仮面の下 8

            ☆


 ベランダで神谷愛にライバル宣言さられた後に待っていたのは小言だった。


 それは朝まで続いて最終的には俺の部屋にまで神谷愛が乗り込んできた。

 

 男の部屋に上がるのに躊躇いがないのか、はたまた俺を男として見ていないのか。


 やれ自覚が足りないだのもっと勉強しろだの。神谷愛の口はとにかく止まらなかった。普段は無口なくせにどうしてこういう眠いときに限って。


 まるで若い天野先生のようだった。


 日が昇ると神谷愛は俺を開放してくれたが、結局のところ一睡もできなかった。


 眠気は限界を超えて、たまに小さなおじさんが見えるようになってきた。


 ほら、今そこにもいてこっちに笑いかけてくれているよ。ははは。


 例え幻覚が見えていたとしても寝不足で会社を休むわけにはいかない。


 俺はフラフラとした足取りで電車に乗り込んだ。


 出社すると、神谷さんから仕事を言い渡される。


「今日は退勤まで動画サイトで、洋楽邦楽関係なく、色んなプロモーションビデオに目を通してもらいながら、感想を紙に書いてもらうよ」


 ニコニコとした顔で言われた一言に、俺は顔面蒼白になってしまう。


 じ、地獄だ。


 この状態で永遠と音楽なんて聞いてたら絶対に寝る。


 なんて弱音も言えず。


 神谷さんの執務室でパソコンを借り、ひたすらに動画を再生させては次に向かう作業を繰り返した。


 エナジードリンクは勿体無く買うことが出来ず会社で無料で提供されるコーヒーで気を紛らわせていた。


 ただ昼を回ると自然と瞼が降りてきて、挙句の果てはガムテープで両まぶたを固定して退勤まで凌いだ。


 色んなプロモーションビデオを見てきたが、記憶に残っているのは、おそらく個人でやっている、和服を着たレディースバンドくらいだった。


 動画自体は俺が言うのもなんだが、素人丸出しのものだった。


 ただ、肝心な音楽はロック調で女性達の見た目に似合わずかっこいい曲をやっていて、人気はまだまだのようだが、心に来るものはあった。


 音楽を聞いている途中で、袖浦から送られてくるお泊りしていた二人と一緒に、原宿を歩いている写真には癒されたが、神谷愛の顔が出てくる度に寝不足から殺意が沸いてきた。


 本来であれば日曜日に休みをもらっていてお母のいる病院に見舞いに行くはずだったのに、帰ってくるなり玄関で寝てしまい、気が付けば月曜日になっていた。丸一日寝てしまったのか。


 俺の体を覆うように毛布がかけられていて、頭の上に


『頑張って起こそうとしたんだけど、無理でした。先に行ってます。毛布は後で取りに行きます』


 という置き手紙が残されていた。この綺麗な字は袖浦だな。


 あいつの優しさが体に染み渡る前に、スマホで時刻を確認して慌てて準備をした。


 もう絶望的な時間ではあるがとにかく急がなければ、また天野先生につつかれる。


 やはりというか、当然というべきか。


 学園のアホみたいにでかい校門に着いたと同時にチャイムが鳴ってしまう。


 小言が確定したな。 


 トボトボと歩いて昇降口を抜けて教室の中に入る。


 全員の視線が集まり天野先生は眉を寄せて俺を睨みつけていた。


「遅刻だぞ」


「す、すみません……」


「まぁ、いい。説教は放課後だ。今日の朝のホームルームで重要な話がある。早く席に付け」


「はい……」


 俺は肩を落として窓側の一番後ろの席に座った。今日も長くなりそうだ。


 神谷愛は無表情でこちらを見ているが明らかに呆れている。田中はクスクスと俺を見て笑っている。絶対馬鹿にしてやがるな。


「水を差されてしまったが、早速話をするぞ」


 天野先生は咳払いをしてから話を始めた。


「さて、中間考査が終わり一息……とはいかんぞ。これより年に三回行われるアイドル科とマネージャー科の定例試験について説明する」


 俺は首をかしげてしまう。今、このタイミングでするのか。神谷愛の話では期末考査後という話だったが。


「試験内容は、『輝石学園生』のファン達によるアイドル科の研究生を対象としたネット上で人気投票だ」


 いきなり人気を競わせるってことか。


 こうなると袖浦はかなり不利になるな。


 ナイトレイは元々の人気があるし、星宮だってモデルをしていたらしいし、固定ファンはいるだろう。


 その他にもアイドル科には入学してくる前に芸能活動をしていた生徒が何人かいるんだとか。

 

 袖浦の知名度なんてほぼゼロだからどんなに実力があっても、そういったメンバーを相手にするのはなかなか難しいだろう。


「八月一日に『輝石学園生劇場』のステージにアイドル科の人間に立ってもらうことになっている」


 あのステージにか。聖地なんて呼ばれているらしいし袖浦だと緊張から身動きがとれなくなりそうで怖いな。


「持ち時間一人五分で、一人一人に自己PRを行う。それは世界中に配信され、視聴者はアイドル一人につき、一票の投票権を持たせることにしているぞ。アイドルのPR中にこの子を『輝石学園生』の正式なメンバーとして見たいと思えばボタン一つで投票できるようにしているからな」


 八月一日って夏休みど真ん中だ。アイドル科もマネージャー科も例え学園が休みであっても関係ないということか。


「なお、得票数トップのアイドルは正所属になり、マネージャー科の人間は、そのままマネージャーとしてアイドルの芸能活動を支えてもらう」


 これがこの科の最大の売り文句であったはずだ。在学中からホープスターの仕事が経験できる。ただ、学生一人に大切なアイドルのマネージメントを任せていいものなのだろうか。


「不安そうな顔をしているな。安心しろ。一応各学年毎にマネージャー科の卒業生がサポートに回ってもらうことになっている。心配はいらない。なお、順位が下から数えて一〇番以下の者については、アイドル科、マネージャー科どちらの人間も転科、もしくは退学の措置を行う」


 これにはさすがに教室がざわめいた。最初の試験でいきなり十組が脱落するのか。


 確率としては三分の一。倍率千倍の壁に比べれば高いものではないように見えるが、ここにいる人間は全員がそれを乗り越えてきた者。


 一筋縄ではいかないだろう。


「ここからが、お前らマネージャー科の人間にとって重要な話になる。なぜ二ヶ月も先の話を今しているかについての説明をしよう」


 そうだ。この話は期末考査が終わった辺りに話しても遅くはなかっただろう。


 今このタイミングでどうして話を聞かせてきたのか。


「お前たちはこの二ヶ月でパートナーの人気を上げるための売り出しを行ってもらう。SNSでアイドルを宣伝するもよし。動画を撮ってそれを上げるのもよし。とにかくアイドルの個性や特徴を把握してそいつに合った営業戦略を考え行動に移せ。上手く売り出すことが出来れば八月一日に行われる人気投票で有利に戦えるだろう」


 なるほどな。だからこんなに早くに説明を始めたのか。


 二ヶ月という時間を与えて、袖浦みたいに元々知名度もない奴にも、営業次第では不利にならないようにしてくれたんだな。


 そうなると、この試験はアイドルの能力も大切だが、もっとも重要なのはマネージャーの腕。


 入学してからの間、この学園でマネージャーとして勉強してきた、礼儀作法や企画書の作り方などを活かせってわけか。


 この試験はアイドルとマネージャー両方の力が合わさって初めて試験を突破出来るのだろう。


 この学園に来てからは袖浦にいいところを持ってからていたが、やっと俺にも活躍する場が回ってきたか。


 俺はみんなに見えないように拳を握り締めた。


「注意事項としては、売り出しの方法については必ず私の許可をもらうように。後は親の資金力を武器にした営業行為。または視聴者を金で雇い票を操作するなどと言った不正行為。違反した場合は理由の有無に関係なく転科、もしくは退学だ。それから、八月一日のステージに間に合わなかった際も獲得票数ゼロとして不合格にするから注意しろよ。話は以上だ。一限目の授業の準備をしろ」


 そう言うと天野先生は出席簿を持って教室を出て行った。


 ようやっと試験が始まるんだな。まだ二ヶ月先ではあるがもう戦いは始まっている。


 クラスも入学当初のような緊張感に包まれていた。ここにいるやつらは全員敵だ。それを思い出させてくれた。


 神谷愛に試験で負けないと宣言してから数日で天野先生から説明を受けるとは思ってもみなかった。


 その神谷愛は体操着の入った袋を持ってこちらを見ている。


 約束覚えているだろうな、って意味か。俺は軽く手を挙げてそれに答えた。


 俺の反応を見た神谷愛は納得したのか、後ろ髪の尻尾を小さく揺らしながら教室から出て更衣室へと向かった。


「さて、ついに僕が輝く時が来たみたいだね」


 田中がのそのそと俺の席にやってきた。相変わらずこいつは話すやつがいないのか。てか、また太ったか。ますます俺の顔から遠ざかっていくな。


「あー、お前って星宮と組んでたよな。じゃあ、モデルやってたし、それを売っていくのか?」


「どうして君がそれを知っているんだい?」


「いや……そのー……たまたまな」


 俺は非常階段での出来事を思い出して心苦しくなった。


 抱きつかれてパートナーになってくれと頼まれた、なんて言ったら田中は俺に殴りかかってくるかもしれない。


「まぁ、彼女は可愛いからね。調べてしまうのも無理はないよ。ただそんな茉莉奈まりなちゃんはいち早く僕に声をかけてくれてね。一目見た時からあなたをパートナーにしようと決めていたと言われたときは運命を感じたね」


 お前それ思い切り嘘言われているぞ。とも言えずに俺はただただ乾いた笑みを浮かべた。星宮は相変わらずしたたかなようだ。

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