2 クロリダンとメドロ

 ダルディネル王子がフランク騎士リナルドによって討たれた日。いつもより夜のとばりが降りるのが早かった。

 辺りは暗く、フランク軍も追撃を断念し、自陣へ引き返している。

 退却に退却を重ねたサラセン軍は、スペイン王マルシルが築いた防衛陣地にて、どうにか一息つけたといった有様であった。


 闇が覆う元戦場。野ざらしのまま打ち捨てられた両軍の屍が数多く横たわる中。密かに蠢く者たちがいた。薄汚い衣服を纏った農夫たち。あるいは狼の群れ。彼らは闇に紛れ、死した兵士たちの装備を奪おうと、あるいは屍肉を喰い漁らんと――密かに寄り集まってきたのである。


 その蠢く影の中に混じっている二人の若い従者の姿がある。

 クロリダンとメドロ。共に死したダルディネル王子に仕えし者であった。


「……本当にいいのだな、メドロ。オレたちは死にに行く事になる」

 クロリダンは声を潜めて言った。


「後悔はない。オイラはもう決めたんだ――

 ダルディネル様の遺体を探し出し、丁重に弔うって。

 その為なら、オイラのちっぽけな命なんて惜しくねえ。たとえ志半ばでオイラがフランク人に殺されたとしても、それはアッラーの思し召しさ」


 メドロの決意は固く、狂信的ですらあった。

 クロリダンはメドロの事を気にかけており、彼の無謀な行いをどうにかして思い留まらせようと説得したが、頑として首を縦に振らなかった。独りでも敵陣に乗り込むと言って聞かなかった。それならば、とクロリダンもまた覚悟を決めた。親友たるメドロと共に、屍を晒す覚悟だ。


 二人の悲壮な試みは――はじめのうちは神の采配か、思いのほか上手く進んだ。

 日が没した直後はフランク兵たちも篝火を焚き、サラセン軍の逆襲に備え、警戒していた様子であったが。

 スペイン王が築いた防塁に逃げ込む異教徒どもを見て、いささか気が緩んでいたらしい。手酷く叩きのめした敗残軍が小勢とはいえ、密かに乗り込んでくるなどと思いもかけなかったのだろう。フランク軍の陣地は暗く寝静まり返っていた。酒の臭いもプンプンする。戦勝祝いとばかりに宴を催した直後だったようだ。ほとんどの兵士は見張りすら立てず、眠りこけていた。


「ダルディネル様のご遺体の所に行くには、ここを抜けなきゃならねえな――」

「だったら殺していこう。油断したフランク人どもを放置する手はない」


 クロリダンとメドロは怒りに満ちた表情で剣を抜き、泥酔していたフランク兵を次々と刺殺していった。

 天寿を全うして妻に看取られると予言された占星術師も、後世に名すら伝わらぬ一兵卒たちも、武名を誇ったドイツ武者も、恋人と睦まじく肌を重ねていた貴族も――等しく首と魂を刈り取られていく。復讐と使命感に燃える二人のサラセン人にとって、彼らの素性など些事であった。


 かくして二人は、モンマルトルとモンレリ、二つの丘に挟まれた戦場跡へと辿り着いた。

 数多くの屍が転がる中、偶然にも雲に隠れた月明かりが差し――彼らが敬愛する主人の姿を浮かび上がらせた。


「ああ……ああ、ダルディネル様。おいたわしや」


 クロリダンとメドロは王子の死体を担ぎ、その場を逃げおおせようとした。

 が――弛緩しきっていたフランク軍の中にも夜の見張りを行う者がおり、二人の幸運も長くは続かなかった。数騎の馬の蹄の音が近づいてきたのだ。

 それはスコットランド王子ゼルビノの率いる騎兵であった。


「こんな所で何をやっている?」


 ゼルビノが不審な死体担ぎの男を取り囲んだ時、その場にいたのは一人。メドロだけだった。

 クロリダンは蹄の音が聞こえるや、恐怖の余り主の屍を放り出して近くの茂みに隠れてしまったのだ。


「この怯えよう――さてはサラセン人だなテメー」

「殺しましょうぜゼルビノ様! 異教徒相手なら遠慮する事ぁねえ!」


 ゼルビノ配下の騎士たちは荒くれており、お世辞にも気品があるとは言えない類の者たちだった。シャルルマーニュの要請に応えるため、急いで募兵した連中だ。腕っぷしは立てども、騎士道精神の伴わないゴロツキに近い輩の言葉に、ゼルビノはわずかに眉をひそめた。

 メドロが一瞬の隙を見て森の中に逃げ込むのを許してしまった彼らは、スコットランド王子の号令を待たずしてサラセン人を殺そうと追っていった。


 クロリダンは一旦逃げ延びていたものの、メドロが危険に晒されているのを見て激しく後悔した。


(何故オレは逃げ出してしまったんだ! やはりメドロを放ってはおけない。

 こうなったら、アイツと共にオレも死んでやるッ!)


 クロリダンは持ち前の弓を取り出し、メドロを捕えようと追いすがる騎士たちに次々と矢を射かけ、その頭蓋を貫いて回った。

 流石に弓の名手。この暗がりにおいても微かな月明かりが彼に味方し、百発百中の腕前を遺憾なく発揮したのだ。


「いつまでかかっているんだドン亀ども! 敵はたった一人! しかも死体を担いでんだぞ!? とっとと引っ立ててきやがれッ!!」


 ゼルビノの副官が声を荒げるも、成果は芳しくはない。

 不甲斐ない配下を後目に、ゼルビノは埒が明かぬとばかりに自ら馬を進めた。

 途端に、己の頭蓋めがけて飛来してくる鋭き矢。しかしゼルビノはしっかと矢の軌道を見定め、寸でのところで致命の一撃を躱した。


「そこかッ……不埒者めが!」


 ゼルビノは即座に射手の居場所を掴んだ。月明かりが味方したのは、クロリダンだけではなかったのだ。

 スコットランド王子はクロリダンが二射目を放つより早く、取り出したナイフを投擲した。狙いは過たず哀れなサラセン人の首筋に吸い込まれる。彼はくぐもった悲鳴を上げ横たわり、その血で大地を染めて息絶えた。


 一方メドロはすでに精も根も尽き果て、ダルディネルの遺体を運ぶ力も残されていなかった。

 それでも亡き主人の傍を離れる事をせず、うずくまるのみだった。


 ゼルビノはメドロに近寄ると、剣を抜いて彼の首筋に当てた。


「――散々手こずらせてくれたな。何か言い残す事はあるか? サラセン人よ」

「オイラはどうなっても構わない……今更生き延びようなんて思っていない。

 だがアンタに少しでも、オイラを憐れむ心があるのなら。オイラのご主人、ダルディネル様を弔うだけの時間を下さい!

 その間だけオイラを生かしておいて下さるなら、後は煮るなり焼くなり、好きにして結構です」


 涙ながらに悲痛な訴えを行うメドロ。


(ダルディネル――昼にリナルドに討たれたという敵の猛将だったか。

 わざわざ主君を弔うためだけに、このような危険な潜入を行ったというのか)


 暗がりですすり泣くメドロは憐れみを誘った。また彼の忠節溢れる動機も、歴戦の騎士たるゼルビノの心を動かした。


「――よかろう。そなたの望み通りにするがよい。

 主君を悼む気持ち、分からんでもない。

 その屍を弔い、埋める間だけ、そなたの命はこのゼルビノが――」


 助命嘆願を受け入れようとした矢先。

 突如乱入してきたゼルビノの配下の一人が、メドロの胸に槍を突き立てた。


「あがッ…………!?」


 一瞬の出来事。メドロは血の泡を吹いて弱々しく倒れた。


「な……何のつもりだ貴様ァ!」ゼルビノは逆上した。


「何のって……今しがた報告が入ったんでさぁ! サラセン人の二人組が、夜陰に乗じてウチの同胞が眠っている所に忍び込み、大勢殺して回ったって!

 コイツは間違いなくその犯人ですぜ! 哀れっぽい事ほざいてやがったが、ただの卑怯者だ! こんな人殺しの世迷言なんざ、聞いてやる義理はねえでしょう!」


 ゼルビノの配下は、主君の形相に怯みながらも事情を説明した。

 だが騎士としての約束を違える不名誉を被る羽目になった彼は、完全に頭に血が上ってしまっていた。

 怒りの剣先がこちらに向けられていると悟った配下は、恐れを為して馬を走らせ逃亡し――ゼルビノもその後を追ってどこかに駆け去ってしまった。


 月が雲に隠れた。

 クロリダンは即死し、メドロもまた瀕死の重傷を負った。

 このまま夜が明ければ、二人の死の運命は不可避であるはずだった。


 しかしゼルビノの騎兵たちが残らず場を立ち去った後。姿を現した牧人がいた。

 粗末な服装に身を包んでいたが、その麗しきかんばせを見れば、世の男たちの誰もが心奪われるに違いない。

 彼女の名はアンジェリカ。カタイの王女にして絶世の美姫である。


 アンジェリカは胸から血を流すメドロの傍に駆け寄った。そして迷わず、傷口に手を差し伸べた。まるで以前からこうなる事を知っていたかのように。

 傷が光に包まれる。長くは保たないが、仮死状態にして出血を止め傷を塞ぐ応急処置の魔術だ。


(ああ――メドロ。メドロ! 待っていたわ。遭いたかったわ!

 良かった。この『世界線』でも貴方に巡り合えた――!)


 世界が繰り返される度、幾度となく見た光景。何度見ても慣れない。恐ろしい。一歩間違えれば、自分が真に愛する者の命が失われてしまうのだから。


(必ず助けるわ、メドロ――何度でも。貴方を生かす為に私の全力を注ぐ。

 だって私は――貴方を愛するために、この物語世界を彷徨い歩いていたのだから――!)


 アンジェリカは意を決し、メドロを治療するため己が魔術の粋を駆使した。

 後に道に迷った牛飼いの協力を得て、二人は安全な場所に身を隠す事ができ――メドロ自身も一命を取り留めたのである。

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