陸日目
――素晴らしい朝だ。
昨日は悪夢を見なかった。春さんがナイトメアに泊まれと言ったときは、悪夢を見るのではないかと少々身構えていたが、そんな心配はなかった。
寒さの残る風を浴び、お参りに行くため、僕は布団を出ようとしたとき――それは唐突に感じた。
――布団の上に何かいる。
「ん――あぁ……」
この甘い声……まさか――ナイトメア、なのか?
恐る恐る視線を下に向けると、そこには案の定――だが、予想できないほどのあどけない服装――サイズの大きい布1枚と言ったら、通じるだろうか――で、ナイトメアがいた。
幼い体つきなだけに、見えてはいけないものが見えかけ、僕はすぐに目をそらす。
――待て待て待て! なんでこんな状況に!?
もう少し見ていたら、危うくロリコンになってしまっていた、と心の中で危惧しつつ、僕はナイトメアを起こさないように、ゆっくりと布団から出た。
布団から出て、日に向けて大きく伸びをした後、部屋から出る。
否、出ようとしたら、ナイトメアに足首を掴まれてしまった。これでは僕が動くことができないではないか。
やはり、変わらないあどけない寝顔のまま、僕の足を掴んでいる。
――一体ナイトメアは僕の足を何と思っているんだろう。
そんな考えが脳裏によぎった瞬間、ナイトメアが動いた。
顔が僕の足首に近付く。――現段階では気付かなかったが、僕はどちらにしろ被害は受けることとなっていたので、気付かなかったことに関しては気にしていない。
そして、ナイトメアが口を開き、下を伸ばし、僕の足へと付着する。
その瞬間、足首に柔らかく温かいものが伝わり、動いている舌がとてもこそばゆく感じる。
なにこれ……? 僕は一体どうしたらいいの?
この謎のむずがゆさの先には何があるのか? そして僕はいつになればこの場所を動き出せるのだろう。
――もしかすると今日は、僕と春さんとナイトメアの3人でお参りに行かなければならないのかと、そう考えてしまう。まあ、二人がついてくるのならばだけれど。
そしてその後、僕はナイトメアが起きるまでの約3時間を立ちっぱなしで、しかもずっと舐められながら耐え抜いたとさ。
「すまんかった……」
「まあ、いいけど……」
場所は西の神社、ナイトメアはここにきて意識がはっきりとしたらしく、自分のやったことを僕に謝っている最中だった。
「どうにか許してくれんかのぅ……」
甘い声でそう言っても、僕はそこまで気にしていないし、そもそも寝ていたのだから仕方ない。
それよりも気になることがある。
「ナイトメア、あんたいつうちに来たの?」
「え? そりゃ、お前さんが寝てからに決まっておろう。けれども、わしが眠った部屋はお前さんの部屋ではなかったのに……何故お前さんの部屋にいたのかのう?」
わざとらしく考えたふりをしているが、これでしっかりと考えているらしいから不思議だ。
「まあさっさとお参りして春さんのほうにも行かなきゃ」
「そうじゃの、わしのせいで午前中を台無しにしてしまったからな……」
「だから気にしてないって――――ああもうっ」
このままではらちが明かない。少し行動を起こさないといけないようだ。
僕はナイトメアの顔の数センチ前で顔を止め、おでこを触れさせ、言う。
「この顔見て、怒ってるように見える?」
「――い、いやっ!」
少々裏返った返事を聞いて僕は、再度笑い返した。これでもう気には留めないだろう。
――子供なのか大人なのか、分からない奴だな、と心でもう一度笑って、本殿に向かう。
そこでお参りをし、僕たちはいったん休憩した。3時間立ちっぱなしだと、足にガタが来てしまうからいけない。――もっとも、人生で3時間連続で立ちっぱなしなんてのは、今の世においてはただの拷問だろうけど。
「それで、次は私のところなのよね?」
春さんの呼びかけにうん、と返事をし、西の神社から春さんの神社へと向かう。――その時の春さんの顔が、僕を殺そうとする目だったので、――いや、もしかしたら春さんは神様であるので、春さんの眼力で僕はいとも簡単に殺されていたかもしれないが――とても怖かった。ちなみに、そんなに睨まれることをした心当たりがないので、僕は肩をすくめるだけしておいた。
さて、次は春さんの神社だ。
ここからだと少し遠いが、まあ大丈夫だろう。今が夏だったなら話は別だろうけど。
「やっと、着いた……」
やっと着いた、先程と同じ言葉を心の中で呟いた。――道中、ナイトメアが足が疲れたと言ったので、――この時はマジで堪忍袋の緒が切れかけた。お前のせいでと怒りがこみ上げそうになったが、何とか鎮められた――僕が負ぶってやってきたのだ。ほんと、僕って心が広い。
そんなこんなで子供一人分の体重の『神』を――ナイトメアは空間転移とか使えないのだろうか――負ぶって、約20分の道のりを歩いてきたのだ。
さらにそれだけでは僕の苦労が分かりずらいだろうからもっと言うと、この日は昼から猛暑日となったのだ。真夏のような温度で――それでヘたれてしまったのもあるのだろう――汗だくになりながら歩いてきたのだ。――これも神の力とやらで何とかならないのだろうか。
とにかく、やっと着いたのだ。さっさとお願いして休憩するとしよう。
ここでは何を願おうか。――春さんが近くにいるので、うかつなことは言えない。
――それじゃあ、春さんが、もっとまともな人になれますように。
「ちょっ! 私はまともよ!?」
「まともじゃないから願ってるんだろう!?」
この人は……! 自分のことが全く分かっていない。
あなたがどれだけバカでうるさいか、分かっていない。
「そんな言わなくてもいいじゃないのよ~……」
「ま、まあ確かに言いすぎたけど、それでも春さんのポンコツ具合はどうにかした方がいい……」
「ま、しょうがないわ――あなたの願いをかなえましょう」
おっ。流石神様。というか、自分を更生させるために僕の願い事を使うな!
――それから春さんを光が包んで、その光が止んだ。
「――それで、どう? 春さん」
「――ふっふっふ……秋斗君……? 君は間違いを犯した……」
「――は? いったいどういう……」
どういう間違いを犯したというのだろう。僕は春さんを想って――といったら嘘になるが――この願いにしたというのに。
「わつぃを誰だと思っているの? ――そう、私は神よ! 『人』ではないのよ! つまり――私はまともにならないッ!」
――なん、だと……まさに外道とはこのことを言うのだろう。
春さん、そこまでしてまともになりたくないのか……? もうここまでくると、狂気の域だろう。
「ともかくっ! 私は私! 変わりなどしないわっ!」
――ああ、もう悟った。この人は変わらないと言った。つまり――これ以上」この人のバカは治らないのだ。嗚呼、我残念なり。
「ねえ、何でそんな目で私を見るの……? 何でそんなこと考えてるの……?」
「いや――もういいんだ。さあ――休憩して家に帰ろう」
「ねえ!? なんでそんな遠くを見てるの!? 私悪いことしてない!」
もう、どれだけ言っても自分では気づけないだろう。残念な子だ。本当に。
と、ふざけるのもここまでにして、さっさと休憩しよう。もうそろそろ体がもたない。体が日陰を求めている。
――早々に日陰に入り、背中で寝てしまったらしいナイトメアを降ろす。――いやしかし、あの大声のやり取りで、よく起きなかったものだ。やはり夢に関する神なだけに、眠りが深いのだろうか。
しかしよく眠っている。――すやすやとは寝ていないが。
――? なんだか様子がおかしい。息遣いが荒い。朝とは様子が違う。顔も少し赤くなっている。
――今日は真夏のような猛暑日だ。
まさか、まさかだが――熱中症なのか。
こうしてはいられない。神だろうが何だろうが、体は子供なのだから、ナイトメアがつらいだけだ。もしかしたらだが、疲れたと言ってきたときからもう熱中症だったのか。それならどれだけ今、しんどいことか。
「春さん! さっさと家に帰るよ!」
「えっ? なんで? もうちょっと――っと!?」
春さんの言葉は今は呑気に聞いてられない。今はともかく、ナイトメアが先だ。
走りながら、春さんに事情を説明する。ナイトメアが危ないこと。もしかしたら、長いことこのままだったことなんか全て。
すると春さんは立ち止まる。――なんでこんな時に……!
「だったら、私が家まで帰すわ。私に触れて。――空間転移、するわ」
「本当!?」
――今の状況にとって、家に早くナイトメアを連れていけるというのがどれだけナイトメアを楽にできるか。春さん、ナイス!
「それじゃ、行くわよッ!」
僕は春さんの腕に触れ、一応ナイトメアも春さんに触れさせておく。これで、触れたものだけが対象だとしたら、と、最悪の状況を考えて、だ。
僕は焦る気持ちでいっぱいになっていく。
しばらく、というかすぐに目の前が白く染まって、一瞬で風景が変わり、そこは僕の家だった。
幸い、目の前に熱がっているおやじがいたので、僕は一心不乱に言った。
「おやじ! 助けてくれ! ナイトメアが――ナイトメアが!」
その様子を見て、おやじがお母さんを呼んできた。
――余談だが、僕のお母さんは、保健の先生をしていたそうだ。
来たお母さんは、しかし表情を何一つ動かさず、ナイトメアを担いで、2階の僕の部屋へと向かった。
僕の部屋には家族が勢ぞろいした。
お母さんが着々と応急処置をしていく。その途中で外に出ていってといわれたので、何もできない僕たちは部屋の外で待つ。
――無事だといいのだが。こんなことなら、願い事を、ナイトメアの熱中症を直すように、と願っておけばよかった。
――しばらくしてからお母さんが出てきて、その表情を見てほっとした。
「だいぶ楽になったみたい。でもまだ寝ているから、起こしちゃだめよ」
そう言われたが、僕は起こすつもりはない。――春さんが起こしてしまいそうだけれど。
部屋に入ると、そこはもう涼しかった。これも応急処置の一環なのだろう。
ナイトメアが、神社の時の様子と違い、今度こそすやすやと寝息を立てて眠っている。
――僕も疲れた。主に精神が。ナイトメアが起きるまで不安だし、このままこの部屋で寝てしまおう。
起きると、そこは寒かった。寝たのがいつになろうか。その時は暑かった記憶があるのだが、今はそれとは違い、とても寒い。
わしは、布団に寝ていた。それも、秋斗の布団で。
いや、言い方が悪かった。ここは秋斗の部屋なのだからそれは当たり前か。
しかし、何故わしの布団に秋斗も入ってきているのだ。
顔が――近いよッ――!
「ん……」
秋斗の声が口から洩れる。いったい何を考えているのだろう。――ちょっと覗いてみよう。
「――――――――――――――――」
――覗いて後悔した。いや、後悔はしていないが、かなり恥ずかしい思いをしてしまった。
頭の中は、ほとんどがわしを心配するようなことを考えていた。大丈夫かな、とか、そう言う類の。
すごく恥ずかしい。わしはそれほどまでに、秋斗たちに心配されるようなことをしてしまったのか。
「わしは一体、どうしてしまったのじゃ?」
小声でそう呟いた。胸が熱い。体温が上がるほどに。
今日、様子がおかしくなってしまったのは、きっとあのことからだろう。
おでこを触る。お互いが触れた場所。まだ温かく感じる。
――わしは、あやつのことだけだったのに……なぜ今こんなにも秋斗の顔を見て安心するのだろう。――この心は、何なのだろう。
「ん――ああ、ナイトメア、起きたの?」
「えっ? ――ああ、うん」
――きっと今、とても顔が赤いだろう。声を聞いてさらに赤くなったかもしれない。
今、わしはどんな顔をしているのだろう。
「わしは一体……?」
「ん……? ああ、ナイトメア――」
寝ぼけているのだろう。声がとても遅い。
「ねっちゅう、しょう……」
――ええっ!? ねっ、チュウ、しよう、だって!? ――本当にいいのかな……でも本人が言ってたから、大丈夫、大丈夫――よし!
わしは秋斗の顔を両手の掌で包む。秋斗は顔に?を浮かべていたが、わしはそれを寝ぼけているからと、勘違いして――
今度は唇を、交えてしまった。
長い間、密着させて。
――しばらくして離した後、秋斗の目が見開かれていることに気付いた。
「な、ななな、ナイトメア……一体、何を……」
秋斗は、それはそれは混乱していた。その様子を見て、わしはわしの勘違いだと気づいた。
――顔が赤くなる。湯気が出ているのではないかと錯覚するほどに。
しかしどうしよう。ばれてしまった。これはもう、わしが寝ぼけている風を装うしかない。
「ん――……お前さん……」
そう言って秋斗の身体に抱き付く。冷えた体に、温度が溶けていく。それが心地いい。
――嘘をついて申し訳ないと痛む心とは裏腹に、これを喜んでいる自分がいた。
――これを恋だと認識したのは、また後のことだった。
――どうなっている? 何故僕はナイトメアにキスされた?
突然のことで頭が混乱している。ナイトメアは、寝ぼけていたのだろうか。
もしそうだとしたならば、僕はこのことを黙っておかなければならないだろう。春さんや親たちはもちろん、ナイトメアにも。
こんなことを言ってしまったら僕が逝ってしまう。
しかし――あれはナイトメアからしてきたよな……? 僕は悪くないよな……?
でもまあ、お互い寝ぼけていたのだから、後で二人きりになった時、謝っておこう。
「あの二人……何してんのよ……いや――ナニしてたのよッ……!」
私は神様だ。故に、人の心を読むくらい容易い。――例外はいるけれど。
秋斗君の心を読んだ結果、あの二人がその……あの……いわゆる『そういうこと』をしていたのは、分かった。
しかし、私は思う。秋斗君が誘ったのか。それとも、ナイトメアが誘ったのか。――そして、最初にそうしようとしたのはどっちか。その解答によって、私がどちらを追放するか、決まる。
さて、どっちがしたのか、覗いてみよう。――秋斗君、寝ちゃってるじゃないッ!
これでは心なんてまともに読めやしない。
「おい、春さん……」
その声に思わず体がびくつく。振り返ると、そこには私の中の謎の人――秋斗君のお父さんがいた。――その心は相変わらず読めない。一体何を考えているんだか。
「ど、どうかしましたかっ!?」
焦って声が裏返ってしまった。――秋斗君のお父さんの目は、嫌いだ。神なのに、心を読まれそうなほど、綺麗に反射するからだ。その目を見ていると、本当に読まれている気がする。
「どうしたって……いや、あんたからしたら、あの二人がいちゃつくのは結構心に来ることなのか……」
「い、いや! そんなことないですよ~」
平常は装えているものの、汗がどんどん出てくる。今日ってこんな暑かったってぐらい。
だって、しょうがないじゃない。私は秋斗君の――――――――――――――――――。
「まあ、そんな顔をするんじゃないよ。綺麗なお顔が台無しだぞ?」
「うー……余計なお世話です~」
――こういうところは秋斗君に似ているので、なんだか自然体でいられる。――私にもお父さんがいたら、こんな感じなのかな。
「何を嫉妬しているのかはあえて聞かないが、それを『人』は『恋』と呼ぶんだぜ。『神様』」
この気持ちを? この、悪夢に嫉妬している心が?
――本当に、不思議な人だ。何故こんな人の言葉がこんなにも――こんなにも心に残るのだろうか。
「ま、ここであの二人を見てるのもあれだし、――それにあの二人、どうやらあんたに言いたくない『秘密』、作っちゃったみたいだぜ」
「ひ、秘密?」
「そう。――だからさ――とかいう理由で、あんたと俺で話しようぜ。――あと、俺の心を読めてないことぐらい、お見通しだっつの」
「――えっ?」
なんで、分かったの……?
「まあ、これが俺の能力ってとこかな? 神様のとは違うが、神様の心読の力に近い能力。俺は勝手に『心触』って呼んでる。相手に触れたら、その相手の心の思うことを1分間ぐらい分かるようになるのさ。――まあ、俺は鍛えたから、一時間ぐらいは楽勝」
ニヤニヤと答えているが、答えている内容は、途轍もないものだった。
何故、神でもない人が、神の力を行使できているのか。
「それはだな――昔、俺もお前たちみたいに神様と友達だったんだ。あんたは知らねえだろう。――だから、俺が教えてやる、真実を。――――あんたの望みのかなえ方を。――っと、これが秘密の内容になるけど、オッケー?」
「……オッケー」
――それから、話を聞いた。私の知らないこと、昔のこと――そして最後に、これを絶対口外しないこと、それを誓い、この話はお開きになる。
すべてを聞いて私は、秋斗君と同じように接することができるだろうか。
今宵は、皆が皆の『秘密』をもって、明日を迎える。
今日という日は来ないとしても、同じように接することができるだろう。――それが本物なのならば。
そして、今日が終わりを告げる。
――今日という日は絶対来ないと、告げる音が心に響く。
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