輝石学園マネージャー科 2

 耳を突き刺すような寒さに耐えながら公園にやってきた。


 錆び付いた遊具がいくつか設置されている。最近は公園の遊具の撤去が目につくがここはまだそれが行われていないようだ。


 しかし、ここには人がおらず寂しげな雰囲気が包んでいた。


 地域の住民のいこいの場にはなり得なかったようだ。


 俺は公園を覆ってる林に足を踏み入れる。腐葉土ふようどの匂いが鼻についた。落ち葉を踏みしめながら林を抜けようとする。


 ザッザッと落ち葉を擦るような音が聞こえてきた。俺の足音とは違う。


 なにかが激しく動いているのか。


 俺は辺りを見回す。すると、一人の黒縁くろぶちの眼鏡をかけた少女がダンスを踊っていた。


 袖に手が隠れてしまうほど大きめなコートを着て激しく躍動やくどうしている。


 キレのある動きで次々とポーズを変えていく。


 寒さで真っ赤にした小さな膝の上から下着が見えそうになるのもお構いなしだ。


 俺を挑発するようにひらひらとスカートが舞う。


 俺は自然とそちらに目をやってしまいそうになる。


 だが、なんというか。


 彼女の顔から視線が外れない。


 周りの景色は全て真っ白になり俺の目には彼女だけが映る。


 全身から鳥肌が立ち、腹の中から熱いものが込上げてくる。


 ダンスは全然詳しくないが、見ていてとても楽しい気分にさせられる。


 まるで一流スポーツ選手のプレーを見ているかのようだ。完璧に魅了されている。


 段々とダンスに激しさがましてくる。


 すると、向かい風が俺の体に襲ってきたように背筋が伸びた。


 俺より確実に身長が低い彼女だが、今は俺より身長が大きいように錯覚する。


 今からなにかが始まる。俺は息を呑み思わず後ずさってしまう。


「え?」


 俺の足音に反応したのか少女が俺の顔を見た。


 さっきとは打って変わって凍りつく。黒目が大きな瞳から輝きがなくなる。


 ピクリともしなくなった彼女は、電池の切れたロボットのようだ。


 どうしたんだ急に。


 俺はとりあえずいいものを見せてもらったので拍手をする。出来れば最後まで見たかったな。その拍手に少女は目をぐるぐると回し始めた。


「い、いやぁぁぁぁ!」


 少女がパニックを起こして走り出した。


 肩まで伸びた黒い髪を揺らす。


 脱兎のごとくってこういう感じなんだろう。


 っと、勢いよく走り出したせいか足を滑らせてその場に転倒してしまう。


「だ、大丈夫かよ!」


 顔から盛大に倒れてしまった。


 俺は慌てて駆け寄った。怪我とかないだろうな。


 彼女の腕を持ち上げて立たせてやる。


 棒のような細い腕に自分とは違う異性らしさを感じてドきりとしてしまう。


 な、なに動揺してるんだよ。


 立ち上がった彼女は思ったより小さい。俺の胸の下くらいしか身長がない。


 さっき踊っていたときはもっと大きく感じたんだけど。


「す、すみません」


 彼女は顔を真っ赤にして、コートについた落ち葉を払った。


 所々に土の茶色が残ってしまっている。ああ、コートなんて高いのに汚しちまって。


「……」


 眼鏡の少女は一旦俺から距離を取ると黙ってしまった。気まずそうに俯いて俺の顔をみようともしない。


 なんか踊ってた時と印象が違うな。


 あの時はもっと活発で明るそうな奴に見えたけど。今はその正反対だ。


「あー。さっきのダンス凄かったな! 結構ダンス好きなのか?」


「え……い、いえ。そうでもないです……」


「す、好きじゃないのか?」


 おかしいな。好きじゃないのにあんなダンスが踊れるだろうか。


 好きでもないものが上手くなるとは思えない。


 それか元々彼女のセンスがずば抜けているのか。


「た、ただ、『輝石学園生』のダンスを踊るのは……好きです」


「輝石学園生? なんだそれ」


「き、輝石学園生を知らないんですか!? 世界は今、あの人たちで回っていると言っても過言じゃないのに!?」


 少女は途端に開けた距離を詰めてくる。


 両手を握り締めて背伸びをして俺の顔を覗き込んできた。


 先程までのおどおどした感じは消え、その鼻息は荒く、必死な感じが怖い。


「そういえば今日の電車の吊りで見かけたような」


「『輝石学園生』を知らないなんて人生損していますよ! この前なんて全米のオリコンチャートで一位になったんですよ!」


「……それって凄いのか?」


「なんでですか! 日本のアイドルグループじゃ誰も達成していない偉業ですよ!」


 目をらんらんと輝かせてぐいぐいと俺に迫る。


 思わず一歩二歩と後退してしまう。


「さ、さっき踊ってたのもその輝石学園生? のダンス?」


「はい! 輝石学園生の峯谷みねたにユリカさんの『アップアップ』っていうソロ曲のダンスです! この曲はとっても激しいダンスでカッコいいんですけど、しっかりと峯谷ユリカさんの可愛さも出せてる振り付けなんですよ! えっとー」


 どうやら鞄を持参していたようで、近くに置いてあったそれに向かう。


 すると、中を漁ってDVDらしきものを取り出した。


 そして俺にDVDを渡してくる。


 パッケージには数十人の少女の達だ。裏面を確認するとそこには定価が書かれている。


「三年前の文京ドームで行われた峯谷みねたにユリカさんが踊ったアップアップがやばいんです! ライブの途中で足を痛めてしまいながらも笑顔で踊りきったのがとにかく感動して――」


「はぁ!?」


「ど、どうかしましたか……?」


「これ、六千六百円もするのか!?」


「ライブDVDですし普通じゃないですか……?」


「いやいや! こんなディスクにそんな払える訳無いだろ! 一週間は生活できるお金だぞ! もったいないだろ! お米何キロ買えると思ってるんだ」


 六千六百円といえば、樋口一葉と野口英世に五百円硬貨一枚と百円硬貨一枚が必要だ。


 冗談じゃない。


 なんて高額なものを販売しているんだ。


「そんなことないですよ! むしろお買い得です! 彼女たちの可愛い姿がたった六千六百円で堪能できるんですから!」


「堪能している間に餓死するわ! たかがアイドルのDVDになんでこんな……」


 人の価値観は人それぞれだ。だが、いくらなんでも高すぎるだろ。


 とてもじゃないが俺のような小市民に買えるようなものではなかった。


「たかがじゃないです……」


 怒った声から真面目な声になる少女。


「このDVDに救われた人だっているんです。たかがとか言わないでください」


 真っ直ぐな彼女の瞳が俺を貫いた。


 そんな目ができるほど彼女にとってはこの『輝石学園生』というものは大切なんだろう。


 途端にバツが悪くなる。


 俺もバスケを『たかが』って言われたら嫌だよな。配慮が足りなかったな。


 ここは謝るか。


「……悪い」


「あ……こちらこそ勝手に熱くなってごめんなさい……」


 気不味い空気が流れる。


 この雰囲気を作ったのは俺だし流れを変えるような話題を振ろう。


「と、とにかく輝石学園生が好きで特に峯谷みねたにユリカが好きってことか」


「えっと……はい。私の憧れなんです……」


 と始めて彼女が俺と話していて笑ってくれる。


 その笑顔は素直でこっちが恥ずかしくなるようなものだった。


 でも、よかった。とりあえず空気を変えるのに成功したな。


「すみません。興味ない話に突き合わせてしまって」


「……いや、続けてくれよ」


「え?」


 輝石学園生の話をする彼女はとても生き生きしていた。


 見ているこっちが微笑ほほえましくなるほどに。


 それだけ真剣になれるアイドルっていうものに少しだけ興味が出てきた。


「は、はい!」


 一瞬戸惑ったような反応をするが、すぐに弾けるような笑顔を見せる。


「俺の名前は大元空おおもとそらな。よろしく」


「あ……! えっと……あの……! 私の名前は……袖浦芽衣そでうらめいって言います」


 慣れていないのかぎこちない自己紹介をされる。


 アイドルの話をしているときはあんなにスムーズに言葉が出ていたのにな。


 よっぽど輝石学園生というアイドルが好きなんだろう。


 そこから俺と袖浦は『輝石学園生』のについて時間を忘れて話をする。


 袖浦は本当に幸せそうに俺に語ってくれた。


 時折見せる袖浦の楽しげな顔は本当にそのアイドルグループを愛しているのが伝わってきた。


 俺もそんな彼女につられて思わず微笑みながら聞いてしまった。

 

 輝石学園生というのは世界的に人気なアーディストで二十年前から存在するらしい。


ホープスタープロダクションという超大手事務所が管理しているらしく、このアイドルグループに所属でき生き残れれば、引退してからも芸能界での成功は間違いなしなんだとか。


「輝石学園生って、ここの近くにある輝石学園のアイドル科の中等部と高等部の在学者とOBで構成されてるんですよ」


「ああ、だから輝石学園生って名前なのか」


「はい……ただ入学するのが難しいんです……毎年一万人を超える受験生が集まって募集枠の取り合いなんですよ」


「一万!? な、なんだその人数……」


「彼女たちに憧れているのは全国にたくさんいますから……その中でも合格できるのはたったの三十人だけなんです。合格してからも定期的にやる厳しい試験をクリアしなくちゃいけなくて、しかも正式な所属になるためには試験で一位にならなきゃいけない。一位にならないとずっと研究生って扱いで仕事もできません……しかも試験に合格できないと退学や転科しなくちゃいけなくてもう地獄らしくて……」


「い、一割……確かにやばいな」


 一割というと三人だけか。バスケのスタメンだって三十人いたとしても五人は選ばれる。それよりも大変ってことなのか。それは厳しいな。


「実は……その……私もそのアイドル科の受験生で……」


「え!?」


 袖浦は照れくさそうに見覚えのある受験票を取り出した。


 輝石学園の受験票だ。そこにはアイドル科と書かれている。


 アイドル科を受験するよりも驚いたのは袖浦が同い年という点だ。


 ぶかぶかなコートや見た目的に小学生から上がりたての中学校一年生に見えていた。


 人を見かけで判断してはいけないな。


 将来こいつはアイドルになる可能性があるのか。


 そういえばよく見ると可愛い顔をしていた。


 小柄な体格やくりくりとした目などが小動物っぽくて癒される。


「まぁ、私なんかが受かるとは到底思えないんですけどね……三分の二以上の人が落とされる書類選考を通っただけでも奇跡です」


 苦笑いを浮かべながら頬をかく袖浦。


「そうか? 意外といい線行くと思うけどな」


「あはは、お気遣いありがとうございます……でも無理ですよ……昨日のダンス審査だって失敗しちゃったし」


「なんでだよ。あんなに上手いのに」


「……私、人前だと恥ずかしくて全然踊れないんですよ。上がっちゃって頭が混乱して動きが硬くなっちゃうんです」


 なるほどな。だから俺に見られた時にパニックになっていたのか。


 ただもったいない気がする。


 ダンスを知らない俺を釘付けにするほどのスキルを持っているんだからあがり症を克服こくふくできれば武器になるのに。


「おかしな話ですよね……人前に出るのが苦手な癖にアイドルを目指そうなんて。憧れだけで受験するなんて馬鹿らしいですよね」


「いいんじゃないのか。やれる環境があるならやってみるべきだろ。やりたくてもやれない人間だっているんだからさ……」


 無意識に言葉が重くなってしまった。俺はハッとする。なにを言っているんだ。頭をフルフルと左右に振る。


「……どうかしたんですか?」


「なんでもない! それより袖浦は今日受験日じゃないのか?」


 すぐに会話をすり替えて上手く誤魔化した。


「試験は昨日と今日にあるんですけど、受験人数が多いですから午前午後で分かれてるんですよ。私は午後なんです」


「まぁ、一万人もいればそうなっちゃうか……」


「そういえば大元さんはどうしてここにいるんですか?」


「あ!」


 俺の意表を着いた声に髪が逆立ちそうなほどびっくりする袖浦。


 目的をすっかりと忘れていた。


 話し込みすぎてしまった。時間にして四十分くらいだと思うが、十時に間に合うかどうか微妙かも知れない。


 さすがにこれを届けられなかったら洒落しゃれにならない。持ち主が困ってしまう。


「悪い! 用事があるから先に行くわ! 試験、頑張れよ!」


 俺は慌てて駆け出すと袖浦に手を振った。


「待ってください……!」


「なんだ?」


 袖浦の声に足を止めてしまう。


「あの……私初対面の人とこんなに話せたの初めてで……その……なんとなく今日の試験は人前でも恥ずかしがらずにやれそうな気がするんです。だから、勇気をもらいました! ありがとうございました! それだけです!」


 精一杯の勇気で俺に伝えたのか袖浦は瞑りながらそう叫んだ。


 静寂が林を包む。


 袖浦は恐る恐る俺の顔を見た。


「……おう」


 俺が微笑んでそれに答えると、袖浦は嬉しそうに目を細めた。


 いってらっしゃいとばかりに俺に大きく手を振る。俺は再び駆け出し輝石学園を目指した。


 短い時間だったが袖浦との会話は面白ものだった。


 きっと袖浦とはもう会うことはないだろう。ただあいつがアイドル科に合格したらなら。


 願わくは、俺の持っている受験票の奴が袖浦の助けになってほしいと思った。


 同じ学校なんだし合格すれば袖浦と顔を合わせる機会もあるだろう。


 もしこの受験票のやつに会えたら袖浦のことを伝えておくか。学校も同じだし後日話すのもできる。


 そんな願いを込めながら走ると輝石学園の校門にやってくる。


 俺の知っているような誰でも入れるような背の低い校門ではなく、まるで西洋の城のような鉄製の背の高い門だった。


 学園の敷地内を囲む壁は石造りで益々城っぽさを強調させていた。校門から見える校舎もそれに合わせたようなデザインをしている。


 それにしても校門から校舎までの距離が遠い。目視でここから校舎まで五分はかかりそうだった。どれだけ広い敷地に学園を作ってるんだよ。


 それよりも辺りに人がいないのが気になる。もう試験が始まってしまったんだろうか。


「しまったな……」


 これなら駅に届けるなり自分の学校に届けるなりしたほうがよかったかもしれない。とりあえず諦めずに事務室を探して受験票を届けに行こう。


 俺は校内に一歩踏み入ると石畳の通路を靴で踏ませながら校舎に歩いていく。


「君!」


 女性に呼び止められた俺は音がした方向を見る。そこには焦った様子のレディーススーツの若い女性が立っていた。


 まだ初々しさが残る二十代くらいの女性だ。ここの教師だろうか。だったら都合がいい。事情を話してこれを渡そう。


「もう試験始まっちゃうよ! この時間だとマネ科の受験生だよね!?」


「ああ、実は――」


 俺が話を切り出すよりも早く、女性は俺の手を取るとヒールを履いているのにお構いなしで走り出してしまう。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


「待てないよ! 遅刻したらそれだけで落ちちゃうんだよ!?」


「顔、顔写真しっかり見て!」


 俺は受験票をひらひらと仰いで必死にアピールをする。


 このままだと試験会場に連れて行かれてしまう。


 そうなればお母のお見舞い以前に面接に間に合わなくなってしまう。


 俺の声が届き女性が止まってくれる。


「顔写真? ……大丈夫よ。しっかり君の写真が貼られているじゃない」


 女性は顔写真をちらっと確認するとまた駆け出してしまう。


「なんでだよ!」


 俺の突っ込みにもほらほら急いだと言わんばかりにぐいぐいと俺を引っ張る。


 どうしてそうなったのかもう一度俺も顔写真を見てみる。 


 確かに顔写真の人間は俺と似たような髪型をしている。顔のパーツ一つ一つも似てると言えば似てるかもしれない。


 いやいや、さすがに明らかに別人だろう。なんで気づかないんだよ。


「とにかく、とにかく俺の話を聞いてくれよー!」


 その声はむなしく響く。俺は試験会場へと強制的に連行されてしまった。

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