終活って言葉は嫌いだが

 なんでも「~活」とつける造語は、正直好きじゃない。そう思う私は古い人間なのだろうけど。

 流行りに乗ってる訳ではないけど、私とダーサンは日々、終活と取れる話題で会話をしています。


 私達は晩婚で子供は居ません、と違う章にもチラッと書きました。

 更に、ダーサンの妹も晩婚で子供無し、私の兄も晩婚で子供無し。両家とも親戚付き合いが薄い、というか付き合いたくない──という状況なので、必然的に、自分達の始末は自分達でつけにゃならん、となります。


 死ぬって、大変なんです。


 ダーサンの両親を看取った時、死後の手続きやら葬儀やら相続やら、労力は相当かかりました。(金銭的にも。)

 そう、人間は野垂れ死んで「はい、さよなら」なんていかないのですよ。

 いやぁ、子供時代に自殺してたら両親にえらい大変な迷惑をかけたな、いろんな面で、と思った私です。

 死んだ後のことなんて考えないですからね、普通は。

 話が脱線しました。


 我が家は元農家な為、田畑があります。農家造りの広い敷地に納屋、倉庫と家屋があります。

 水田は親戚が請け負って稲作をしている現状ですが、高齢化でまもなく農家を引退するそうで、その後の事を考えなければいけません。

 他の誰かに依頼するか、売却してしまうか。

 私達がまだ30代で小さな子供が居るのであれば、農地も役には立つでしょう。しかし、私達はそう遠くない未来、確実に広い農地敷地の管理が無理になります。

 売却を視野に入れて、生活規模を小さくしていく必要があるのです。


 死ぬ準備をする。

 簡単なようで厄介な現実を、几帳面なダーサンはパソコンで一覧表にしています。


 何歳頃には田畑を売却、何歳頃には家屋敷を売却してアパートに住む。

 墓守りが絶えるのだから墓仕舞いもして、遺骨は市営の共同墓地に移したい。自分の死後、私が死んだ後の火葬や埋葬を誰かに頼みたいなど。

 いや、私のことは心配は要らないよ(どうとでも頼めるはずだから)と言っても、真面目に計画を立てています。

 

 埋葬されるまで、きっちり見定めて生きていくというのも変ですが、ある程度の年齢になったら、身仕舞いを考えるのは大切です。


 私の父は何もしてないどころか、あれもこれもと散らかし放題にして突然、脳梗塞になりました。

 命はとりとめ、四肢の麻痺もほぼありませんが、脳のダメージは高く高次脳機能障害でほぼ廃人です。現在は心療内科病院に入院中です。

 片付けなきゃいけないこと全部を丸投げされた私。過労と心労による心臓発作で、私が先に死にかけました。


 やはり、立つ鳥後を濁さず、という気持ちで死を見据えた身仕舞いをすることは、すっごい大事なのだとつくづく思った次第です。

 終活の宣伝じゃないですよ。(苦笑)

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