19 ロジェロvsアルシナ・後編

 ロジェロは焦っていた。本来なら魔女の首を一刀両断する気でいたのだ。

 十分に近づいた上で剣を振るったつもりだったが、土壇場でアルシナもロジェロの行動に気づき、文字通り首の皮一枚繋がったのだろう。


「ク、フフ……迷わず首を刎ねようとした所を見ると……わらわの再生能力の秘密にも気づいたようねェ?

 大方、首だけにして光の届かない場所にでも追いやろうとしたんでしょう?

 確かにその方法は有効……わらわは頭を核として、光を浴びて再生する力を持つ」


「ならもう一撃加えて、今度こそ首を飛ばしてやるッ!」


 ロジェロはさらに踏み込み、アルシナの千切れかけた首を斬ろうとしたが……

 途端にアルシナの全身が輝き出した!


「うっ…………!?」


 アルシナの放つ強い光を浴び、ロジェロは顔をしかめた。

 そして、今一度振り抜こうとした魔剣ベリサルダの動きが止まる。

 首が背中に逆さ吊りになった魔女に対し……ロジェロは陶然となり、胡乱うろんな視線を向けて硬直していた。


「まさかッ……!」アンジェリカは信じられないといった表情になった。


「そう。ロジェロ殿を……『魅了』させて貰ったわ」


 千切れかけた首をぶら下げたまま、アルシナは勝ち誇った。

 あの不気味な姿でも、魔術の影響にあるロジェロからすれば魅惑的な美女に映るのだろう。握った両刃剣ロングソードを力なく下ろす。


 強大なる悪徳の魔女を、あと一歩という所まで追い詰めたのに。

 このままではロジェロは魅了され、アルシナの手先となってこちらに牙を剥く。そうなればアンジェリカの身も危険だ。


「ああ、もう……しょうがないわねッ!」


 アンジェリカは走り――ロジェロとアルシナの間に割り込んだ。

 上目遣いでロジェロの顔をじっと見つめ、強く自己暗示をかける。「私はこの男が好きだ」と。

 途端に彼女の輝く肢体から、目に見えぬ甘い色香が発せられ、ロジェロの全身を包み込んだ。

 これぞ放浪の美姫アンジェリカの真骨頂。父であるカタイの王・ガラフロン直伝の誘惑の術テンプテーションである。


「ほう……貴女も魅了の魔術の使い手なのねェ?」アルシナが嘲るように言った。


 放浪の美姫vs悪徳の魔女。洋の東西を代表する魅惑の術者の対決。

 アンジェリカの必死の誘惑の甲斐あり、アルシナの術の影響で白目を剥いていたロジェロの瞳に僅かに光が戻った。

 ロジェロは多少、理性を取り戻したようだ。だが未だに身体の動きは鈍く、力は抜けたままだ。


(うううッ……! 悔しいけど、アルシナの魅了を打ち破れても、私の虜にする所まで行かない……!

 アルシナの力も強すぎて、私の誘惑の力と拮抗・中和されてしまう……!)


 アンジェリカは事態の深刻さを憂慮していた。

 誘惑の術テンプテーションを行っている限り、ロジェロは少なくとも敵には回らないが、味方にもならない。

 だがモタモタしていれば魔女は千切れかけた首を再生し、仕留めるチャンスを失ってしまう。それどころか回復したアルシナが魔力を全開にすれば、押し切られアンジェリカ自身も魅了される危険があった。


(……かくなる上は! この手はあんまり、使いたくなかったけれど……)


 躊躇ためらっている時間はない。アンジェリカは覚悟を決めた。


「ロジェロ、目を覚ましなさい!

 今、魔女アルシナを倒さなければ……司藤しどうさんも彼女に殺されてしまう!」


 アンジェリカは必死で懇願した。

 ロジェロは「本の外から来た」人間だ。ブラダマンテもそうなのだろう。

 その証拠に、彼はブラダマンテの事を「司藤しどう」と呼んでいた。

 彼の本来住む世界の人間の名前を出せば……その人間を、彼が大切に想っているなら……この呼びかけは、効果があるはず!


「貴方の大切な人なんでしょう? お願い……司藤しどうさんを助けてッ!」


 祈るように言葉を重ねるアンジェリカ。

 それは魅惑の美姫たる己のプライドを捨て、彼の心の拠り所が別にある事を認める――ある意味屈辱とも呼べる決意であった。


 果たして――アンジェリカの苦渋の選択は、功を奏した。

 力の抜けていたロジェロが不意に剣を握り締め、激しく雄叫びを上げたのだ。


「う……おおおおおおッッ!!」


 惚けていた状態から急速に力を取り戻し、ロジェロはアンジェリカを押しのけ、アルシナに肉薄する!


「なァッ……!?」

 魔女アルシナは、全身全霊をかけた魅了を完全に破られた事が信じられないようだった。悪鬼の如き形相で迫り来るロジェロの剣に、全く反応できない。


 ざんっ、と鋭い音が響き――アルシナの首は地面に転がった。

 今度こそ首と離れた胴体部分が、塵と化し瞬く間に消失する。


「お……おのれええェェええェェッッ!!」

「――往生際が悪いぜ、大年増」


 ロジェロ――黒崎は剣を捨て、なおも再生しようとする悪徳の魔女の首を素早く掴み取った。

 そして腰につけていたズダ袋を広げ、中に放り込む!

 黒崎が看破した通り、アルシナ自身が言った通り――光の届かない袋の中では、アルシナの再生能力は発揮されなかった。


 ズダ袋の中のアルシナの首はしばらくはもがいていたが……その抵抗は先刻と打って変わって、ひどく弱々しい。

 やがて――袋の中で砂が崩れるような音がして、全く動きがなくなった。


「お、終わった――の?」呆けたように問うアンジェリカ。

「ああ……オレたちの、勝ちだ」ロジェロは誇らしげに言った。


 こうしてロジェロとアンジェリカは、悪徳の魔女アルシナに勝利した。

 同時に海原からも、巨大な怪物の絶叫が轟いた。ブラダマンテとメリッサが海魔オルクを撃退したのだ。

 程なくして、四人は無事に合流する事ができた。


「こ、今度はちゃんと本物でしょうね?」

「心配するなよ。メリッサも一緒なんだし」


 いぶかるアンジェリカを、ロジェロは嘆息交じりに一蹴する。

 アルシナの魔力が途絶えた今、彼女の下僕たる妖魔どもは残らず姿を消しており――幻獣ヒポグリフや名馬ラビカンも四人の下へと舞い戻っていた。


**********


「ねえ、機嫌直してよ……メリッサ」

「指輪を使うなら使うと、ちゃんと言って下さい!

 本当に、ビックリしたんですから……死ぬかと思いましたわ!」


 ロジェロとアンジェリカが、ブラダマンテとメリッサに合流した時、もの珍しい光景が繰り広げられていた。

 ブラダマンテに対しベタ惚れだったはずのあのメリッサが、不機嫌そうな顔で頬を膨らませており、それをブラダマンテが必死になだめている。


 海魔オルクを撃退するためとはいえ、一歩間違えればメリッサもろとも海に投げ出されていたかもしれない、危険な賭けだった。普段は温厚な彼女が怒るのも無理はないのかもしれない。


(ああ、でも……ブラダマンテにお姫様抱っこされるというのは……ウフフ、今にして思えば役得でしたわね……!

 真っ裸を晒すっていうのは恥ずかしかったですが、まあ二人っきりであれば問題ありませんし……

 あんまり拗ねて、ブラダマンテを困らせ過ぎても駄目ですわよね……)


 メリッサは怒ったフリをしつつも内心、満更でもないようであった。


「本当にごめんなさい、メリッサ。お詫びに何でもするから――」

「何でもする? ふふ――もういいですわ、ブラダマンテ。

 結果的に海魔オルクを退けられましたし。今はやるべき事をやっておきましょう」


 メリッサは平静を装い、改まって言った。

 皆すっかり忘れていたが、魔女アルシナによってアストルフォ他、多数の騎士が岩や木に姿を変えられたままなのである。

 犠牲者たちを元の姿に戻すべく、四人は泉のある木々の場所へと再び向かった。


「ブラダマンテ。お前よく見たら……体中ボロボロじゃないか!」


 道中、ロジェロは傷だらけのブラダマンテを見て気遣わしげに言った。


「ん、心配しなくても大丈夫。酷い怪我は負ってないから」

「そういう問題じゃねえだろ! ホラその、お前だって……女なんだし。

 泉に着いたら、ちゃんと傷口を洗っとけよ! それから――」


 肌に傷が残る心配をしているのだろう。

 幼馴染の腐れ縁の、不器用な気遣いをアイは微笑ましく思った。


「戦いに身を置く騎士なら、いちいち気にしてられないと思うわ。

 それとも……ロジェロはそういうの嫌? 嫌いになる?」

「……そ、そんな事……別に、言ってねーしっ!」


 バツが悪そうに黒崎はそっぽを向いた。


「でも、ありがとう。気にかけてくれるのは嬉しい」

「!…………」


 わざわざ反対側に回り込んで顔を覗き込み、アイは笑顔で礼を言った。

 黒崎の顔が見る見る真っ赤になる。なかなか新鮮な反応だとアイは思った。


(やっぱりブラダマンテって美人なのね。

 あの黒崎がここまで純真っぽくなるなんて……

 まあ今回は黒崎コイツも頑張ってくれたし。これくらいは、いいよね――)


**********


 銀梅花ミルテの木の他、様々な植物の生えた泉に辿り着くと――泉の前に優雅に佇んでいる緑色のローブを着た女性がいた。

 年はかなり経ているようで、初老と呼んでも差し支えない程であるが……物腰や穏やかな表情は、柔らかく瑞々みずみずしい印象を受けた。


「ブラダマンテ。ロジェロ。メリッサ。そしてアンジェリカ。

 お待ちしておりました。心からお礼を申し上げます。わらわを救っていただいて」


 初老の女性は、微笑みながら優しい声音で口を開いた。

 ブラダマンテ達は彼女の言葉に、多かれ少なかれ面食らった。

 この女性とは初対面のはずだ。にも関わらず、何故自分たちの名を知っているのだろうか?


「あの――失礼ですが、貴女は……?」


 ブラダマンテが尋ねると、彼女は笑みを絶やさずに答えた。


わらわは――ロジェスティラと申します」



(第2章 了)

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