青い世界の赤い⑳


 一方、小紋はほくそ笑んでいた。それはクハドの見立てた通りである。

 彼女は、こんな追い詰められた状況でありながら、まるで難解なパズルゲームでも解いてゆくような快感の渦にその身を委ねていたのだ。

「なんだかこうしていると、あっちの世界で羽間さんに沢山のことを教わっていた頃のことを思い出しちゃうなあ」

 小紋が、羽間正太郎という人物に憧れて、とても危険な世界ヴェルデムンドに無理矢理移住したことは、先にも語った。

 実の親である鳴子沢大膳の反対するのも押し切り、努力の積み重ねでヴェルデムンド新政府が管轄する発明取締局に入局したのは、かれこれ一年以上も前の話である。

 そのころの小紋は、父大膳が従者としててがってくれたアンドロイド、マリダ・ミル・クラルインのお陰で何とか命拾いをする毎日であった。

 だが、それを善しとしなかった彼女は、まるで押しかけ女房ならぬ、押しかけ弟子のような形で正太郎に師事し、あの世界での生き方や心構え。それに、より実践的な戦闘訓練などを習得していった。

 小紋は、この小さな体でありながら、取締局のハードな任務の傍らに正太郎の特訓を受けていた。しかし、彼女はそれを一度も辛いことだとは思わなかった。

(だって、羽間さんとずっと一緒にいられるんだもんね。大変は大変だったけど、あの頃は毎日が楽しくてしょうがなかったなあ……)

 彼女は、何も憧れの存在である正太郎と一緒に居られることだけが嬉しかったわけではない。彼女は、正太郎のその独自性のある思考パターンや行動原理、さらには他の人物には見ることが出来ない感覚的な部分に惚れ込んでいた。

 それが、いにしえより黄金の円月輪に伝わる〝三心映操の法術〟であることなど知る由も無かったのだが。

 それはさておき。

 そんな頃の楽しかった特訓の一部始終を思い起こすと、彼女の頬にことさら笑みがこぼれてしまう。

「さあ、ここで質問だ、小紋。お前がもし、野生の虎に追いかけられる野ウサギだとして、虎は余裕しゃくしゃくでお前を追い駆けて来ると思うか?」

「うーん、それは難しい質問だね、羽間さん。だって、虎は体も大きいし、力も強いから、野ウサギよりは余裕あるんじゃないかなあ」

「まあ、そういう見方もあるわな。しかしな、小紋。虎も野ウサギが食えなければ飯にありつけん。つまりだな、虎の方もかなり必死なんだ。……例えは変わるが、弱い者いじめをする者がいたとして、いじめを受ける方とどっちが不利かは一目瞭然だな」

「うん、それはそのまんま、いじめをする方が立場上有利だよね」

「しかしな、小紋。本当の意味での第三者の視点からそれを見れば、その両者というのは同じ土俵の上に居るプレイヤーに過ぎん。言わば、同線上の価値観に囚われた踊り手ってなわけだ。ちょっと冷たく聞こえるかもしれねえが、良いも悪いも、その同線上の中だけの話ってことになる。つまり……」

「つまり?」

「ああ、つまりだな。実は裏を返せば、弱い者いじめをする方も、その同線上の価値観の恐怖に震える野ウサギに過ぎねえってことさ」

 正太郎は、実技訓練の合間に、そんな押し問答のようなことを逐一話してくれた。それは、戦略家にとって初歩的な内容であったものの、実に分かり易い話であった。

(そうなんだよね。羽間さんは、こういった時こそ相手を洞察することが重要だ、って言ってたよね。追い詰めたという感情も追い詰められたという感情も、それは互いに勝手に思い込もうとしている妄想なんだって。だから、リバーシゲームみたいに、白と黒とが急激に入れ替わっちゃうことだって無くはないんだって……)




 

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