27 フロルドリの決意

 ピナベルは吹っ飛ばされていた。

 ドゥドンは暴れるオルランドを懸命に押さえていたが、それでも一瞬、拘束から逃れた左手の小指が当たってしまったのだ。


(ウッソだろオイ。小指一本で人間フッ飛ぶとか……マジあり得ねえ……!?)


 きりもみ回転しながら盛大に鼻血を撒き散らすピナベル。

 「オルランドの心」の入ったガラス瓶も一緒に吹き飛ばされ、彼の手から離れていた。このままでは地面に落下し――


「はあッ!」


 あわや砕け散るかと思った矢先、瓶を掴み取った人物がいた。

 馬に乗った美しき貴婦人――フロリマールの妻、フロルドリである。


「おおッ!? 流石は我が妻!」フロリマールが歓声を上げた。

「何ィ!?」グラダッソも予想外の事態に狼狽する。


(フロリマールには止められたけど、無我夢中で馬を走らせてしまったわ……!

 この瓶が割れてしまったら、オルランド様の心は取り戻せないのよね……!)


 馬を走らせつつ安堵したのも束の間――フロルドリは異常に気づいた。

 オルランドの小指が当たった衝撃でガラスにはヒビが入り、そこから僅かながらも中身が飛び出し、揮発していたのだ。


(そんな……! このまま手をこまねいていたら、中身がなくなってしまう!

 ……くっ。迷っている時間は、ないッ……!)


 フロルドリは今、オルランドに心を取り戻させる事に集中していた。

 彼女の視界外で、吹っ飛んだピナベルが地面に激突する生々しい音が響いたが、意に介している暇はない。

 馬上の貴婦人は覚悟を決めた。これしか方法が無い――そう思ったからだ。


「ドゥドン様! オルランド様から離れてッ!」


 フロルドリは叫ぶと、瓶を抱えて馬から飛び降りた。

 向かう先は当然、倒れて暴れ狂うオルランド。彼女はダイブしながら、割れた瓶の蓋を開け、中身を目いっぱい吸い込んだ。


 次の瞬間起こった事態に、戦場は凍りついた。

 裸同然のオルランドを抱き締めるように、フロルドリはすがりついていたのだ。

 旅装越しでも伝わるであろう、形よく豊満な双丘と太腿の感触。あれほど大暴れしていたオルランドですら、貴婦人の肢体が密着した今動きを止めている。狂ったといえども、女性への礼節を忘れぬ騎士道精神が残っていたのか、はたまた情欲の類か。それは定かではない。


 フロルドリはオルランドの肉体に馬乗りになると――そのまま唇を重ねた。


「なあああああッ!? フ、フロルドリィィィィ!?」

 フロリマールの悲痛な絶叫がこだました。

 愛する妻の接吻が、親友に為されているのだ。かつてアストルフォに敗北した時以上の、まるで寝取られたかのような絶望感が彼を襲った。


(どうか悲しまないで、愛する我が夫フロリマール……!

 ガラス瓶が割れてしまった以上、あたしが中身を吸い込んで、口移しで飲ませるしかなかったのよッ……!)


 果たして――貴婦人フロルドリの決死の敢行は功を奏した。

 あれほど暴れ狂い、野獣の如き血走った双眸をしていた最強騎士オルランドは――唸るのをやめていた。

 憑き物が取れたかのように穏やかな瞳になった彼は、目の前で自分を抱き締めている美女の姿に戸惑うばかりであった。


「……え……貴女は……フロルドリ、か……? どうして……?

 それに、ここは……一体、どこなんだ……?」

「オルランド様! 正気に戻られたんですねッ!」


 理性と分別を取り戻した騎士の言葉に、フロルドリは感極まって落涙した。

 一方その向こうで、妻とは別の意味で滂沱ぼうだの涙を流していたフロリマールが、隙を突かれて黒騎兵に叩き落とされていたが。


 セリカン王グラダッソは、一連の流れに呆気に取られていたが――やがて怒りに打ち震え、名馬バヤールを走らせていた。


「おのれ、貴様らァ……! よくもこのグラダッソの計画を台無しに……!

 許さぬぞ虫けらどもめ! まとめて踏み潰してくれるッ……!!」


 オルランドとの間に立ち塞がるのは、十二勇士のひとりオリヴィエのみ。

 普段なれば彼とて、グラダッソと互角の戦いを繰り広げられる猛者であったが。

 デュランダルを擁した荒ぶる王を相手取るには、黒騎兵たちと長く続いた激闘に疲弊した今では荷が勝ちすぎていた。

 鎧では防げぬ聖剣の一撃が横薙ぎに繰り出される。奮戦むなしく落馬し、重傷を負うオリヴィエ。


「これで邪魔者はおらぬッ!」


 グラダッソは思い直した。これは絶好の機会だ。

 正気を取り戻したとはいえ、グラダッソ兵の大半と戦い続け、消耗している事に変わりはない。


(心が戻ったかどうかなど些末な問題であったわ!

 最終的に殺せばそれでいいのだッ!)


 フロルドリは迫り来る巨漢から庇うように、オルランドを抱き締めていたが。

 彼はそっと振り払った。そして突進してくるセリカン王の前に仁王立ちする。


「いけません、オルランド様……その傷では……!」

「フロルドリ、お下がりください。貴婦人を盾にしたとあっては、騎士の名折れ」


 こんな時でもオルランドは騎士であった。

 しかし全身痛々しく、武器も鎧もない。立っているのもやっとの状態なのは、誰の目からも明らかだ。


 グラダッソの突撃を阻む者はいない。誰もがそう思っていた、が――

 黒騎兵の群れの中を、疾風の如く駆け抜ける白い姿があった。


「!?」


 オルランドと相対する寸前、グラダッソは近づいて来る者の正体に気づいた。

 白馬に乗った、白いスカーフを首に巻いた白銀の麗しき騎兵。流れるような金髪は風にたなびき、美麗な碧眼には力強い意志が宿っている。

 戦槍ランスを構えた女騎士ブラダマンテであった。


(馬鹿な……ブラダマンテだとッ!? 奴はマンドリカルドが追っていた筈!

 まさか、あの勇猛なタタール武者を退けたというのか! 信じられぬ……!)


 グラダッソは驚愕したが、ブラダマンテの傷だらけの鎧を見てほくそ笑んだ。


(だが無傷では済まなかったようだな! 消耗はしていよう。

 それにそんな槍一本で、バヤールに乗った儂をどうにかできる筈がない……!)


 常識で考えればグラダッソの判断は正しかった。

 グラダッソもバヤールも、巨岩の如き重量級。小柄な女騎士の戦槍ランス突撃ではビクともしない筈なのだ。


 しかしセリカン王は知らなかった。

 今は失われたとはいえ、ブラダマンテはかの「黄金の槍」の感覚を、その身体に掴んでいる事を。

 必ず命中し、槍先に触れた者を落馬させる――そんな魔性の腕前が彼女に宿っている事を。


 グラダッソとブラダマンテが激突した。

 その場の誰もが思い描いた結末と、違う未来が起きていた。


「……なッ……そん、な……馬鹿なァ……!?」


 7フィート(約2.1メートル)近い荒ぶる王の巨体が――女騎士の細腕から繰り出された槍の一撃によって突き飛ばされていた!

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