第46話 梓の弓

 「立派なことだ」


 沙羅が言い終えると、いつの間にか葵の隣で一緒になって話を聞いていた風神丸が、涙ぐみながら手を打ち鳴らした。


「何なら俺自ら、沙羅ちゃんの武器選びを手伝ってあげよう。やっぱり女の子なら、護身用の武器と言ったら懐剣かな」


「それはもう持ってる」


「あれ」


 風神丸は大袈裟にずっこけかける。


「じゃあ、改めて武器買わなくてもいいんじゃないの。」


 沙羅はそれにツンとして答える。


「私は懐剣の扱いは苦手なの。というか、経験上どうも刀全般が向いてないみたいで。でも、弓矢ならそこそこ得意よ。実戦で使ったことはないけれど」


 それで弓矢の並んだ棚を見ていたのか、と葵は内心納得する。だが、護身用に弓矢は向かないだろうと思った。確かに弓矢は、離れた場所から敵を狙えるため、自分が負傷する危険性は少ない。しかし至近距離でとっさに襲われた時、弓矢では敵の攻撃に対応することができない。やはり風神丸の言う通り、護身用には刀が有利だ。そのことを沙羅に伝えてみたが、沙羅は「弓矢がいい」と意見を譲らなかった。


「弓矢なら、狩猟用にも使えるでしょう。食料が尽きて、食べ物を買うお金もない時、弓矢があれば何かと便利でしょうし。ね?」


 兎にも角にも、沙羅は弓矢が何としても欲しいようだった。

 ハナから葵は彼女が武器を買うことに反対するつもりは特段なかったので、そこまで本人が欲しいと言っているものを止める理由もなかった。


「じゃあ、弓矢にしよう。俺も一緒に選ぶから」


 沙羅の隣に並び、葵は弓矢が並ぶ一角を眺め始める。

 風神丸も「それさっき俺の言ったセリフなんだけどなあ」と言いながらも、葵の隣に立った。

 すると、三人の会話をそれとなく聞いていたのか、武器屋の店主が三人の前にそそくさと出てきた。


「お客さん、何か良いのお探しですかいにゃあ?」


 そう話しかけてきた店主は、尾が二股に分かれた猫のあやかしだった。猫又という類のあやかしだろうか。大きさは普通の猫と変わらないが、人間のように着物を着て二本足で立っている。


 沙羅は店主の姿を見とめると、視線を合わせるためしゃがみ込んだ。


「あら猫さん。私にぴったりの弓矢が欲しいの。何か良いものあるかしら?」


 沙羅にそう言われると、店主はぴょんと商品を陳列してある台座の上へ飛び乗った。

 その店主へ、風神丸が「おい」と声をかける。


「安いのを騙して高く売るつけるのはよせよ」


 風神丸の言葉に、店主は「にゃ?」と振り向いた。すると、金色の目を大きく見開く。


「やや、風神丸殿でしたか。安心してくださいにゃ。あなた様のお連れの方に、そんなことはしませんよ」


「ならいい」


(じゃあ普段はやってるんだな……。)


 そんな二人のやり取りを傍観しながら、葵は心中つぶやいた。


 猫の店主は、壁にかけられている幾つかの弓を、壁に突き刺すように取り付けられた板を飛び移りながら、器用に下へ降ろしてきてくれた。


「お嬢さんなら、このへんの弓が扱いやすいでしょう。小さい軽めの弓ですから」


 確かに、店主が持ってきてくれた弓はどれも小振りのものばかりだった。沙羅は適当な弓を手に持って、しげしげと眺める。


「よろしければ、女性用に重さも軽くした長弓も持ってきましょうかにゃ?」


「ええ、そうして」


 店主が長弓を取りに行っている間、沙羅はしきりに手に持った弓の弦を弾いたり、構えをとってみたりしていた。


「弓矢を使ったことがあるって言ってたけど、その時使ってた弓矢はどんなだったんだ?」


 葵が尋ねると、沙羅は「これよりは大きくて長い弓だったわ」と答えた。


「確か、あずさの木で作られていたの。……そう、ちょうどあれに似てたわ」


 話している途中、沙羅は大きく目を見開くと、少し離れたところに大切そうに置かれてある弓を指差した。それにつられて葵と風神丸も振り向く。長い弓で、長さは七尺(約二百センチ)ほどあるだろうか。他の弓とは明らかに扱いが違うことが、一目見てすぐにわかる。他の弓が棚や壁に一緒くたになって陳列されている中、その弓だけが白布を敷いた台の上に丁重に乗せられていた。


「見るからに高そうだ」


 その弓を見て風神丸は目を眇める。すると背後から、いつの間にか戻ってきていたらしい店主の声が聞こえてきた。


「それは非売品ですにゃ」


「非売品?」


「ええ」


 店主は沙羅のために持ってきていた長弓を床に下ろすと、皆の注目を浴びていた弓を指し示した。


「それはあやかしに扱える代物じゃございません。でも、珍しいから展示品としてここに置いてあるんですにゃ」


「どうしてあやかしには扱えないの?」


 沙羅のもっともな疑問に、店主は「そりゃあ……」と目を細めると前足でヒゲを撫でた。


「巫女や霊力の強い人間が扱うような特別な弓ですからにゃあ。あやかしが使うわけにも参りませんて」


「……触れても構わない?」


 遠慮がちに沙羅は尋ねた。その言葉に店主は逡巡している様子を見せたが、風神丸がわざとらしく咳をして流し目をよこしてきたので、堪忍したように「どうぞ」と了承した。


 店主の許可を得た沙羅は、そっとその弓を持ち上げてみた。思ったより重く感じたが、不思議と手によく馴染む感じがした。弓の反り具合も美しく、沙羅は一目でこの弓を気に入った。


「私、この弓がいいわ」


「へ?」


 沙羅の言葉に、店主は間の抜けた声をあげた。


「この弓が欲しいと言っているの」


 再度繰り返して言う沙羅に、店主は「いや、しかしそれは先程も言ったように非売品ですにゃ」と慌てて言う。しかし沙羅は全く自分の意見を譲る気持ちはないようだ。


「これ、あやかしには扱えないから非売品にしてあるんでしょう?でも、私は人間よ。それに、巫女の経験もある。私にならきっと扱える」 


「ううむ」


 店主は沙羅にまっすぐな目で見据えられ、腕を組んでしばし考え込んだ。あやかしには扱えない代物であっても、珍しいものであることに変わりはない。この娘に渡して良いものか、踏ん切りがつかないのだ。すると、「あんた」という声と共に、どこからともなくもう一匹猫のあやかしが現れた。


「たま」


 店主にたまと呼ばれたその美しい白い毛並みの雌猫は、店主のそばへ来ると諭すように言葉を続けた。


「その子におやりよ。どうせその弓をここに置いてたって、ただの飾りにしかならないんだから。扱える子に譲った方が、その弓のためってもんじゃないのかい。それに……」


 雌猫はまん丸の瞳で沙羅の顔を見つめた。


「あんた、さっき巫女の経験があるって言ってたね。なら、その弓はあんたにぴったりだと思うよ。その弓は梓という木で作られたものでね、霊力の強い人間が持てば、その力をさらに引き出してくれるものなんだ。」


(梓)


 事の成り行きを黙って見ていた葵は、店主の女房らしき雌猫が放った単語を頭の中で繰り返した。確か、さっき沙羅が言っていた。昔自分が使っていた弓は、確か梓の木でできていたと。


 雌猫は自分の旦那の方へ目を向けると、「ほら」と促した。


「あんたも、今私の言ったことくらいわかってただろう。何をそんなに迷ってんだい」


 女房に睨まれ、店主は「はあ」とため息をついた。


「お前に言われちゃあしょうがないにゃあ。ここじゃ珍しい一品で、客寄せにもなってたから本当は手放したくにゃいんじゃが……。ええよ。持って行きな」


 案外あっさり「ええよ」と言われ、拍子抜けした沙羅は「え、本当にいいの」と目を丸くさせる。そんな沙羅に、店主はぞんざいに前足を振る。


「ああ。ええよ。それに、さっきから風神丸殿が目であっしを睨んでくるし……」


「じゃあ、この弓いただくわね。あ……、お代金はいくらかしら?」


「非売品じゃから代金は払わんでもいいよ」


 奥さんと風神丸に睨みをきかされていた店主は、ちょっぴり残念そうに言った。そんな店主の言葉に沙羅は「まあ。太っ腹」と口を動かす。懐具合に一抹の不安を抱いていたらしい沙羅は、嬉しそうだった。


「ありがとう」


 店主とその奥方、二匹の猫にそう告げた沙羅を先頭に、葵たちは武器屋を後にした。



「本当にくれるとは思わなかったわ。あの猫の奥さんのおかげよね」


 ついさっき手に入れたばかりの弓を手に持った沙羅は、はしゃぎ気味に言った。


「その弓はあんたにぴったりだと思うよ、だって。私が元巫女だったからそう言ってくれたのかしら」


「いや、それだけじゃないと思う。」


 葵が言うと、沙羅は小首を傾げる。


「他に何か理由があったの?」


「たぶん、あの奥さんは沙羅の霊力がひときわ高いことを見抜いたんじゃないか。」


 葵には、巫女などの一部の人間が持つとされる神秘的な力、霊力のことはよくわからない。だが、久渡平で沙羅の魂鎮めを見た後では、あの時沙羅の見せたような力が霊力と呼ばれるものなのではないかと葵は思っていた。そして、その力が並外れて沙羅は強いのだろうということも。


「私の霊力を?そういうのって、パッと見てわかるもの?」


 その沙羅の質問には、葵も「さあ」としか答えざるを得ない。だが代わりに風神丸が答えてくれた。


「わかる奴にはわかるらしい。さっきの武器屋の奥さんは、そういうのをよく感じ取れる体質だって、店主が話すのを聞いたことがある」


「へえ、そうだったんだ……」


 それから沙羅は、握りしめた弓を満足そうに眺めた。


「私、この弓をちゃんと使いこなせるようになるわ。最後に矢を射ったのは随分前だし、きっと体がなまってる。ちゃんと練習しないと」


「弓なら俺も心得がある。練習していて詰まったら、気軽に聞いてくれて構わない」


 葵が腕を組みながら少し遠慮がちに言うと、沙羅は「助かるわ」と花が咲いたような笑顔をこちらに向けてくれた。

 


 

 


 



 

 

 

 

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