フォール・アシッド・オー80
小紋は、兄春馬の背中が見ない間に大きくなっていたことを知った。この兄は普段は天然者であるとも、考えていることだけはきちんと考えている。そして、それはいかにも父大膳の血を引き継ぐものであることを悟った。
「なあ、小紋よ。私はもう一度、あの組織――フォール・アシッド・オーに素知らぬ顔で乗り込んでみようと思う。それでお前は、これからどうする?」
「え、何だって!? それどういうこと? そんなの駄目だよ、春馬兄さん。だって、兄さんはもうあの女を裏切ったも同然じゃない!? そんなの危険だよ!!」
「ああ、確かにお前の言う通り、それは危険な行為だ。しかし、だからこそ乗り込みたいのだ。そして、私なりに彼女を説得したいのだ」
「説得?」
「ああ……。彼女はお前たちが思うほど強い女性ではない。今まで付き合ってきた女性の中でも実に繊細で脆い部分がある女なのだ。そんな彼女だけに、まだ説得するだけの隙間は残されている」
「だ、だけど……」
「良いか、小紋。何度も言うが、私はお前たちのように腕に覚えがない。お前の師匠である羽間正太郎のように取り入って受け入れられるほどの特殊な技能もない。しかし、私はこう考える。こういった場合、これ以上戦禍を拡大させぬには力だけが全てではない。交渉ごとも大事なのだ。今の私に出来ることはそれしか見当たらないのだ。もし、私がこのタイミングでやらなければ、益々彼女の憎悪は膨れ上がる。それは自分の意思のみならず、周囲の身勝手な憎悪まで飲み込んでな。彼女は根は優しい女なのだ。だが、どこかでボタンを掛け違えてしまったのだ。私はそんな彼女を救いたいのだ――」
「もしかして……春馬兄さん。ヴィクトリアさんのことを……」
「それは私にも分からん。しかし、もう一度会ってそれを確かめたいのだ。この私の胸の中にあるものの正体を……」
「分かった、兄さん。頑張って。僕には僕の選択があるように、兄さんは兄さんの人生の選択があるんだね。だから僕はこれ以上何も言わないよ。僕が羽間さんを求めてあの世界に渡ったように、兄さんも危険を冒してまであの人に会いに行くんだね」
「ああ、私はようやく自分自身に与えられた何かを見つけられたのかもしれん……」
兄春馬はそう言って小紋に別れを告げた。
これが今生の別れとなるかもしれない。これで二度と生きた顔を拝めるチャンスに巡り合えないかもしれない。
だが、その兄春馬の背中を目で追えば追うほど、清々しい気持ちになって行く小紋なのであった。
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