6 ブラダマンテ、魔女の島に着く

 日が没し、地中海は夜闇の色を受けて黒く染まった。

 星々が躊躇ためらいがちに輝き、白き半月の放つ明かりが、おぼろげに水平線を浮かび上がらせる。


 夜空に、流星のごとく舞う――翼持つ白馬ペガサスの姿があった。

 その背に跨るは、白いスカーフ、白い羽根飾りの兜、白き盾を持つ女騎士ブラダマンテ。その身を固める白を基調とした装備は、彼女自身の潔癖と誠実さを表しているという。


(すっごい! 気持ちいい! いい眺め!

 ペガサスに乗って海を渡るなんて……ファンタジー世界ならではよね!)


 ブラダマンテの中に宿る魂、司藤しどうアイは、素直に喜んでいた。

 身に受ける潮風。眼下に広がる海原や島々を軽々と飛翔し、めぐるましく変わっていく景色。天を彩る宝石の如き、星々をちりばめた夜空。

 中世騎士ファンタジー「狂えるオルランド」の世界に来てからというもの。

 ロクな目に遭っていなかった彼女だったが、この時ばかりは幻想的な体験を満喫していた。


『――気分が晴れましたか? ブラダマンテ』


 背を預けるペガサスから、女性の声がした。

 天馬に変身している尼僧メリッサだ。


「ありがとう、メリッサ。空を飛ぶって……素敵ね!」


 平凡な女子高生ならではの、端的な感想を述べるアイ。

 メリッサは少々戸惑ったが、ブラダマンテが楽しげにしている様子に満足したのか、それ以上は何も言わなかった。


(表立って言い募る気こそないようですが、やはりブラダマンテは――

 ロジェロ様の事を気にかけておられたのですね。ご自分から救出しに行きたいとおっしゃるとは。

 何にせよ、元気になられたようで良かった)


「メリッサ。魔女アルシナの島はやっぱり遠いの?」

『ご心配には及びませんわ。

 天馬ペガサスとなった私にかかれば、今夜のうちには辿り着けます。

 夜であれば闇に紛れて侵入できますし、アルシナの住む都は――たとえ夜でも、すぐにそれと分かるでしょう』


 メリッサの言葉は、程なくして真実だと分かった。

 天馬ペガサスは、日に千里を走ると言われる汗血馬が草原を駆けるが如く、障害物のない地中海をただひたすら翔けた。

 そして見えてくる。地中海に浮かぶ、小さな島。その沿岸にあるのは、黄金や白金プラチナ、あるいは金剛石ダイヤモンドで飾り立てられたように光り輝く、加飾と絢爛に満ちた楽園と見紛うばかりの街。

 あれこそが悪徳の魔女の住まう、誘惑の都なのだろう。


「フランク王国の都パリでも、あんな豪勢な街並みじゃなかったわ。

 すごい――けど。何か、怖いわね。

 夜になっても眠らない人々。あんまり楽しそうに見えないし……」


 その目映い輝きは、アイのかつていた現代日本の繁華街にも引けを取らないほどであったが。

 何かがおかしい。街の煌びやかさ、華やかさに比べ、行き交う人々の姿は極端に少ない。

 かろうじて歩いている人の姿を見かけても、彼らは笑顔こそ浮かべているが、何かに追い立てられているかのようにせわしない。

 ここが「物語」の世界であるという事を鑑みても、一際胡散臭い、作り物めいた楽園であった。


『ブラダマンテ。貴女の抱く違和感は正しいものです』とメリッサ。

『この街は、魔女アルシナによって作られた偽物の街。彼女に見初められた旅人や騎士を捕らえ、逃がさないための撒き餌なのです。

 道を歩く人たちも――魔女の使い魔たちであり、人間のフリをしているだけなのですから』


 こんな恐ろしげな場所に、ロジェロは――黒崎は、捕われているのか。

 アイは微かな焦燥を覚え、決意を新たにした。


「ロジェロを、救い出さなきゃね。

 メリッサ。目立たない場所に降りましょう。

 アイツがどこにいるか、情報を得ないと」

『分かりました、ブラダマンテ――』


 ブラダマンテを乗せた天馬ペガサスは、街の光の届かない島の反対側に降りた。

 メリッサは変身を解き、素早く着替えを済ませ――二人は早速ロジェロ救出計画を練る事となった。


**********


 魔女アルシナの住む街に向かう際、必ず通らなければならない箇所がある。


 ホブゴブリンたちの潜む山岳近くの道。そしてその先にある吊り橋だ。

 道をやってくる騎士の姿が見える。白い意匠を凝らした武具を纏った、清廉なるブラダマンテだ。


 通りがかった彼女の姿を見て、ホブゴブリンたちは一斉に山を下りてきた。先の海賊たちと同様、この地に足を踏み入れようとする哀れな犠牲者の命をすする為に。


 奇怪で乱雑な、混沌とした異形の戦列を見ても、ブラダマンテはいささかも怯む事なく……己の腰の両刃剣ロングソードを抜いた。

 妖魔の群れはたちまち、ブラダマンテを取り囲んだ。


 猫と、猿と、ミミズクの顔をしたホブゴブリンがジリジリと近寄り、三方向から同時に女騎士に飛びかかった!

 ざんっ、と風を切る音がして、猿の顔の妖魔が利き腕を斬られ、耳障りな悲鳴を上げた。残りの二匹は僅かにタイミングをずらされ、跳躍を躱されてしまい不様に地面に転がった。


 その様子を見てホブゴブリンたちは怒声を上げる。ロバとダチョウに乗った新手が、鼻息荒く突撃を敢行した。

 ブラダマンテは突進から目を逸らさず、すんでの所で身を捻り転がるようにして場を逃れる。と同時に――ロバの右前脚を深々と切り裂いた。ロバはつんのめり、乗り手たる妖魔は勢いよく身を投げ出された。ダチョウに乗ったもう一匹とまともに激突し、二匹とも仲良く頭にタンコブを作って気絶した。


 ホブゴブリン部隊を率いる長と思しき、太鼓腹の禿げた妖魔は、ヒステリックに奇声を上げて部下に次々と突撃するよう命じた。

 ところが彼らの攻撃は全く功を奏さない。女騎士ブラダマンテの最低限の動作、防御、反撃の前に、なす術もなくあしらわれていく。


 ブラダマンテ――司藤しどうアイは、不思議な感覚を抱きながら妖魔たちの攻撃を軽々といなしていた。


(コイツら、見た目は不気味だけど……大した事ないわ!

 殺気を隠そうともしないから、どこから来るか丸分かりだし。攻撃方法もメチャクチャ。

 マルセイユに攻めてきたサラセン兵たちの方が、まだずっと手ごわかったんじゃない……?)


 アイはマルセイユ守備の任務や日々の鍛錬を経て、ブラダマンテ本来のチートな身体能力と鋭敏な感覚に慣れつつあった。

 ホブゴブリンらの名誉の為に言及すれば、彼らの腕力やスピードは一般的な人間の兵士のそれを軽く凌駕する。しかしながら、歴戦の強者の感覚に近づいたアイにとって、彼らの動きは相対的に脆弱で隙だらけに見えてしまうのだ。


 無数の妖魔たちは命こそ奪われなかったが、ブラダマンテと交錯する度に手酷い傷を負い、戦う力と意欲を根こそぎ奪われてしまった。

 妖魔全体の数からすれば、痛手を負った者は1割にも満たない。

 にも関わらず、ホブゴブリンたちは只ならぬ手練れの女騎士相手に、徐々に恐怖が伝播し、包囲網がじりじりと遠ざかりつつあった。


 やがてホブゴブリンの指揮官、太鼓腹の禿げた妖魔は更なる突撃命令を出そうとした矢先……ブラダマンテと完全に目が合ってしまった。


「あなたね? 連中を率いているボスはッ!」


 ブラダマンテは我が意を得たりとばかりに凄まじい勢いで、でっぷり太った妖魔に突進する!

 そいつは禿げ上がった頭部に滝の汗を流し、逃げようとしたがもう遅かった。

 女騎士の刃が閃き、ホブゴブリン指揮官の鼻っ柱に命中した。激痛の衝撃が脳内を駆け巡り、狂ったような絶叫を上げてのたうち回る。


 その様子を見た妖魔どもは、とうとう完全に戦意喪失した。

 ブラダマンテが威嚇するように剣を振るい、周辺を見渡すと――怪物どもは我先にと、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。


(……ふう。怪物とはいえ、恐怖を感じるなら人間相手とそんなに変わりはない。

 戦意を挫くなら、いたずらに殺すより痛みで怯ませ――隙を見て司令塔を叩けばいい。

 そうすれば、最低限の攻撃と犠牲で戦いを制する事ができるッ)


 アイがブラダマンテとして鍛錬に従事した日々の中で思い出した、女騎士としての記憶。

 それは父であるクレルモン公エイモンが彼女に学ばせた、軍を預かる者としての兵法と心構えであった。


 ホブゴブリン部隊を追い散らし、一息ついたブラダマンテの前に、漆黒の狼に跨った狂暴そうな大女が現れた。

 様々な宝石をこれ見よがしにちりばめた、悪趣味な黄金の鎧を纏った――ホブゴブリンの女王エリフィラである。


「へえ……アンタ、少しはやるじゃないか。

 アタシの手下どもをこうも簡単に退けるとはねェ……だがその力、果たしてこのエリフィラ様に通じるかなァ!?」

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