 だが、菖蒲は難なく右から来た風神丸の刀を右手の龍神の牙で受け止め、左から来た京介の術を、左手で展開した結界でしのいだ。彼女の剣術や陰陽術の腕前の確かさ以上に、恐ろしい察知力だ。ひょっとすると龍神の牙の力の影響でもあるのだろうか。


 二人の攻撃を受け止め、逆に弾き返した菖蒲は満足そうに笑った。


「何人でこようと、もはや私とこの龍神の牙は止められんよ」


「それはどうかね」


 態勢を整えた風神丸は、右手のひらを広げて前に掲げた。すると、屋根に

突き刺さっていた鉄扇が、見えない手に引っ張られるようにして屋根から離れた。それから、弦から放たれた矢のような速度で菖蒲に突っ込んでいく。


 菖蒲は龍神の牙から斬撃を飛ばして攻撃したが、巨大鉄扇は金属音を響かせてそれを弾いた。たまらず菖蒲は避ける。


 彼女を仕留め損ねた鉄扇は、そのまま真っ直ぐに風神丸の元へ飛んで行った。風神丸は右手で鉄扇の要を掴み、どんと自分の足元へつき立てる。


「さあ、第二幕の幕開けだ」


 葵、京介、風神丸の三人に囲まれた菖蒲だったが、彼女の顔に焦りや恐怖といった表情はない。よほど龍神の牙の力に自信があるのだろう。確かに、龍神の牙の力は強大で計り知れない。もう全盛期の力を取り戻したのか、それともまだまだ全盛期には程遠く、これからもどんどん力を増していくのか、それすらもわからない。だが、今度は一人ではない。

 葵は京介と風神丸へ叫んだ。


「龍神の牙は、そこで宙に浮いている球から力を供給しているらしい。まずはあれを壊さないと、牙を鎮めることはできない」


「なるほど」


「わかった」


 二人は頷くと、手にそれぞれの獲物を持ち、菖蒲へ突っ込んでいった。葵も錫杖を握りしめて、二人にならう。


「全く、命知らずな奴らだ」


 菖蒲は呆れたように自分へ向かってくる三人を一瞥すると、氷のような冷たい表情で剣を構えた。

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