決断
佐藤普通
わたしのことを一番よく知るあなたへ
前略
自分で言うのもなんだけど、わたしは多分世渡り上手だ。
父譲りのパンチパーマみたいなくせっ毛と母譲りの丸顔。鏡に映るたびに、芸術家の水死体みたいだな、と思う。
だけどわたしは、いじめの標的とか、クラスからの村八分とか、あるいは親友から裏切られたりとか、いわゆる「思春期の通過儀礼」を巧妙に避けてきた。無邪気さがときに無慈悲さに変わる小学生校時代も、クラスのカーストが毎週のように入れ替わる中学生時代も、棲み分けを覚える高校生時代も、生産性のない話ばかりしていた大学生時代も、手痛い洗礼をすべてかいくぐってきた。いじめられるのは、いつもわたしよりかわいい子や才能ある子ばかりだった。わたしまで順番は回って来なかった。
わたしはいつも不思議だった。わたしよりかわいい子が、ほんのちょっとした失敗でピラミッドの頂点から谷底まで真っ逆さまに落ちていくことが。いじめられた人は口を揃えて「なんで自分がいじめられたのかわからない」と言うけど、みんななんでわからないんだろう。
べつに学校やクラスにとって、いじめる相手なんて誰でもいい。誰かがいじめられている間だけ自分はいじめられず、つかの間の安寧をむさぼれる。そんななか、運悪くほんの少し隙を見せた子がいじめられる。だから自分がいじめられないようにするには、ほんの小さな隙さえ見せなければいい。それを人は八方美人というのかもしれないけれど、なにが悪いんだろう。周りを見ると、結局みんな八方美人になりたくて、人の顔色をうかがって、六方か七方くらいには上手くやっている。でも、運悪くどこか一方で気を抜くと、洗礼を受けてしまう。そんなとき、皮肉交じりに思うのだ。もう少しうまくやればいいのに、と。
話が少しそれちゃったけれど、おそらくわたしは世渡りが上手い。自虐ネタはいつも新しいコミュニティに飛び込んだ時に自分の居場所を切り開いてくれた。いじめる側に加担させられそうになっても、キャラクターを楯に間一髪で回避してきた。いじられキャラは使いこなせればなにかと便利。
じつのところ、芸術家の水死体みたいな顔にあまり不自由していなかった。顔という揺るぎないほど残酷な現実を最大限利用してきた。美人よりも上手く生きてこれたかもしれない。自分の最大の欠点はいつしか最大の楯になっていた。今までならはっきりとそう言えた。
でも、わたしは決めた。変わる。変わる変わる変わる変わる変わる変わる変わる変わる変わる変わる変わる。変わらなきゃだめなんだ。
ある日、言われた。「お前には安心して恋愛相談できるよ」と。「お前といると気疲れしない」と。「持つべきは友達だよな」と。「絶対お前にも合う人いるって、そんなに面白いんだから」と。「お前いいお母さんになってそうだな」と。
いつも通りの会話。何回も、何十回も、何百回も繰り返してきた。わたしもいつも通り笑っていた。最後には得意の自虐ネタまで添えて。
でも、その日だけは自分をごまかせなかった。顔は最大の楯だと思っていたけれど、あれはやっぱり呪いの楯だったんだって。かろうじて能面のような笑顔を貼り付けておいたけれど、心は錆びた鎧のように重く、悪い夢でも見ているようだった。
安心して恋愛相談なんかされたくない、いっそ一緒にいて気疲れされたい。友達の一人なんかになりたくない、あなたの特別になりたい。面白さなんてどうでもいい、今はただの枷でしかないから。どこかの知らない子供のお母さんになるんじゃなくて、あなたの横にいたい。そう叫びたかった。本当はきっとそう叫ぶべきだったんだろう。
だけど、わたしは笑って冗談を言うことしかできなかった。これでいつも通り。うまくいった。そう思い込んだ。
すべて忘れてしまえれば、どんなに楽だっただろう。でも、なぜか今回は忘れられなかった。何度も乗り越えてきたと思っていた山を越えられなかった。今まで必死で押し止めていたものが、堰を切ったように襲いかかってきた。一週間くらい、泣いたり怒ったり、いつものように会社に行って仕事をしたり、また泣いたりした。
そうしてわたしは、ぎらぎらとした都会のビルの前に一人で来ていた。少しだけ変わりたかったから。
今の率直な感想をあなただけに教えてあげる。怖い。とにかく怖い。不安で押し潰されそう。うまくいくだろうか。うまくいかなかったらどうしよう。鏡に違う人の顔が映っていたらどんな気持ちになるんだろうか。何年か経てばツケを払わないといけないかもしれない。これから何度も賭けをするのかな。そうしたらお金はどうしよう。払えなくて怖い人が家に来るかもしれない。やっぱり怖い。不安は尽きない。
でもきっとあなたならうまく乗り切ってくれる。そんな気もする。だってあんな顔だったころも、うまく生きていたんだから。これが終われば、きっともっとうまく生きていってくれる。そう確信してる。
今までありがとう。これがわたしの覚悟。嘘偽りない自分。愚痴っぽくて湿っぽかったかもしれないけど、一応あなたへのエールのつもりだった。少しでも伝われば嬉しいかな。
最後に。わたしの決断を許してね。さよなら。元気でね。
草々
くせっ毛のわたしより
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