グラスに入ったレモネード

♢ ♢ ♢




古めかしい木製の趣のある扉を開ければつけられた鈴が、“からんからん”と音を立てる。

扉を開くと、アンティーク調の家具が置かれ、趣のあるシャンデリアが店内をほんのり明るく照らしていた。室内に香るのは、コーヒーのいい香り。


そして、銀髪をオールバックにまとめ、黒いエプロン姿に、眼鏡をかけた50代ほどの男性が「いらっしゃいませ」と低めの声で迎え入れてくれる。


「バンボラさん、久しぶりです」

「お久しぶりですね、お嬢さん」


あの日と同じように穏やかにバンボラさんは微笑んだ。


「“ハル”も連れてきました」


後ろに引き連れてきたハルのために、さっと脇に避けて紹介すれば「ハル……素敵な名前をつけてもらいましたね」とハルを見つめた。


ハルはというと、それに「うん!」と嬉しそうに答えた。なぜだろう。まるで主人を自慢する犬のようだ。しっぽがゆらゆらと揺れている気がする。

「ここで立ち話もなんです、中におかけください」


バンボラさんは、手のひらを上に向け、奥のテーブルを指し示した。



♢ ♢ ♢




先日私が座った席に通され、同じ椅子に腰かける。周りには、黄色いゼラニウムの花。甘い香りが立ち込める。前回と違う点はというとその対面にハルが腰かけた点だ。目が合うと柔らかく微笑み返してきた。趣のある純喫茶の店内に、微笑みながら腰かけるハル。その姿はまるで1枚の絵のようだ。


そこに“からん”と氷が入ったグラスが私の前に1つ置かれた。店内に流れる洋楽がレトロな雰囲気を醸し出していた。


「ありがとうございます」

「いえいえ」


そういってバンボラさんは目を細める。


「ハルとの同居生活はどうですか?」

「マスターはね、俺が作った料理を本当に美味しそうに食べるんだ!」


バンボラさんの質問に答えたのはハルだ。ハルの言葉に、思わずかぁと顔が熱くなる。


「へぇ、そうなんですか?」

「美味しそうに食べるマスターを見るのが、俺は楽しみなんだ。だからね、マスターと同居できて俺は幸せだよ」

「ちょっと、ハル!」

「だって、本当だもん!」


そんな私とハルとのやりとりに、バンボラさんは「それは何よりです」と笑った。熱くなった頬をどうにか覚ましていると、バンボラさんは微笑んで私を見た。


「やはり私の見込んだ通りですね。あなたなら、ハルを大切にしてくれると思っていました」

「そんな――……。私こそ、ハルにはいつもよくしてもらってて……」

「例えば?」


バンボラさんは興味深そうに聞いてきた。


「さっきもハルが言っていましたが、毎食料理を作ってくれるんです。料理はおいしいし、毎朝おいしいコーヒーを入れてくれます。バンボラさん仕込みなんですよね?」

「えぇ、そうですよ。ちゃんと作れているんですね」

「はい。お恥ずかしい話ですが、前までは、レトルトかカップラーメンが主食だったので、ハルが来てくれてからは毎食違ったご飯が出てきて、毎回楽しみなんです」

「へぇ」

「それに、家事とかも私がするよっていうのに、自分がするから休んでいいって。買い物に行ったときとかもいつも荷物を持ってくれるんです。」

「そうですか」

「今日だって、うたた寝していた私にカーディガンをかけてくれました。ハルは優しくて、本当に私には――……」


“もったいないくらいで”そう言いかけて私は止まる。なぜなら、対面に座っているハルが深く深く俯いているからだ。何かハルの気が障ることを言ってしまったのかと心配で顔を覗き込もうとすると


「ちょっと、マスター、駄目だよ。今は見ちゃ」


片手で自分の顔を覆い、もう片方の手を私の顔の前でひらひらと手を振る。


「何で?」

「何でも!」


あまつさえ何でもないからというふうにそっぽを向いてしまった。どうしたものだろうかと思っていると、どこかおかしそうにバンボラさんはいう。


「ハルは照れてるんですよ」

「え?」

「バンボラ、言わないでよ!!」

「ふふふ……」

「本当だ、ハル、顔が赤い……」

「マスター、見ちゃ駄目だって!!」


バンボラさんの言葉に、思わずというように顔をあげてハルはこちらを見た。そして、しまったという表情を浮かべた。見れば普段は透き通るように白い肌が、ほんのりと赤い。


「同居ドールの存在意義は主人に安らぎを与えることです。ですから、主人から褒められるとすごく嬉しいんですよ」

「そうなんですね」


そうなんだろうかとハルを見れば、そっぽを向いて頑なに私を見ようとしない。

普段私をストレートに褒めてくるのに、こういうのには弱いのか。


「じゃあ、今度からたくさん褒めるね」


そういって、じぃと見れば


「マスター、意地悪だ」


ハルは口をわずかに尖らして不満げにいう。そして、「まぁ、褒められるのは嬉しいけどさ」と小さく付け加える。


「ハルがこんなにも恥ずかしがるのが珍しくて」


いつもはハルの言葉に振り回されているのだ。たまにはこんな日もあっていいだろう。そんなことを思っていると


「あなたとハルの関係は、良好みたいですね」


私とハルのやりとりを見てかバンボラさんは私とハルを交互に見て


「それは、もう良好すぎるくらい」


そう付け加えた。私たちを見るバンボラさんの眼鏡の奥が一瞬悲しげ見えたのは気のせいだろうか。




♢ ♢ ♢





「本当、美味しかったー!」


目の前には綺麗に平らげられたお皿。バンボラさん特製オムレツ。ひき肉にたまねぎ、にんじんなど様々な具材が入り、ふわふわの卵で包まれていた。バンボラさん特製のトマトベースのソースをかければ口内が幸せで満たされる。今まで食べたどのお店のオムレツよりも美味しい。思わず笑顔になる。バンボラさんは、「それは何よりです」と言いながら、私が食べたお皿を持ち上げた。その様子を見ていれば、対面に座っているハルは割って入るように唐突に言い放った。


「……デザートは俺が作る」


少し不服そうなハルの声。まるで犬が好物を横取りされて腹を立てているような、そんな感じ。あれ?ハルってオムレツ好きなの?いや、でも人形だから食事はいらないっていっていたし、そもそも食事しているのみたことないし。そんなことを思っていれば


「マスター、何食べたい?」

「え?」


テーブル越しにずいっとこちらに顔を寄せてきた。なんで怒っているのかわからないが、有無を言わさせないその様子にメニュー表を見て、目に入ったものを答える。


「じゃ、じゃあ、パンケーキ」

「オッケー!バンボラ、俺が作っていいよね?」


ハルがバンボラさんに問いかけると、バンボラさんは「えぇ、大丈夫ですよ」と快諾して


「けれど、困りましたね。さっきのオムレツで、卵を切らしてしまって」


申し訳なさそうにそう付け加えた。


「じゃあ、俺が買ってくるよ。マスター、少し待っててもらえる?」

「え?大丈夫だけど」


ハルの言葉に私が縦に頷くと、バンボラさんは「では、ついでに」といってハルに手慣れた手つきで、ほかにいくつか食材を頼む。そんな様子を見ていれば、ハルはこちらを振り向いて


「バンボラよりも美味しいパンケーキ作るからね」


そう宣言した。おまけに片目をつぶって、さきほどの不服顔が嘘のように明るい。「楽しみにしてるね」というと、「任せて!」といってあっという間に扉から出ていき、店内には私とバンボラさんだけが残った。


「…………」


なんとなく手持ち無沙汰だ。バンボラさんは私が使った食器をカウンターで洗っていた。水道から水が流れる音が聞こえる。


「あの、バンボラさん」

「はい、なんでしょう?」


カウンターで洗っている彼の前の席に移動して尋ねた。


「……何かお手伝いすることはありますか?」

「お嬢さんはお客さまですからね、ゆっくりくつろいでいてください」

「……くつろぐ」


オウム返しに繰り返すとバンボラさんはくすりと笑って、流しに残っていた最後のグラスを綺麗に洗って脇にコトリと置いた。


「では、お嬢さん、私と二人きりでお話しませんか?」



♢ ♢ ♢




皿を拭き終えてレモンを浮かべたレモネードをバンボラさんは私の前に置く。レモンの甘酸っぱい香りが鼻をかすめた。そして、バンボラさんは、先ほどハルが座っていた私の対面に腰を下ろした。



時計の針の音が部屋中にカチコチと響き渡る。バンボラさんはということ、こちらの発言を待っているのか穏やかに笑っている。


「そういえば――……」


気が付けばそう口に出ていた。


「ハル以外に同居ドールはいないんですか?」


ここに来てから一つだけ気になっていたことがあった。前回訪れたときもそうだったが、バンボラさん以外この店で見たことがない。


他に同居ドールはいないのだろうか。以前ここに訪れた際、ショーケースの中にたくさんいたと思ったのだか。


「もちろんいますよ」


バンボラさんはあっさりと答える。じゃあ、たまたま私が来た時に会えなかっただけなのかと思っているとバンボラさんは私の思考を呼んだかのように、違いますよと一つ首を振って


「契約を交わさなければ、“彼ら”は人の世界に出てくることができません」


そう短く答えた。


「契約?」


月明かりに照らすというあのことだろうか。


「えぇ」


バンボラさんはそれに対して深く頷く。そして、おだやかな声で語り出す。


「主人となりえる人が現れた時にのみ、起こる奇跡……とでもいえばいいでしょうか?」

「奇跡……」

「以前言ったと思いますが、主人に安らぎを与えるのが存在です。つまり、自分が仕える主人に出会うまでは、主人以外の“人の前”には決して姿を現しません」

「それって――……」


何だろう?この違和感は。バンボラさんの言葉の中にわずかに疑問が湧いたのだが、どこに違和感を感じたのか、わからず言葉が止まる。そんな私にバンボラさんは静かにこう続けた。


「同居ドールは人形であって人形ではないもの。人形であって、人の心を持つもの……。言ってなれば、人間になりきれない人形……それが、同居ドールです」


なんとなくバンボラさんの言わんとすることはわかる。確かに、ただの人形だったならば動いたりすることはないし、ましてや話したり、笑ったりすることはない。


ハルは私と同じようで、まったく違う存在。頭ではわかっているが、なぜだか胸がもやっとした。


私は黙ってバンボラさんの低く優しい声に耳を傾ける。


「同居ドールには、人と同じように、喜んだり、怒ったり、悲しんだり、色々な感情があります。例えば、先ほどハルはお嬢さんが私の料理で笑顔になったのが悔しくて、デザートを作ると言い出しましたね」

「そうだったんですか?」


バンボラさんの言葉に思わず首を傾げた。それに、バンボラさんは、「えぇ」と頷く。


先ほどハルの行動を思い返してみる。『バンボラより美味しいパンケーキ』、確かに張り合っているように聞こえたが、そういうことかと今更ながらに納得する。


「同居ドールのすべての行動の原動力は、主人に安らぎを与えること。ひいては、主人に喜んでもらうことです」


私の嬉しそうに食べる表情が好きだといっていたハルを思い出す。


「つまり、同居ドールの行動原理はすべて主人に通じます。主人の表情、言動一つで喜んだり、怒ったり、悲しんだりするといことです」


バンボラさんは、言葉を切り、わずかに目を細めた。


「それって――……」


言いかけて思わず言葉に詰まった。


それはまるで、主人のためだけに同居ドールが存在しているかのようではないだろうか。


「お嬢さんは優しいですね」

「え?」

「顔に出ています。あなたは、ただの人形の同居ドールを一つの意思をもった人として扱ってくれているんですね」


ハルがあなたを慕う理由がわかりました、そう付け加えた。そして、ハルはお嬢さんにお仕えできて幸せですねとも続ける。


「ですが、そんなに悲観することもないのですよ」

「え?」

「同居ドールは、人形です。人と違ってたくさんの時を生きます。それはつまり、たくさんの主人たる人々に出会い、たくさんの安らぎを与えます」

「それで、同居ドールたちはいいんですか?」

「えぇ。同居ドールは人々が大切に想う心から生まれました。ですから、誰かを……ハルにとっては、お嬢さんを幸せにすることが、ハルにとって一番幸せなことなんですよ」

「そう……でしょうか」


バンボラさんは、えぇと頷く。


「出会った主人たちに安らぎを“同じように”与えていく。たくさんの主人に安らぎを与えることができる同居ドールは幸せですから」


そういってバンボラさんは、わずかに目を細めて


「ですが、その反面、人にとって当たり前の“ある感情”だけは絶対に理解できない」


言葉を続ける。


「“その感情”は、たくさんの時間を生き、たくさんの主人に仕える同居ドールはにとっては、邪魔なものですから」


その瞳が悲しそうに揺れているような気がして、それ以上は聞いてはいけないような気がして、私はそれ以上何も言えなかった。


けれど、バンボラさんが何を言いたいかはわかった。



人と同居ドール。


人は、自分のため、誰かのために喜び、悲しむ。

同居ドールは、主人のためだけに喜び、悲しむ。


人の命には限りがあり、同居ドールの命は限りない。


だからこそ、人はその一生の中で誰か“一人”を愛そうとする。

だからこそ、同居ドールは永い命の中で平等に主人“たち”を愛そうとする


永遠の時を生き、多くの主人に仕える同居ドールには、特別な誰かを作ることは無意味なこで、誰か一人を愛する感情だけは欠けている。


だから、契約の内容にあるのだ。

『主人』と『同居ドール』、それ以上の感情をもってはいけない。


これがあるのは、バンボラさんが以前言っていた生きる時間だけを指しているのだけではないのかもしれない。たとえ、主人から愛されようが、同居ドールにはそれに答える心がないのだ。

だからこそ、この契約を破れば、同居ドールは主人の安らぎを守るために主人の前からいなくなるしかなくなるのだ。


レモネードが入ったグラスに水滴が付着している。それが、つーと滴り落ちた。


ハルと私は、同居ドールと主人の関係。

それはレモネードのグラスについた雫のように、不安定で不確かなものなのかもしれない。


そう思うと胸がチクリと痛んだ。

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