止まらない波⑲

「いやあ、そいつは困ったな」

「じゃあやっぱり、奥様は別物と?」

「ああ、そりゃあそうだ。俺ァこの通り、神様でも聖人でもなんでもねえ。いつも一人の悩める人間の男なのさ。だからな、チェカ。俺ァそん時になったら、俺の命に代えても自分が愛した女の命は守る」

 チェカは唖然とした。まさか、過去の戦乱の英雄がここまで言い切ったことに。

「で、では……ハザマ教官。もし、もしですよ? この私が、今の教官のお言葉を真に受けて、嫉妬に駆られてあのような姿になってしまったら……?」

 二人は、巨木の葉の下に身を寄せ合い隠れている。互いの吐息が頬に感じられるほどに。

「へへっ、なに言ってやがる、チェカ。今のキミは、一時の熱情に駆られて自分というものを見失っちまっているだけだ。そりゃあ気持ちは嬉しいがね」

 言うや、正太郎は彼女の額に軽く口づけをする。それはそっと唇が触れるほどのものだったが、チェカのひやりとした肌の感覚が彼女の心の焦りをまじまじと表していた。

「怖いんです、私……」

「怖い?」

「ええ、自分が自分でなくなってしまうことに」

「へへっ、そりゃあこの俺も考えていることは一緒さ。まあ、ここに集まった連中の大概がそうだからな。だからキミも、こうやって俺たちと一緒に戦っている」

 自分の精神を制御コントロール出来ぬ者が、あのなれの果ての姿になってしまう。

「ええ、そうでも……。でも、私は教官のようには生きられません。しかし、教官は身も心もお強い方だから、そうやって余裕でいらっしゃる。けれど……」

「そうじゃねえ、そうじゃねえんだよ、チェカ。そんなんじゃねえんだよ。俺ァ、キミが思うほどそんなに強かねえし、余裕なんかも持ち合わせちゃあいねえ」

「でも、そんなこと……」

「いや、そんなことがあるのさ。一見、キミらからそう見えるのだろうけどよ。まあ、言うなればこういうことさ。この俺ァな、余裕そうに演じているだけなんだ。みんなの為に、余裕綽々の演技をして、堂々としているところを見せているだけなんだ。だってそうだろ? この俺がそうしねえと、キミら俺の後を付いてきた連中が、あたふたして困っちまうんだからな」

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